1912年2月1日木曜日、英国が誇る文豪チャールズ・ディケンズの生誕百年記念祭が横浜・山手178番地のヴァン・スカイック・ホールにて行われた。
ディケンズ作品の朗読や、名場面の上演、それにピアノやヴァイオリンの演奏などを交えた催しは大入り満員の大成功で、主催の横浜文芸音楽協会は大いに面目を施したようである。
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先日、筆者はたまたまイギリスのオークションサイトで、この舞台に出演した素人俳優のひとりのものと思われるアルバムを落札した。
持ち主の名はP. F. アンダーソン。
調べたところ、ロンドンのタイムズ紙から派遣されたイギリス人で、1911年から1912年にかけて横浜に滞在したらしい。
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アルバムにはディケンズ百年祭の舞台写真とともにそれを伝えるいくつかの新聞記事の切り抜きがびっしりと貼り付けられている。
そのなかに日本語新聞(おそらく朝日新聞)のものがあったのでここに紹介したい。
誰かに翻訳を頼んだらしく英文も添えられている。
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ちなみにこの記事を書いたのは当時朝日新聞社の記者であり、ロンドンをはじめ欧米で特派員として活躍したこともある杉村楚人冠という人物だということがわかっている。
楚人冠は和歌山出身で、同郷の河島敬蔵(日本で初めて原文からシェイクスピア劇を翻訳)に英語を学び、随筆家としても知られている。
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文豪のまつり
ディッケンズの百年祭とてヴァン・スカイック・ホールに横浜文芸会催しの素人演芸会がある、一つ見に来ぬかと横浜の友人から電話がかかった、すなわち試みに一つ見に行く。
五時の急行で出かけた、手早く衣物を夜会服に着替えて、ホテルでしたたか晩餐を参った後、月明に馬車を駆って建て連ねた西洋造りの家々の間を山手なるホールの方に向かう、ちょっとロンドンのなにがし町に夜ふけて馬車を打たする心地、思えば懐かしい。
ホールに入るに誰一人入場切符を改める者もいない、八時四十分開会というに来る限りの者はそのときまでに皆来てしまって、ほとんど一人も遅れて出てくる者はない、開会はまさに八時四十分一分も違えず、見れば見物は男女ともことごとくちゃんと礼装できている-今晩の見物は多くイギリス人だそうだ、どこまでもイギリス人はイギリス人でゆく者と見える。
演芸は美しいラッセル嬢のピアノの独奏に始まって取り替えひっかえ、演説やら朗読やら芝居やら独唱合唱の色々合わせて十有三種、素人ながらも中には入神の妙手もあって、グリフィン氏アダム夫人の朗読、ウェラーに扮したアンダーソン氏の声色など大分一同を笑わせた、分けて、オリバー・ツイストの一幕に本会の幹事ベル氏がバンブルに扮しその細君がコーニー夫人となって握手したり接吻したり散々ふざけ合ったあげく抱きつき合った幕などは実にすこぶる非常に振るった、満場大喝采、イギリス人が平生極めて生真面目腐っていながら、いざとなると思い切ってはしゃぎ回るところは大いに踏める。
会の果てたのがちょうど十一時半、またも月明に馬車を駆って眠ったような町の間を抜けてゆく。
(二日朝横浜にて楚)
(読みやすさのため旧字を改めました)
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この日本語記事は上下逆さまに貼られるという無造作な扱いをうけているが、その翻訳文を読んだアンダーソン氏は自分の演技が賞賛されているのを見て大いに気を良くしたに違いない。
横浜に来てまだ間もなかったにもかかわらず、氏はこの時の舞台に合計3回も登場している。
当日のプログラムでその活躍ぶりが確認できる。
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演 目
第一部
1. 開幕 ショパン/プレリュード 17番 L. ラッセル嬢
2. 講演 「ディケンズの生涯」 ベル夫人
3. 劇「従僕たちが風呂場でサム・ウェラーを楽しませる」(『ピクウィック・クラブ』よりハリス家、奥座敷の場)
ハリス(八百屋)…ハロルド・ベル氏
タックル…R. H. ボックス氏
ジョン・スモーカー…F. W. ロウボトム氏
ファイファー…L. A. R. キング氏
青党の紳士…A. ティプル氏
御者…W. ブランデル氏
サム・ウェラー…P. F. アンダーソン氏
4. 朗読 「ドゥザボイーズ・ホール」(『ニコラス・ニクルビーより』) C. グリフィン氏
5. 二重唱 「荒波はなんていっているの」(『ドンビー親子』より)
フローレンス…ブース嬢
ポール…S. H. サマトン氏(文芸協会副会長)
伴奏 モールトン嬢
6. 劇「デリカシーのない男」(『二都物語』よりロンドン、マネット医師宅の応接間の場)
ジュディス・マネット…ボックス嬢
