旅も終盤戦、やって来たのはナイルが地中海へとそそぐデルタ地帯に位置するアレキサンドリア。ギリシャのアレキサンダー大王によって築かれたこの街は今まで廻って来た砂漠地帯に比べると湿潤だし緑も多くて、まるで違う国にやって来たかのような印象さえ受けるほど。まだまだ暑いこの時季だから、ビーチでは海水浴する人の姿も。ただヨーロッパ諸国と明らかに違うのは、その中に女性の姿が皆無であること。イスラム教徒の女性が人前で肌を出すなんて、少なくともここエジプトではありえないからね。
この街の歴史は南エジプト地方に比べるととっても新しい。なにしろたった?2,400年ほど前に置かれた都。5,000年の歴史を持つ国ならではのこの感覚、私たち日本人にはピンとこないけど(笑)。ギリシャの時代を経てローマの時代には地中海貿易が盛んに行われた地だから、その時代の遺跡がたくさん。地理的なものだけでなく歴史や文化の面でも一番ヨーロッパに近いのかも知れない。
ところでこの街のずっと西の外れにあるデール・アルアンバー・マカールは多くのヨーロピアンにとって非常に重要かつ興味深いと思われる。まだキリスト教徒が迫害を受けていたローマ時代、この地で隠遁生活しながら布教活動していたのがあの聖書を書いた福音書記であるサン・マルコ。彼はこの地で殉教し埋葬されていたところ、9世紀になってからヴェネチアに運ばれたという。運んだのはもちろんヴェネチアの商人たち。サン・マルコを守護聖人に迎えたヴェネチア共和国は、その力をさらに強大化させることになる。ちなみに今でもサン・マルコが埋葬されていた地には大きな教会が建ち、ここを訪れる観光客や巡礼者は多いらしい。日本人にはほとんど知られていないと思うけど。
イスラムの国として知られるエジプトも実はキリスト教徒が圧倒多数であった時代もあるわけで、そんな歴史を眺めてみるのも旅の楽しみといえる。今でもエジプトに存在するキリスト教徒の人たちにとって、サン・マルコをヴェネチアに奪われた?という事実をどう受け止めているのか、私にはとっても気になるところなんだけど…
写真はローマ時代の遺跡のひとつ、ポンペイの柱(アレキサンドリア)
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しかし、いろいろなことをよく知ってるよね。
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