On The Bluffー横浜山手居留地ものがたり

山手外国人居留地(ブラフ)に生きた人々の「ある一日」の物語を毎月一話お届けします。

■そしてプリンスは行ってしまった―山手ゲーテ座の春の夜の夢

2021-02-23 | ある日、ブラフで

 

1922(大正11)年4月22日夜、ブラフ(山手町)の社交場ゲーテ座(パブリックホール)は英国人を中心とする650名もの紳士淑女の歓喜と興奮に包まれていた。

全員が心ひとつにある人物の到着を待っている。

今宵、プリンスをお迎えして舞踏会が開かれるのだ。

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予定より15分早い21時15分、英国皇太子エドワード殿下を乗せた車が到着。

オーケストラによる英国国歌が流れるなか、海軍通常礼服に身を包んだ皇太子がエントランスに姿を現した。

出迎えたのは英国総領事ホームズ夫妻。

英国人コミュニティの面々に声をかけながら、殿下はホームズ夫人に伴われて舞台へと歩みより、そこに居並ぶ日英の貴顕数名から歓迎の言葉を受けた。

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ホールは緑を背景に赤と白のバラで飾られており、ステージには英国の伝統的なマナーハウスを模したセットがしつらえられている。

家の前には芝生が敷かれ、ポーチコに置かれた壺にはゼラニウムやニオイアラセイトウの花がさしてある。

さながら一幅の絵画を見るようであった。

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今宵の演奏を担当するのは軍艦レナウンの楽隊と居留地でおなじみのビージュオーケストラ。

最初に皇太子のお相手を務める栄誉に与ったご婦人は、ライジングサン石油会社支配人スコット氏の令夫人である。

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その日の朝9時35分にお召列車で横浜に到着した皇太子は、外国人墓地で行われた同盟国戦没者慰霊碑の除幕式に出席し、神奈川県庁で知事らの歓迎を受けた後、テニスウェア姿でブラフ38番地Aにあるスコット夫妻の家を訪れた。(注1)

そして隣接する山手公園のテニスコートでスコット氏や随行員のウードロフ少将、同じくハルセイ中将とプレイを楽しんだのである。

ウードロフ少将がスコット氏と旧知の間柄だったため、テニス好きの皇太子を案内したのであった。

テニスの後は夫妻の家で昼食を取り、夫人の案内で弁天通りに向かい、お忍びで買い物を楽しんだ。

そうしたもてなしへの礼の意味もあって、彼女を舞踏会の最初のパートナーに選ばれたのかもしれない。

スコット夫人に注がれた周囲の羨望のまなざしいかばかりか推して知るべしである。

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皇太子がダンスの熱心な愛好者であり素晴らしい踊り手であることは、その軽快なステップや優雅な身のこなし、見事なリードぶりから一目瞭然であった。

弁天通りでの買い物の後、バンドのユナイテッドクラブで居留民らと交歓し、軍艦陸奥を見学後、軍艦長門での晩餐会に出席するなど目まぐるしいスケジュールをこなしたにもかかわらず、27歳の健康な青年である皇太子は、明るい茶の髪が汗に濡れるまで存分にダンスを楽しんだ。

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22時半ごろ、ようやく休憩となり、食事が供された。

オリエンタル パレス ホテルのコッツシェフの指揮のもと調理部が腕によりをかけて用意した料理は、パリの一流レストランを思わせるほどの見事な出来栄えである。

エドワード皇太子殿下歓迎委員会会長を務めるホームズ総領事夫妻、エリオット大使夫妻、モリソン商会のモリソン氏夫妻、クライストチャーチ牧師のストロング師をはじめとする歓迎委員会メンバーとその夫人25名を含む約50名が皇太子を囲んだ。

井上孝哉神奈川県知事、久保田政周横浜市長、栃内曽次郎海軍大将ら日本人の顔も見られた。

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その後はまたダンスが続けられた。

皇太子はことのほかフォックストロットがお気に召しているようだった。

スコット夫人に続いて皇太子のお相手に選ばれた幸運な淑女たちの華麗な装いをご紹介しよう。

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今シーズン社交界デビューしたばかりのホームズ総領事の娘ドリーン・嬢は幾度も皇太子のお相手を務めた。

黄色のサテンに、虹色を帯びた真珠のようなスパンコールがちりばめられたレースを重ねたドレスに身を包み、手には真珠色の柄のついたネープルスイエローのオーストリッチの扇、同じ色のサテン地に真珠色のかかとのついた靴という素晴らしい着想の装いであった。

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英国総領事館の商業顧問を務めるクロウ氏の夫人の姪で、朝鮮総領事レイ氏の令嬢も皇太子のリードでステップを踏んだ。

彼女がまとっていたのはアーミュアサテンに無色で刺繍した白いガウン。

袖は東洋風で、スカートの右側には刺繍でVの字が描かれ、反対側にはサテンの長いループのサッシュがあしらわれており、きらきらと光る帯がひときわ目をひいていた。

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ユニオン インシュランス ソサエティ オブ カントンの横浜支店長メットランド氏(ブラフ128番地)の二人の令嬢も皇太子のパートナーに選ばれた。

