ご無沙汰してしまいました
しろもり でございます
ここのところ、お務めがたんとございましたものですから、なかなかあなた様にお目にかかることができず、
前回のお話から随分と時間が経ってしまいました
大変、申し訳ありません💦
おや?どうして、そんなに忙しかったのですか?
という顔をなさいましたね
ええ、それはですね、2020年猫年も早いもので、9ヶ月が経ち、もう10月でございますでしょう
10月と言えば、神無月でございます
全国の神様が、一斉に出雲にお出かけをなされる月なものですから、その前準備やらあれやこれやと…
【しろもり そろそろ本題に入ってはいかがか?】(く)
…これは、失礼致しました❗
私のお務めの話ではなく、尾曲がり猫についてのお話の続きでございましたね
前回まで
第一回 ようこそ猫守りの部屋へ では
第二回 尾曲がり猫ナンバーワン では
そして第三回 長崎と歴史と猫 では
をお話申し上げました
本日は、その続きの南蛮貿易の船⛴に乗っていたとされる猫について、お話することに致しましょう
さて、江戸時代、東インド会社が扱う中国からの輸出品は、同社のアジアの拠点バタヴィア(現在のインドネシアの首都ジャカルタ)を中継して、ここ長崎の出島へ入って来ておりました
写真:写真AC
これらの積み荷を守る保険をかけるための条件は、猫を乗せることでしたから、猫達は恐らく現地バタヴィアで積み荷と共に出島行きの船に乗せられたものと推察されます
ふむふむ…船の猫がインドネシアから来たことはわかったけれど、その猫達と長崎の尾曲がり猫は、どう結び付くのですか?
そう、重要なのは、そこでございます❗
実は、日本全国の猫の尾曲がり率を調査された…ええと…また名前がすぐに出てきま…あぁ!思い出しました!…野澤先生は、東アジアの猫の尾曲がり率も調査されておりまして、その調査結果によりますと…
インドネシアの猫の尾曲がり率は、
なんと
長崎とほぼ同じ約80%とのことでございます
他方、インドネシア以外の東アジアの国の尾曲がり率の平均は、約40%とのことですから、インドネシアの尾曲がり率が、長崎と同様に極端に高いことがお分かり頂けるかと存じます
さぁ、ここまでで私が言わんとすることが、おおよそ検討がつかれたのではございませんか?
あ、うなずかれておりますね
はい、ご想像の通りでございますよ
…「長崎の尾曲がり猫の祖先は、インドネシアから来た猫達ではないか」ということです
…南蛮船に乗ってきたバタヴィアの尾曲がり猫達…が、積み荷と共に出島の港に降り、表門橋を通って長崎の街へと出て行き、そのまま街中に住み着いて、繁殖した…と
復元された現在の出島表門橋 写真:写真AC
もちろん、当時出島への出入りは、とても厳しく監視されておりました
何せ出島には、当時の庶民がお目にかかることのないような砂糖や絹織物等の『高級品』やオランダから持ち込まれた西洋の品々が、数多くありましたから、それはそれは厳重に管理されていた訳でございますよ
まぁ、とは言え、出島の門番の厳しい目も流石に猫にまでは及ばなかったことでしょう
何せ猫という生き物は、古今東西その「自由気ままさ」故に、人間から愛されておりますからね
自由気まま…何て素敵な響きの言葉でございましょう…猫たるもの…
【しろもり 続きはどうなっておる?】(く)
そうでした‼️
えーと、続き、続き…と
南蛮船を降りて、ふらりと街中に住み着いたバタヴィアの猫達が持っていた『尾曲がり』の遺伝子が、その子孫の猫達へ代々受け継がれている為、今も長崎では尾曲がりの猫が多数を占めている
これが、『長崎ネコ学会』が提唱している尾曲がり猫についての仮説なのでございます
このように考えると、現代の長崎とインドネシアの猫の尾曲がり率がほぼ同じことにあなた様も納得されませぬか?
遠く時を経て、尾曲がり猫達は、
長崎とインドネシアの繋がりを今もその遺伝子で受け継ぐ歴史の生き…
…猫の場合、証猫?…えー、ややこしいのでもう人でよし!と…
『歴史の生き証人』なのでございます
おや?まだ、何か疑問があるようなお顔をされていらっしゃいますね?
え?
江戸より前の時代の猫の尻尾は、どうだったのですか?
と?
ごもっとも!
猫は、江戸よりも昔の時代からいた訳ですから、そのような疑問をお持ちになるのも当然と言えましょう
江戸以前には、日本に写真は存在しておりませぬゆえ、当時の絵図を元に考察しますと、古くは鳥獣戯画から江戸時代前までの絵図に出てくる猫は、全て真っ直ぐで長いしっぽの猫ばかりなのでございます
↑鳥獣戯画の猫(烏帽子着用の向かって右側)
ところが、江戸時代になると曲がったしっぽの猫が、浮世絵等にも数多(あまた)描かれるようになります
歌川 国芳 たとゑづくしのうち
このことからも、
尾曲がり猫は、出島の南蛮貿易を通じてインドネシアからやって来たのであろう
という推測が成り立つ訳でございますよ
さてさて、それでは何故長崎にやって来た尾曲がり猫の祖先が、日本の他の地域…例えば江戸でも見られるようになったのか
この点についてお話すると、更に随分と長い時間、あなた様にお付き合い頂くことになってしまいますので、ここは、また次の機会にお話をすると致しましょう
【(やや!しろもりにしては珍しく自ら、話を、終わらせておる どうしたことか、客人が去られた後、聞いてみねばなるまい)】(く)
【しろもり それでは今日はここまでということで構わぬのだな?】(く)
【くろもり 今、話した通りこの続きは、次の機会に…】(し)
…では、あなた様にまたお目にかかることを楽しみに、私とくろもりは、これよりお務めに戻ることに致しましょう
それでは…
【(うーん…やはり、しろもりらしかぬ 今回は、話も余り逸れぬし…) しろもり! しろもり~! 本日は、どうしたのじゃ? いつもと違って… あれ、しろもり? どこへ行った?】(く)