シドニー・カートン…P. F. アンダーソン氏
第二部
1. ヴァイオリン独奏 チャールズ H. ソーン氏
伴奏 リピット嬢
2. 劇 「バンブルの求婚」(『オリバー・トゥイスト』より救貧院、コーニー夫人の客間の場)
コーニー夫人(救貧院婦長)…ベル夫人
救貧院の老人…ホール嬢
バンブル(教区役人)…ハロルド・ベル氏
3. 朗読 「バークスは喜んで応じます」(『デイヴィッド・コパフィールド』より) ダグラス・アダム夫人
4. リビング・ポートレート
『ニコラス・ニクルビー』
スマイク…V. デーリング氏
ニューマン・ノッグス…H. W. ロウボトム氏
『骨董屋』
老人…W. バンデル氏
リトル・ネル…ボックス嬢
『バーナビー・ラッジ』
ドリー・ヴァーデン…M. キャメロン嬢
バーナビー・ラッジ…T. ブルー氏
『マーチン・チャズルウィット』
セアラ・ギャンプ…W. M. カミング夫人
『ドンビー親子』
カトル船長…R. H. ボックス氏
『互いの友』
リジー…ホール嬢
ライア…L. A. R. キング氏
『デイヴィッド・コパフィールド』
ウィルキン・ミコーバー
ベッツィー・トロットウッド…キャメロン嬢
チャールズ・ディケンズ
5. 朗読 「カトル船長とバンズビー」(『ドンビー親子』より) C. グリフィン氏
6. 劇 「唯一の道」(『二都物語』より)
シドニー・カートン…P. F. アンダーソン氏
7. アポテオシス
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第2部で演じられた「リビング・ポートレート」とは、役者がディケンズ作品の著名な登場人物に扮した姿を舞台で披露したものと思われる。
(「活人画(tableau vivant)」という語が使われていないので、そのままカタカナで表記しました)
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アンダーソン氏は記事にあるとおり、『ピクウィック・クラブ』のウェラー役のほか、『二都物語』の主役ともいえる弁護士カートンを2度にわたって演じている。
第一部では、カートンが愛するルーシーに、自分は彼女にふさわしくないと言って別れを告げる場面、次は彼がルーシーの幸福のために自ら断頭台への道を進もうとする場面で、これは第二部の最後、つまりプログラム全体の掉尾を飾る大役である。
素人とはいえ、これほどの名場面を演じるからにはさぞかし魅力的な俳優だったのだろう。
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それでは舞台写真のなかの、どの人物が彼なのだろうか。
あらためてアルバムに残された3枚の写真をみてみよう。
ちなみにこれらの写真すべてに、山下町102番地で絵葉書の版元を営む米国人写真師、カール・ルイスによって撮影されたことを示す「Karl Lewis」という名が添えられている。
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冒頭の写真と次の1枚を比べてみると、いずれも写っている人数は14名、位置は多少入れ替わっているものの全員衣装も同じ。
おそらく上演前か後に集合して撮影したと思われる。
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もう1枚は新聞記事に掲載されたものの切り抜き。
「従僕たちが風呂場でサム・ウェラーを楽しませる」というキャプションが添えられているので、第一部の3番目の演し物、「『ピクウィック・クラブ』よりハリス家、奥座敷の場」出演者一同の写真である。
このなかのサム・ウェラー役がアンダーソン氏ということになるが、果たしてどの人物か。
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ディケンズの小説の登場人物の多くが個性的で衣服や持ち物にも特徴があるので、作品に慣れ親しんでいる読者ならば、これらの写真を見ただけで役柄を特定できるのかもしれない。
しかし残念ながら筆者にはそのような素養がないためどの人物がアンダーソン氏なのかは特定できない。
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写真とプログラムに記された配役とを見比べて、だれがどの人物か特定できる方、この人こそわがアンダーソン氏であると言い当てることができた方がもしいらっしゃれば、ぜひともご一報願いたい。
図版
すべてP. F. アンダーソン氏のアルバム所収(ディケンズ肖像はアルバムに貼付されたThe Japan Weekly Mail, Feb. 2, 1912の切り抜き記事より)
参考資料
・The Japan Weekly Mail, Feb. 10, 1912
・The Japan Gazette Directory, 1912
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