横浜の外国人居留民にとって子弟の教育は長年にわたり悩ましい問題であった。
本国から遥か離れた横浜には、欧米人の子供に優れた教育を提供する施設がない。
住民の多数を占める英国人達は、横浜にパブリックスクールを設立することでこの問題を解決しようと動き始めた。
そして1887年(明治20年)ヴィクトリア女王在位50年を迎える年、ついにヴィクトリア・パブリックスクール開校の運びとなったのである。
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「パブリック」という言葉から「公立学校」と受け取られがちだが、英国のパブリックスクールはあくまで民間の資金によるもので上流階級の子弟が通う私立学校であった。
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設立委員会は、国内のみならず本国にも働きかけて寄付を募った。
運営基金は既に約5,500ドルと順調に集まり、少なくとも開校に必要な額は確保したものの、まだ目標には達していない。
受け付け締め切りとなる12月末までに英国人居住者全員の名が出資者リストに揃い、めでたく目標額達成となるようさらなる働きかけが続けられていた。
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さて、新たな学校の概要は次の通りである。
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学科は英文法、作文、朗読、書き取り、簿記、ラテン語、英国とアメリカの歴史、数学、幾何学、代数学、物理学、フランス語、ドイツ語、音楽、美術と、本国と遜色ない教育内容である。
学費は1学期につき、11歳以下で約20ドル、それより年長者は30ドル、同じ家庭から生徒2人の場合は10パーセント、3人の場合は20パーセント割引となる。
低所得世帯のためにさらなる割引を適用することが検討されている。
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新聞等に入学案内を掲載した結果、8歳から17歳まで40名の生徒の入学が決まった。
その中には5、6名の東京からの寄宿生や長崎からの1名が含まれている。
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校長に就任したのは英国より夫人を伴って来日したヒントン氏。
パブリックスクールの名門、ラグビー校を卒業後オックスフォードに進み、ベリオールカレッジの奨学生に認められ、教鞭をとるかたわら研究を続けて修士号を取得した。
ちなみにこの人物、「四次元ブーム」を引き起こすきっかけとなるエッセイ「第四の次元」などを発表した数学者チャールズ・ハワード・ヒントンその人である。
補佐役にはチューリヒ大学卒のH. L. ファーデル氏が就任した。
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こうしてブラフ(山手町)179番地に校舎が建てられ、1887年10月1日(土曜日)、ヴィクトリア・パブリックスクールは晴れて開校の日を迎えた。
式典といえるほどのものは行われなかったものの、最初の朝礼にあたり、ヒントン校長は新入生たちに向けて次のように語りかけた。
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諸君、諸君は英国女王について多くを耳にしてきたであろう。
女王は世界で最も高貴にして最も力ある女性である。
イングランド、スコットランド、そしてアイルランド、カナダ、オーストラリア、インド、その他、数えきれないほどの島々、それらがみな女王に従い、そのすべての船員、すべての兵士が女王に仕えている。
女王陛下を思うとき、兵士はさらに勇敢に戦い、船員は自らを襲う風や敵の弾丸への畏れを忘れ、ひるむことなく自らの義務を遂行する。
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本校に入学した諸君もまた女王に奉仕する一員となったのだ。
しかし諸君の赴く先は戦場でもなければ、大海原でもない。
学びの海へと船出したのだ。
諸君は女王の生徒であり、諸君が女王のために戦う相手は難解な書物だ。
諸君は覚えるために努力しなくてはならない。
ほかのことに気を取られたり、怠けたいと思ったりした時にも諸君は懸命に闘い、勉強に取り組み続けなければならない。
女王陛下への奉仕は容易ではないが、それは名誉ある奉仕だ。
そこにおいて諸君はキャプテン、すなわち本校の指導者に服従しなくてはならない。
彼らは諸君を勝利へと導くであろう。
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諸君、諸君は学ぶためにここに来た。
私がその意味を教えよう。
諸君は有用な人間になる。
諸君は経済力を身に付ける。
諸君は世界のいかなる場所に行こうともそこで友人を得る。
しかしこれらのことを実現するためには代償を払わなくてはならない。
努力なしには何事もなしえない。
そして君たちの努力とはすなわち誠実さである。
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私はある少年を知っている。
彼はかつて非常に悪いことをしたが、父にはしていないと言った。
彼は父親が近づくたびに自分のしたことがばれてしまうのではないかと恐れた。
父親に呼ばれた時、彼は叱られてお仕置きを受けるのではないかと恐れた。
しかし父はただ散歩とゲームをするために彼を呼んだのである。
少年はついに父親に打ち明け、親子は再び幸福を取り戻した。
なぜなら罰を受けないことは、恐れを抱いたり、うそをついたりすることと同様にいけないことだからだ。
そう、諸君は自らの行いを私に知らせなければならない。
これは私が諸君に課す訓練である。
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諸君は学校において何が正しくて何が悪いかということを熟知している。
何か悪いことをしたら、私に告げなさい。
そうすれば諸君は何事も恐れる必要はない。
私のもとで諸君は良く学び、よく遊ぶ。
そうしてゆく先々で、人々は諸君についてこう述べるであろう。
「ここによき英国人がいる。
良く働き、よく遊び、何事にも意欲的に取り組む。
どんなに卑劣な人物に対してさえ、不実な態度を取ることを恥とする男だ」これが諸君の務めだ。
私はこれが困難であることを知っている。
なぜならそれはしばしば避け得る罰さえも甘んじて受けるであろうことを意味するからだ。
しかし私は諸君のことを理解すればこそ、あえて罰を受けよと注意する。
それこそが諸君のためになる。
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諸君は若い。
目の前には、計画し、考えるべき人生がある。
君たちは未だあずかり知らない内外の危険に取り囲まれている。
しかし諸君が常に十分な勇敢さを以て誠実にふるまえば、すべての危険から逃れるだろう。
なぜなら我々の上におられる偉大なる神が、若き者、老いたる者、偉大なる者、小さき者それらすべての者に目を注ぎ、年齢に関わらず、彼が誠実で、誰ひとり欺いておらず、しかも自らを神の御手に委ねているとき、神はどんな場所にもおられ、その者がいかなる困難と障害に見舞われていようが、すべてが正しい方向に進み始める。
その者は自らを導く手と、すべての者の父からの愛を感じる。
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諸君、もし諸君が、祈りがわからないように思うとき、また両親が神について語るのを聞いても理解できないとき、自らが完全に誠実であるか考えて見たまえ。
だれかを欺いていないか考えて見たまえ。
もしも思い当たることがあれば、即座に行ってそれを正しなさい。
そして自らの曇りを取り除いた時、神のみ姿を曇りなく見ることであろう。
写真:“Charles Howard & Mary Ellen Hinton & children c.1890”(https://www.ancestry.com.auより引用)
参考資料:
・The Japan Weekly Mail, October 8, 1887
・The Japan Gazette, December 20, 1887
・『女学雑誌』第84号、明治20年
・新井潤美『パブリック・スクール―イギリス的紳士・淑女のつくられかた』 (岩波書店、2016年)
・宮川雅「ヒントン―人と作品」『科学的ロマンス集』月報(C.H.ヒントン著、宮川訳、国書刊行会、1990年)
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