「オンフルールの私のおばさん」第三幕
アリアンス・フランセーズ 横浜
絵葉書の写真に付けられたフランス語のキャプションである。
表書きの消印の日付を元に調べると、1916(大正5)年5月22日月曜日にパブリックホール(山手ゲーテ座)で上演された芝居の舞台写真であることが分かった。
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アリアンス・フランセーズ(フランス協会)は世界各地に拠点を持つ団体であり、日本においては1903年10月に横浜で結成された。
横浜及び東京在住のフランス人を中心とする文芸活動サークルで、特に演劇活動が盛んであったようだ。
パブリックホールやヴァン・スカイック・ホールなどで度々フランス劇を上演した記録が残っている。
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当時の新聞記事によれば、第一次世界大戦のさなか、駐日英国大使らの呼びかけにより母国の赤十字病院の病床維持のためにジョージ(5世)国王誕生日基金が設立された。
これを応援しようと同じ連合国側に属する横浜のフランス人らが収益を基金に寄付するためアリアンス・フランセーズによる演劇公演を企画したのである。
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チケットは5月10日からバンド(山下町)61番地のスウェイツ商会にて売り出された。
演目として選ばれたのはフランス本国でも人気を博したポール・ガヴォルト作の爆笑ラブ・コメディー「オンフルールの叔母さん」。
全編フランス語による上演のため、言葉を解さぬ向きのため事前に英字新聞に粗筋が掲載された。
これを辿りながら写真の場面を読み解いてみたい。
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配役と出演者は次の通り。
出演者12名全員がブラフ在住のアマチュア俳優で、うち夫婦が3組。
職業・役職が分かるものはカッコで示した。
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シャルル(大学生)―M. ポラン(ベルギー国副領事)
アドルフ(シャルルの友人)―L. メイヤー(ウィトコウスキー商会)
アルベルティヌ(アドルフの恋人)―メイヤー夫人
ルセット(アルベルティヌの恋敵)―T. ヴェリセル
ラモン夫人(シャルルの叔母)―ポラン夫人
ドルランジュ氏(アドルフの父)―キュエル・ド・コグラン(キュエル&ブラディ商会)
ドルランジュ夫人(アドルフの母)―L. スゾール
イヴォンヌ(アメリカ出身の未亡人)―グールド夫人
クレモン(シャルルの下僕)―C. バスタン(ベルギー国総領事)
ジュスタン(ドルランジュ家の使用人)―W. フレシェー(ジャパン・アドバタイザー紙)
ガブリエル(ドルランジュ家のメイド)―フレシェー夫人
ドース医師 ―A. ドゥジモン(インターナショナル・スリーピング・カー社)
第一幕 シャルルの家(場所は示されていないがおそらくはパリ)
シャルルはオンフルール(フランス・ノルマンディー地方の港町)に住む寛大な叔母ラモン夫人の援助を受けて大学に通っている青年。
とはいえ青春を謳歌するあまり学業は疎かになり卒業も危ぶまれる始末である。
今日も今日とて独身仲間と夕食を楽しんで帰宅すると、下僕のクレモンからラモン夫人が突然訪ねてきたと告げられる。
シャルルはうろたえつつも何とか叔母をとりなそうとするが、そこに闖入者が。
現れたのは友人アドルフとその恋人アルベルティヌ、そして金髪碧眼の可愛い子ちゃんルセット。
アドルフがルセットに浮気心を抱いていることを知ったアルベルティヌが躍起になって、二人をひきはなそうとする。
アドルフはシャルルにアルベルティヌから逃れて両親の住むブリーヴ=ラ=ガイヤルドに行くと告げる。
そこにはアメリカ人の若い未亡人イヴォンヌがいて、アドルフの両親は息子と彼女との結婚を望んでいるというのだ。
アルベルティヌはアドルフが抜け出してブリーヴ=ラ=ガイヤルド行きの列車に乗ったのを知り、シャルルに恋人を取り戻すために後を追うように懇願する。
お人よしのシャルルはそれを断わることができずやむなく引き受ける。
アドルフの逃亡を知ったルセットが地団駄踏んで悔しがる場面で第一幕は終わる。
第二幕 ドルランジュ夫妻(アドルフの両親)の家
おだやかな田舎暮らしを送るドルランジュ夫妻のもとに息子アドルフとその友人のシャルルが現れる。
夫妻は二人を心から歓迎し、早速、息子と件の未亡人イヴォンヌを婚約させる。
