
1890(明治23)年4月25日、横浜居留地の娯楽の殿堂パブリックホールで子どもたちによる童話劇が上演された。
ブラフ・ガーデン(山手公園)のためのチャリティーイベントである。
英国領事館の医療顧問を務めるウィーラー医師やモリソン商会のモリソン氏ら居留地きっての有名人の幼い家族も出演。
わが子の晴れの姿を彼等はどんな顔で見守ったのであろうか。
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最初の出し物は誰もが知っているグリム童話「赤ずきん」。
主役に扮するのはモリソン家の令嬢マーガレットちゃん9歳。
15歳になるメアリー・ウィーラー嬢が母親役である。
おばあさんをお見舞いに行くよう母親に言いつけられた赤ずきんは森にさしかかったところでブレント君扮する樵に出会う。
「オオカミに注意」と書かれた看板、赤ずきんを見送るブレント君の「あの娘はきっと大丈夫だよな」という心配そうなつぶやきが観客の不安をあおる。
そこにオオカミ役のヘイネン君が登場し、赤ずきんちゃんに言葉巧みに話しかけ、寄り道をするようそそのかす。
先回りしておばあさんを食べてしまい、赤ずきんが着いたらデザートに頂こうという企みである。
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次の場面はおばあさんの家。
オオカミが現われ、おばあさん(スミス嬢)が外に逃げ出す。
それを追っていったオオカミがやがて満足そうに腹をさすりながらベッドに戻ってくる。
赤ずきんを騙すためにおばあさんの服を着込むヘイネン君。
「なんでばあさんはこんなものを着るんだ」と四苦八苦する様子に笑いが起こり、オオカミがおばあさんの帽子を右の耳にかけて見せたとき、それはどよめきに膨れ上がった。
笑いのさなかに赤ずきんが登場。
危うくオオカミの餌食となるところを樵に助けられる。
おばあさんの不幸を知り、涙する赤ずきんの前に、当人が無事現れる。
丸呑みにされたため怪我もなく腹から助け出されたのだ。
赤ずきんの母親もやってきて一同、歓びのダンス。
そこになぜかオオカミも現れ、心から詫びてダンスに加わるところで幕となった。
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チビッコ俳優たちの名演に盛大な拍が手鳴り響いた。
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後半の演目はルイス・キャロル作「不思議の国のアリス」。
約20人の子どもたちに大人が数名加わってにぎやかに演じられ、客席から笑いは絶えなかった。
主な出演者は次の通り。
アリス…スミス嬢
庭師たち…ヘイネン君、モリソン君、アーウィン君
王様…アンダーソン君
処刑役…ウィーラー君
ハートの女王…F. エルドリッジ嬢
公爵夫人…G.モリス嬢
コック…C. ライス嬢
ヤマネ…M. モリソン嬢
きちがいの帽子屋…スミス君
三月うさぎ…G. ウィーラー君
セイウチ…リンズレー君
大工…モリソン君
ライオン…J. リンズレー君
ユニコーン…ヘイネン君
召使い…ウィーラー君
ニセウミガメ…C. ライス嬢
コックが胡椒の箱を公爵夫人と赤ん坊に投げつける場面で客席は大爆笑。
ライス嬢扮するニセウミガメが感動的なバラード〈夕べのスープ〉を歌い、きちがいの帽子屋がお玉で伴奏し、セイウチがシンバルよろしく2枚のパンを打ち合わせ、三月うさぎがヤマネの頭をこづき、動物たちのほとんどが涙を流す場面はまさに圧巻であった。
終盤、女王の命令に従い処刑役がアリスの首を切ろうとする、まさにその瞬間!…… 一幅の活人画を最後に芝居は幕となった。
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主な役柄はもちろんのこと、端役にいたるまで落ち着いてセリフを言えたのは驚くばかりである。
衣装も音楽も素晴らしく、両作品のどの場面の舞台装置も適切で趣深いものであった。
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上演の間中、笑いと称賛が次々に起こり、時にはその両方が客席を包んだ。
人々は心から満足し、小さな芸術家たちには美しい花束が贈られたのであった。
写真:左から成人後のウィーラー医師の次男ジョージ、長女メアリー、長男シドニー(Peter Dobbs氏所蔵 撮影時期不明)
*参考資料からメアリーが「赤ずきん」のお母さん役、ジョージが「不思議の国のアリス」の三月うさぎ役で出演したことがわかるが、処刑役と召使いはファーストネームなしで「ウィーラー君」と記されており、人物が特定できない。 シドニーが出演している可能性もある。
参考資料:The Japan Weekly Mail, May 3, 1890
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