On The Bluffー横浜山手居留地ものがたり

山手外国人居留地(ブラフ)に生きた人々の「ある一日」の物語を毎月一話お届けします。

■歴史パネル展「古き横浜の青春 ~プール嬢のアルバムから~」ハイライト

2024-07-31 | ブラフ・アルバム

“On the Bluff”にアクセスしていただきありがとうございます。

このブログを始めてから足掛け9年、おかげさまで記事の数も百を超えました。

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最近改めて過去の記事を見てみると、いろいろと手を入れたいところが目立つようになってきました。

執筆当時にわかっていなかったことがその後の調査によって明らかになったり、新たな写真資料を入手したりしたためです。

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そこでこのたびしばらくお休みをいただいて全体の見直しをすることにしました。

作業期間がどれくらいになるかわかりませんが、合間にぽつぽつ現状報告をしたり、時には記事を加えたりしていくつもりですのでたまにアクセスしてみていただければ幸いです。

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さて前置きが長くなりましたが、今回はお休み前最後の特別編として、横浜市アメリカ山公園にて開催した歴史パネル展「古き横浜の青春 ~プール嬢のアルバムから」展示の写真のなかから特に興味深い3点を取り上げてご紹介します。

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その1 仮装パーティー

この写真は撮影年も場所も不明ですが、壁を覆うほどの大きさのスコットランド旗と日の丸が掲げられていることから、毎年11月30日のスコットランドの祝日、セント・アンドリュース・デイのパーティーの際に撮られたものと思われます。

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会場はかなりの広さですので、領事館か公使館など公的施設かホテル、劇場などの大広間ででしょう。

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100名を超える参加者の服装を見ると、当時の一般的な夜会服にまじってピエロや武士、聖職者などの扮装をしたり、時代がかったかつらを身に着けたりした姿もあるので、仮装パーティーだったと思われます。

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さらによく見ると欧米人だけでなく、日本人と思しき人々も交っています。

白い枠で囲った部分は比較的鮮明で各々の顔立ちが分かりますので、「この顔にピンときた」方はぜひ当方にご一報を! 外国人との親善パーティーの参加者ですから、社会的地位の高い方々かもしれません。

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さて、仮装している人が多いので見分けるのは難しいのですが、この中にはOn the Bluffの常連メンバーもきっといるはず。

目を凝らしてみたところ、断言はできませんが、数名を特定することができました。

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まずこのアルバムの持ち主エリノア・プール嬢。

ぼやけていますが、赤枠で囲った婦人だと思われます。

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そしてわれらがエドウィン・ウィーラー医師。

故郷アイルランドにちなんで緑色の枠で囲ってみました。

豊かな頬髯と突き出たお腹から見て間違いありません。

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眼をつぶっているので見分けが難しいのですが、おそらくこちらがモリソン夫妻。

モリソン氏の故郷スコットランドの旗の地色である青色の枠で囲った二人です。

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ほかにも何となく見覚えのある顔もありますので、はっきりわかったらまたご報告いたします。

 

その2 エドワード七世即位記念写真

 

社屋と思われる建物上部に掲げられた文字ERIはEdwardus Rex Imperatorの略。

英国王エドワード七世(在位1901~1910年)即位を祝って社員一同で記念写真を撮影したときものもののようです。

椅子に座っている6名の西洋人のうち、左から2人目がエリノアの夫ナサニエル・メイトランドですが、何度か勤め先を変えているので残念ながらどの会社か特定することができません。

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ERIの文字を囲むように配置された提灯をよく見ると、エドワード七世とその妃アレクサンドラ、そしてイギリス国旗が描かれています。

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提灯のほかにもイギリスと日本の国旗やリボン状の布があしらわれており、ずいぶん立派な飾り付け。

大英帝国の威信を誇示している印象です。

座っている6名のいかめしい顔つきからもそんな雰囲気が感じられます。

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彼等の後ろには東洋人従業員がずらり。

なかにはよそ見したり、たばこを吸ったりしている人たちも。

数えてみると中国人11名、日本人27名、国ごとに左右に分かれて並んでいるのが興味深いですね。

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中国の人たちの装いは中国服。

日本人のなかには洋装も交っています。

スーツにネクタイ姿の人々は中央に並んでいるので、社内でそれなりの地位についていたと思われます。

端に行くにしたがってだんだんカジュアルになり、着流しに兵児帯といったスタイルも。

子供と言って差し支えないようなあどけない顔もまじっていますね。

 

その3 コスプレ・ロケ撮影

次の3枚の写真は同じときに撮影されたものです。

衣装や場所、ポーズなどなんとなく不思議な感じがしますが、幸いなことにそれぞれにメモが添えられています。

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写真の右はしに〈1893年、江の島にて〉と記されています。

エリノアが15歳ぐらいのときです。

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3名の少女たちの名前も明らかです。

左から〈エミー・リケット、メアリー・ウィーラー、自分〉

「自分」というのはもちろんエリノアのこと。

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エミーの父は海運会社P&Oのエージェントを務めていたジョン・リケット、メアリーはブラフ(山手町)97番地に住むイギリス人医師エドウィン・ウィーラーの長女です。

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エリノアの兄弟バートとチェスター、メアリーの弟たちシドニーとジョージの4人は、ともにブラフの男子校ヴィクトリア・パブリックスクールに通った仲でした。

プール家とウィーラー家の人々が家族ぐるみで親しく付き合っていたことは、エリノアのアルバムにウィーラー家の人々が度々登場していることからもわかります。

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さて3人の少女たちは、おそろいの古代ローマ風の衣装をまとってポーズをとっています。

どうしてわざわざ横浜から江の島に出向いてこんな格好で写真を撮ったのでしょうか。

その答えは次の写真のメモからわかります。

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〈ポインターの『世界の若かりし頃』にちなんで〉

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ポインターとは、当時のイギリスで活躍していた画家エドワード・ジョン・ポインターのことで、「世界の若かりし頃」は、彼が1891年に発表した油彩画です。

ちなみにこの作品は現在、愛知県美術館に所蔵されています。

同館のウェブサイトにも掲載されているので、詳細はそちらをご覧ください。

[ID:4943] 世界の若かりし頃 : 作品情報 | コレクション検索 | 愛知県美術館 (jmapps.ne.jp)

画像はパブリック・ドメインになっているので以下に張り付けておきます。

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エリノアたちはこの絵の少女たちの真似をして衣装をあつらえ、髪を整え、カメラの前でポーズを決めているのです。

さすがに絵にあるようなローマ風神殿は見つからなかったので、江の島で妥協したのでしょう。

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居留地時代の横浜のティーンエイジャーたちがすでにコスプレ、ロケーション・フォトを楽しんでいたとは驚きです。

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エリノアたちがどのようにしてこの絵のことを知ったのか、また愛知県美術館に所蔵されるまでの作品の来歴なども知りたいところですが、わかっていません。

お心当たりの方はぜひご一報願います。

 

図版:
・写真全てアントニー・メイトランド氏所蔵
・エドワード・ジョン・ポインター「世界の若かりし頃」1891年、愛知県美術館所蔵

参考資料:
The Japan Weekly Chronicle, July 6, 1922.

 

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