1899年(明治32年)1月7日土曜日の午後、横浜山手の谷戸坂上にあるパブリックホールでは外国人居留民の子供たちによる仮装舞踏会が開催されていた。
前日深夜まで続いた大人たちのそれと同様、老朽化したクライストチャーチを山手に移設するための募金集めの催しであった。
ホールは緑とまん幕で飾り付けられ、思い思いに工夫を凝らした仮装の少年少女が楽団の演奏に合わせて躍る姿に親たちもご満悦の様子である。
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このイベントには、もう一つお楽しみが用意されていた。
5日前に銀婚式を迎えたエドウィン・ウィーラー医師夫妻に子供たちから記念品がプレゼントされるのである。
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アイルランド・ベルファスト出身のウィーラー医師は、1870年に来日。
その約5年後、英国公使館で同郷のメアリー嬢と結婚式を挙げ、その後25年間、一度も帰郷することなく地域医療に従事してきた。
明るく気さくな人柄で、居留地の誰もが彼に親しみと深い尊敬の念をいだいている。
今日参加している子供たちのほとんどが、この温和な医師のもとで産声を上げたのである。
夫妻の古くからの友人で、医師とはクリケット仲間でもあるモリソン商会の経営者、J. P. モリソン氏が、子供たちに代わってウィーラー医師に銀製のクラレット・ジャグと造花のスタンドを贈り、次のように述べた。
あなたを取り囲む子供たちと、そして今日この場にいない多くの人々を代表して、あなたの銀婚式を記念してささやかな品を贈呈するよう依頼されました。
私は小さい人たちのスポークスマンを務めさせていただけることを非常にうれしく思っています。
紳士淑女諸君、ウィーラー夫妻の全ての歩みを通じて友情を育んできたことは、私にとって誠に幸せなことです。
私たちの中で、ウィーラー医師の優しい微笑と共に発せられる、明るい「おはようございます」の挨拶や、不安を抱く多くの母親たちに安らぎを与えてくれる心強い言葉を知らぬものがいるでしょうか。
そして彼が私たちにしてくれたことで、彼を愛さないものがいるでしょうか。すべての子供たちが彼を愛しています。
だからこそ子供たちはこの良き医師への心からの感謝の気持ちから、みんなで協力して銀婚式のささやかな思い出にとこれを用意したのです。
私たちは、医師への愛情と敬意を示すことのできるこのような機会を持てたことを嬉しく思い、特にそれを私たちの子どもたちを通して共にできたことを喜ばしく思います。
長きにわたり彼がこのコミュニティーに与えてくれたのは、私たち全員への優しい心遣いでしょう。
ドクター ウィーラー、このような機会においてはあまりに言葉足らずかとは思いますが、子供たちに代わって、ささやかな品を受け取ってくれるよう心からお願いします。
そして心を込めてあなたとそのご家族の健康と幸福をお祈りいたします。
ウィーラー医師は手短に謝意を述べ、イベントは「Hip hip hooray!」の三唱を以てめでたく幕を閉じたのであった。
写真:Peter Dobbs氏所蔵 撮影時期不明
左よりウィーラー医師、次男ジョージ、長女メアリー、長男シドニー、ウィーラー夫人。背後の建物は一家の自宅(ブラフ97番・現在の横浜市アメリカ山公園)と思われる。
参考資料:The Japan Weekly Mail, January 14, 1899
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