みなさんは杉原千畝(すぎはらちうね)という名をご存知でしょうか。第二次大戦初期、当時リトアニアの首都が置かれていたカウナスの日本領事館副領事であった人物の名を。ナチスによるユダヤ人迫害が進む中、ポーランドからリトアニアへ逃れて来たユダヤ人たちは唯一助かる道であった日本の通過ビザを求め、ここカウナスの日本領事館に殺到しました。
当時ドイツと同盟国であった日本政府としては彼らに対するビザ発給は敵対行為であったため、認められるものではありませんでした。にもかかわらず、領事代理であった彼は独断でビザ発給を決心します。「私を頼って来る人々を無視するわけにはいかない。でなければ私は神に背く」と。
ソ連のリトアニア進行が進む中、退去を命じられながらもひたすらビザを書き続けた杉原氐。ペンが折れ腕が動かなくなるまで書き続けたビザの数は1600にも及ぶと言われています。結果的に実際日本を経由し第三国へ逃れることのできたユダヤ人は6000人を超えると考えられているそうです。
そんな歴史の舞台となったカウナスの旧日本領事館は現在杉原記念館として当時の歴史を今に、そして後世に伝えていこうとしています。当時の執務室も再現されていて「命のビザ」発給の地を訪問していること自体に感動しかり・・・。どんな有名なモニュメントより日本人にとっては感動の場所と言えるかも知れません。
杉原氐のこの功績はリトアニアでも高く評価され、現在の首都であるヴュルニュスには彼の名をつけた通りが生まれ、また彼を記念した桜の木の植樹もされています。とりわけ当時を振り返り彼が残した言葉が印象的でした。「彼らは人間で助けが必要だった。喜ばしいことは、自分の中にその助けを与える決定をする力を見出したことである。」
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