On The Bluffー横浜山手居留地ものがたり

山手外国人居留地(ブラフ)に生きた人々の「ある一日」の物語を毎月一話お届けします。

■写真が語る1908年横浜メモリアル・デー(後編)

2023-09-27 | ある日、ブラフで

前回に続き1908年5月30日メモリアル・デーの写真を紹介する。

写真はすべて当日横浜での式典に参加した米国海軍戦艦デンバーの乗組員の一人ジョン・カウト氏の旧蔵品。

筆者が最近入手したものである。

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戦艦デンバーの一行はフランス波止場に上陸し、楽隊を先頭にブラフ(山手町)99番地の米国海軍病院まで行進。

病院の敷地内で行われたトーマス・オブライエン米国大使主宰の礼拝に参加したのち、外国人墓地にある軍艦オネイダ号犠牲者の記念碑に赴き献花を行った。

オネイダ号は1869年に横須賀の観音崎沖で沈没した米国海軍戦艦である。

一連の式典には、米国海軍軍人ほか、米国人をはじめとする横浜の外国人居留民が多数参加した。

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各々の写真の裏には当時横浜で写真店を営んでいた米国人カール・ルイスのスタンプとともにカウト氏によるメモ書きが記されている。

今回紹介する写真の説明文はこのメモをもとにして筆者が書き添えたものである。

 

横浜港フランス波止場に上陸する水兵らの大隊。

フランス波止場の場所は現在の山下公園内の沈床花壇にあたる。

 

フランス波止場に整列する米国海軍戦艦デンバー中隊を含む大隊。

背後に見える洋風建築はオリエンタルパレスホテル。

 

米国海軍病院で行われた礼拝で「共和国讃歌」を歌う米国人と第三戦隊将校ら。

下は一部を拡大したもの。

右側黒点のついた二人の人物が戦艦デンバー艦長キャパートン、同クリーブランド艦長クレイン。

左から3番目の人物は風貌から推しておそらくフエリス和英女学校第二代校長ユージーン・サミュエル・ブース氏。

 

米国海軍病院での礼拝を終えて、外国人墓地内のオネイダ号記念碑に向かう人々。

戦艦デンバー艦長W. B. キャパ―トン(黒点)、米国海軍太平洋艦隊司令官I. N. ヘンフィル少将(×印)、U. F. W.オブライエン駐日米国大使(〇印)

 

オネイダ号記念碑に花を手向ける米国海軍病院の患者ら。

右側後方 将校の制帽・制服を着用した2名は戦艦デンバー水兵中隊を指揮するスタントン・L. ハザード少尉、トーマス・W. ウィザース少尉。

 

カウト氏が所持していたメモリアル・デーの戦艦デンバー歓迎晩餐会メニュー。

1909年のもので、ホテル名は記載されていない。

主菜は七面鳥のローストと子牛肉のミートローフ、脇皿としてグリンピースやマッシュドポテト、レタスとトマトのサラダなどが供された。

デザートはイチゴのショートケーキ生クリーム添えとあるが、私たちが親しんでいるスポンジケーキを用いたものと異なり、
アメリカではパンのような台にイチゴとクリームを挟んだ菓子を指すとのこと。

 

メモリアル・デーの写真ではないが、それらとともに保管されていた1枚。

水兵服を着用していることから、おそらくカウト氏本人と思われる青年と若い婦人。

おそらく恋人との思い出の一枚か。

だとすれば、とびきり器量よしで自慢の彼女だったこと間違いなしだろう。

 

図版:
・写真及びメニューカード すべてジョン・カウト氏旧蔵品(筆者蔵)

参考資料:
The Japan Weekly Mail, June 6, 1908.
・ジョン・カウト氏の日記

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