ちょっとの間お休みしますと書いて、さてどのくらいでまた何か書く気持ちになるだろうと自分のことながら見当もつかなかったけど、思ったより早かった。
訳あって今もとても元気な桜文鳥の「青菜をこんなにきれいに食べたよ、どう?」と言いたげな写真を唐突に挟みます。
葬儀に連れて行く前。この子に似合いの花。寒い日だったので赤ちゃんのおくるみのようにして包んだ。この後、手紙と餌を入れた。
見送った子の娘にあたる文鳥。
毛玉になったり…
エビになったりと元気です。
インターネットに文章を載せるのは私にとっていつも、いつまで経っても、手紙を詰めた小瓶を流すようなもので、伝えたい事柄を書いてはいるけど書くことそのものが大事で、尚且つもしかしたら何処かで誰かが拾って読んでくれるかもしれないというちょっとしたわくわくがあるという行為だ。
訳あって今もとても元気な桜文鳥の「青菜をこんなにきれいに食べたよ、どう?」と言いたげな写真を唐突に挟みます。
※以下、愛鳥を見送った話と火葬する前の写真(強めにぼかしています)も載せていますので、辛い気持ちになるかもしれない方はご注意ください。
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葬儀に連れて行く前。この子に似合いの花。寒い日だったので赤ちゃんのおくるみのようにして包んだ。この後、手紙と餌を入れた。
例によって家を長時間空けられないので葬儀社の車に近くまで来てもらい、環境のいいコインパーキングで火葬をしてもらう(許可をしている自治体でのみ可能)。
この葬儀社さんは山深い場所にあり10年以上前の春にお世話になった際は、ぐるりを囲む山々に山桜が一面に淡い色を敷きつめていた。
自分の落ち度によって愛鳥の天寿を全うさせてあげられなかった悲しみと自責で狂気の淵にいた私は、その景色の中に溶けて消えてしまいたいと思った。引き裂かれるほどのつらさを抱えて夢の中のような景色を見ていた。
そんな半ば錯乱したような飼い主に涙ぐみながら寄り添い、あたたかいお見送りの場を作ってくださった葬儀社さんなので生涯忘れることはない。いつか外出する時間を長く取れるようになったらまた訪れたい。
余談だが数年前より柴犬職員を採用しておられ、この子がいい仕事をしている。私も2度目にお世話になったとき涙をボタボタこぼしながら火葬が終わるのを待つ間、柴犬職員の温かい背をなでることでずいぶん慰められた。
葬儀社のブログでは色々なコスチュームを着せてもらっているかわいい姿を見ることができる。パンフレットの挿絵にもなっている。
専用車での火葬においてはあまり時間を費やすことができないが、それでも気持ちは伝わる。
「文鳥が好きでたくさんの子と暮らしてきたんですけど、たくさんの子と暮らすというのはそれだけ見送るってことなんですよね」と心情を思わずという感じでこぼした私に「そうですね。でもお見送りをしてあげられて良かったとも言えますからね、遺して先にいく方がつらいですもんね」と返してくださり、それはもう本当にその通りなので言ってもらえて良かった。
それでも立て続けに喪った原因ばかり考えては自責の念に駆られ悲しみに沈んでいたのだが、このgooブログで読んだ記事の中にあったごく短い文章がそんな自分をサッと救い出してくれたのだった。偶々だった。しかしこういうときに人知の及ばないものの力を感じる。その記事の、その文章を読まなければ私は自分を責めることを続けて、愛鳥たちと暮らした幸福な日々に目を向けるのを忘れるところだった。
その文章をスクリーンショットで保存してGoogleフォトのアルバム『覚え書き』に入れた。
文鳥は一時期の半分以下の羽数となって部屋までガランとしてしまったが、それをいつまでも嘆かずに今いてくれる子らをこれまで以上に大切にする。
見送った子の娘にあたる文鳥。
毛玉になったり…
エビになったりと元気です。