ところがイヴォンヌはシャルルへの好意を隠し切れず、シャルルもまたまんざらではない様子。
そこにアルベルティヌが登場。
シャルルではあてにならないと思い、自ら乗り込んできたのだ。
おまけに「オンフルールのおばさん」を口実にして、自分とシャルルが結婚したように見せかける。
アドルフはアルベルティヌとシャルルを追い出そうと一計を案じ「オンフルールの叔母さん死す」という電報をでっちあげるが、シャルルはアドルフの計略を見破る。
悲報をものともせず、陽気にふるまうシャルルに一同ショックを受ける中、召使いのジャスティンが「オンフルールの叔母さん」ラモン夫人の来訪を知らせに来る。
自らの死を告げる電報を見て失神するラモン夫人。
駆け付けたドルランジュ氏が「死体を運んでくるとは、いったいどこのバカだ!」と叫ぶところで幕。
第三幕 ドルランジュ夫妻の家
ドゥース医師が診察に訪れ、ラモン夫人は意識を取り戻す。
そこにアドルフを追ってやってきたルセットがクレマンと共に現れる。
メイドのガブリエルとクレマンの話を聞いて事情を察したラモン夫人。
シャルルとイヴォンヌが相思相愛であることをアルベルティヌに告げ、ドルランジュ夫妻には、アドルフの本当の相手はアルベルティヌであることを明かし、二人の結婚を受け入れるように勧める。
一人お茶を引いたルセットが悔しがる中、2組のカップルの幸福な結婚で芝居は大団円を迎える。
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さて、写真に戻ってみよう。
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富裕な老夫婦の居間を模した舞台に、4組のカップルとその背後に女性・男性・女性と3名の姿がある。
そのうち右側の女性は服装からしてメイドのガブリエル。
残りの2名は今入ってきたばかり、という様子からルセットとクレモン(シャルルの下僕)とみられる。
4組のカップルを左より1から4とすると、年恰好から1と3のカップルがアドルフ・アルベルティヌもしくはシャルル・イヴォンヌと推測される。
ルセットがカップル1に目を奪われていることから、おそらくこちらが彼女の意中の人アドルフとその恋人アルベルティヌであろう。
するとカップル3がシャルルとイヴォンヌということになる。
女性の服装が他の女性たちと異なることもアメリカ人であることを示唆しているように思われる。
カップル2はラモン夫人とその脈をとるドゥース医師。
カップル4がドルランジュ夫妻だ。
出演者中、ドルランジュ家の召使いジャスティンのみ姿がない。
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上演翌日のジャパン・ガゼット紙によると、客の入りは上々。
あらかじめ終電に間に合うように上演時間が設定されていたため、東京在住の人々も足を運んだようだ。
客席にはグリーン英国大使夫妻、レグニョー仏大使夫妻とその息女、ベルギー国公使、ほか東京の各国大使館員全員(クルペンスキー新大使の着任を待つロシア大使館を除く)、ベルギー国公使館員ほか東京・横浜の名士らが顔をそろえた。
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俳優陣もみな好演したようだが、なかでも実の夫を相手に恋人役を務めたメイヤー夫人の演技が出色と伝えている。
アマチュア演劇の女優として何度も舞台を踏んでおり、演技派として高く評価されていたようだ。
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後に報告された収支は次の通り。
当初の目標に達する金額を得られたようである。
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チケット売上げ 782円
アイスクリーム売上げ 55円
収入合計 837円
支出(概算) 305円
収益(概算) 532円
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この成功を受けてアリアンス・フランセーズによる「オンフルールの叔母さん」は、英国国王の誕生日である6月3日、神戸に場所を移して再演されることが決定したと記事は伝えている。
図版
・絵葉書(筆者蔵)
・新聞広告(The Japan Gazette, May 9, 1916)
参考資料
・The Japan Gazette, Oct. 22, 1903
・The Japan Gazette, May 9, 13, 20, 23, 26, 1916
・升本 匡彦『横浜ゲーテ座―明治・大正の西洋劇場』(岩崎博物館出版局、1986)