姉マーガレット嬢(日本生まれ)はコーラルカラーの刺繍をあしらった銀色の布地の上に、薄いコーラルカラーのふわりとしたフロックを重ね、花飾りのついたピンクの帯で止めるという華やかな装い。

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一方アリス嬢は鳩の羽のような紫がかったグレーの房と緑色の金具のついた黄緑色のシフォンヴェロアのドレスがエレガントな印象であった。

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バンド199番地でべリック商会を営むべリック氏の令嬢は玉虫色の薄絹で覆われた柔らかな白いサテンのドレスを身にまとって皇太子のお相手を務めた。

令嬢は日本生まれの19歳で、一家は鎌倉海浜ホテルに寓居している。(注2)

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退役軍人で現在は建築家としてユニオン エステート アンド インベストメント社(バンド73番地)に勤務するサイクス氏(ブラフ258番地B)の令夫人はパリ指折りの高級婦人服店カロ姉妹店製の最新ファッションで登場。

きらびやかに輝くパイエットを全体に施した黒一色のドレスにカーネリアンレッドの大ぶりのオーストリッチ性の扇という目を奪わんばかりの大胆なスタイルは見事というほかなく、当然のことながら皇太子の手が差し伸べられた。

サイクス氏は歓迎委員会のメンバーであり、今宵の見事な会場演出を担当した功労者でもある。

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春の一夜が更け紳士淑女が踊りつかれたころ、ホールに再び静粛さが戻った。

全員が起立して英国国歌を斉唱。

日付が変わった0時10分、人々に見送られて皇太子はゲーテ座を退出した。

夢の舞踏会は幕を閉じたのである。

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4月29日付のジャパンガゼット紙の社交欄担当の記者は1行目に次のように書いている。

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プリンスは行ってしまった。

そして英国人コミュニティの社交の輝きのほとんどが彼とともに消え去った。

 

注1
スコット家のあったブラフ38番地Aは現在、フェリス女学院10号館の敷地となっている。建物は1929年にアントニン・レーモンの設計により建てられたライジングサン石油社社宅であり、横浜市の歴史的建造物に指定されている。

注2
べリック一家は1930年にブラフ72番地に家を建てて移り住んだ。アメリカ人建築家モーガンの設計になるこの建物は現在もべーリックホールとして残されており、横浜市の歴史的建造物に指定されている。

図版(上から):
・エドワード皇太子肖像『大英國皇太子殿下御来朝記念寫眞帖』(郁文舎出版部、大正11年7月20日)所収
・ゲーテ座内部(舞踏会のための飾りつけ)『時事新報』大正11年4月19日
・ホームズ嬢肖像 The Japan Advertiser, May 5, 1922
・その他すべて The Japan Gazette, April 29, 1922

参考資料:
The Japan Gazette Directory, 1922
The Japan Gazette, April 22, 29, 1922
The Japan Times, April 22, 1922
・『東京朝日新聞』大正11年4月23日
・『時事新報』大正11年4月25日
・『横濱貿易新報』大正11年4月23、24日
・https://en.wikipedia.org/wiki/Callot_Soeurs

 

おまけ:同夜開かれたもう一つの舞踏会

憤慨の独墺人
ゲーテ座の向こうを張って同夜盛んなる舞踏会―痛感した戦敗の悲哀

英太子を迎えて盛んなる除幕式の行われた日は連合国民にとって忘るべからざる光栄の一日であったろうが、その正反対に戦敗国たる独墺人はプリンスの歓迎に一切関係するを得なかったのみか、共同墓地に眠る多数の霊に対し涙を新たにして悲しんだことだろう。
此の夜殿下にはゲーテ座において開かれた盛大なる舞踏会に臨ませられ在留英人らは光栄に酔うて夜の更けるも知らず踊りあかしたが、不満を抱く独墺人等は皮肉にもこの夜山手町四番の独墺倶楽部に盛んな舞踏会を演じてゲーテ座の向こうを張ったのであった。
集まったドイツ人は約70名に達しオーケストラの音も賑やかに鬱憤の一夜を過ごしたのである。
山下町の大なる独逸倶楽部を財産管理課に没収されて以来かくのごとき大にして華やかなる会合を催したことに両三年来初めてである彼らは、ついに朝の三時ごろまで踊り続けたが、虐げられし彼等は横浜外人間に特殊として扱われ、外人協会の運動会たる山手のテニスコートの如きも独逸人を仲間にせず、為に独逸領事館においては近く他に独逸人専門の運動場を設けるべく着々準備中であるが、在留独逸人等は戦敗の悲哀な痛切に味わったと言っている。

(『時事新報』大正11年4月25日P5より引用。引用にあたり旧仮名遣いや旧字を改め、適宜句読点を補いました。また現在の基準では不適当と思われる表現は、原文を尊重してそのまま使用しております)

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