8月2日から5日にかけて北アルプス・槍ヶ岳の北鎌尾根に行きました。メンバーは総勢6名、あだると山の会、マップ山の会のメンバーとの合同パーティ。
一日目、博多をたち名古屋、松本を経由して穂高駅。中房温泉までバス。中房温泉泊り。
二日目、合戦尾根を上る。三急登のひとつといわれるが、そんな印象もなく、3時間で燕山荘着。稜線にあがると、穂高以北の山並みを一望にする。こんなにきれいに見渡せられるのもめったにないことでは、というほどの天候。ともかく高瀬川流域をはさんで全部見える。冬期小屋の先のピークで昼食。それからはなんというか、稜線漫歩の雰囲気で、のどかだが、わたしたちの視線は行く手にすっくと立つ槍ヶ岳と手前の北鎌尾根に釘付け。何しろ全貌が見える。
一日目、博多をたち名古屋、松本を経由して穂高駅。中房温泉までバス。中房温泉泊り。
二日目、合戦尾根を上る。三急登のひとつといわれるが、そんな印象もなく、3時間で燕山荘着。稜線にあがると、穂高以北の山並みを一望にする。こんなにきれいに見渡せられるのもめったにないことでは、というほどの天候。ともかく高瀬川流域をはさんで全部見える。冬期小屋の先のピークで昼食。それからはなんというか、稜線漫歩の雰囲気で、のどかだが、わたしたちの視線は行く手にすっくと立つ槍ヶ岳と手前の北鎌尾根に釘付け。何しろ全貌が見える。
新田次郎の「孤高の人」を読み、加藤文太郎に憧れ宝満~若杉を駆け足で縦走したり、その極めつけとも言う山行が会の仲間と二人で行った北鎌尾根。
キスリングに地下足袋といういでたちで、高瀬ダムからアプローチをバンバン飛ばす。前を行く登山者を見つけては追い越し、追い越し、湯俣山荘を過ぎる頃には膝はガクガク。
翌日、歩き始めてすぐに片方の膝が痛み出す。それでも前進し、熊の出没するという天井沢沿いでテントを張る。
翌日、北鎌尾根へ上がりこむか、止めるか随分と迷う。結局、天井沢-間の沢と谷をそのまま直進する事に決定。折れ曲がった木々の樹林帯を抜けるのに手こずる、雪渓を登り、ハイ松を手掛かりに、必死の思いで東鎌尾根へ上がりこむ。その日片足をかばいながらも、何とか槍の肩の小屋までたどり着き小屋泊。
翌朝、槍の穂先へ登り、下山は、長い棒にすがりつき負傷した軍人の様な格好で槍沢を延々と下る。
この山行で僕はリーダーであった、メンバーのH君にとっても残念な山行にしてしまった。以後、地下足袋での山行を止めたのは言うまでもない。
翌年、再び3名パーティーのリーダーで再挑戦、このときは実に楽しい北鎌尾根となった。今となっては、懐かしく楽しい思い出である。