少しだけ One for All

公的病院の勤務医です。新型コロナウイルスをテーマの中心として、医療現場から率直に綴りたいと思います。

対岸の火事 2   ーーー新型コロナウイルスについてーーー

2021-04-30 00:02:11 | 日記

 さる報道番組で、近畿の有名大学病院の院長がリモート出演していて、数床しかつくっていない重症病床を、ここから2床増やすことがどんなに大変なことか、とニヤニヤしながら語っているのを見て、なんとも表現できないような虚しい気持ちになりました。あの病院でコロナ診療を担当させられているスタッフの大変さを想像しました。

 1000床近い病床数を持つ病院が、重症病床を数床しかつくっておらず、たったそれだけでさも協力しているかのように誇らしげにテレビ出演し、あたかも現場で働いているもののように苦労を訴える。コロナ診療を貧乏くじとしか考えず、使命感等とは程遠いところにいるこの院長の下でコロナ診療をさせられているスタッフたちの苦労が容易に想像できました。挙句、増床してもわずか2床です。病院長である彼の力をしてできることはもっとあるはずです。

 (そのことについて、今年の2月に「日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から (1)~(9)」に記載させていただきました。もしお時間がありましたら、その中でもとくに、今年の2/13から15にかけて掲載した「日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から (5)重症ベッドを作れる巨大施設」 「(6)重症ベッド100床の箱」「(8) 大学病院の実力」に目を通していただけると、大学病院への私の期待と、厳しい言葉を投げてしまう理由がわかっていただけるのではと思っています。もしご一読いただけたら、望外の幸せです。)

 

 このコロナへの、医療界の対応の仕方に、私は驚いていますし、信じられない気持ちです。それと同時に、周囲(国などの行政や政治など)がそれを許し続けていることにも驚いています。一般の人の声も上がってきません。

 

 なぜなのでしょうか?

 

 最近思ったのは、大変だ、大変だ、と言ってはいるものの、実は、行政も含め世の中は、この疾患を重大な病と捉えきれていないのではないか、ということです。

 この新型コロナウイルス感染症は、大多数の軽症の患者にフォーカスを当てたり、若者に焦点を当てれば優しい顔をしていて(しかし、これからは変異株がそれをゆるさなくなっていくでしょうが)、重症者を切り捨てる(まさに今の方針)ことを密かに選択すれば、まるで世の中が問題なく回っていくような錯覚を起こす、厄介な側面があります。

 だからオリンピックをやろうとしたりもするし、外国からの入国制限も甘いままにして変異株も侵入させるし、医療体制がすでに医療崩壊をおこしていても見過ごして許されているのかも、と思いました。どこかやはり対岸の火事なのかも、、、

 

 このコロナという疾患は、果たしてそんなに甘い対応でゆるされる疾患でしょうか?怖さだけを強調するのはパニックを煽るようでいけないことですが、目を閉じて見ないふりをするのもいけないことでしょう。疾患の怖さは、きちんと事実として把握しないといけないのではと思います。そのことが、対岸の火事ではない、と意識を現実に引き戻すことになり、惨事を未然に防ぐ力になるのかもしれない、と思うようになりました。

 

 続けたいと思っています。

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対岸の火事   ーーー新型コロナウイルスについてーーー

2021-04-29 12:14:58 | 日記

 「70歳以上には気管挿管処置(人工呼吸器で治療すること、いわゆる重症治療)はしない。」という選択を今の状況ですることは、正しく戦う努力もせずに白旗を上げることで、信じられない思いです。命を大切にするのではなく、現状の権力構造が変更されないことを優先して大切にしているのですから。

 

 「コロナで大変ですね。お忙しいでしょう。」と医療業界へ声をかけられることもありますが、日常診療の中で、実際にコロナ対応で忙しいのは、現場に駆り出されいる一部のスタッフです。基本的にそれ以外のスタッフは、診療控えがあったり、病院が面会制限をしたり(家族対応への時間が少なくなります)、事務作業を簡略化したりすることで、これまでより時間に余裕が生まれていることが多いと思います。コロナだから大変、という医療スタッフは限られているはずです。

 例えば、私の知っている市民病院は、仕事がないから今のうちに有給を取りなさい、と言って、医師を14時に帰らせていたのを知っています。昨年のコロナ禍の時です。コロナの入院をごく少数しか受けず、その上でしかも内科の医師まで14時に帰しているということを知って、かなり驚きました。すごい(逆の意味です)病院だな、よくそんなことができるな、というのがそれを聞いた時の正直な気持ちでした。やれることを尽くしていたらいいのですが、そうではないのが(ずっと職員数の少ないわたしたちの病院に、コロナ病床の増床が保健所から要請されてきていたのですから)わかっていたのでそう思えたのだと思います。

 このコロナ禍に上手に職員の労働時間を管理しましたね、って褒める役人とかがいるのだろう、と推測もでき、責められるどころか褒められてるんだろうな、と少し虚無的な気持ちにもなりました。

 その市民病院は、私が見るところ、流石に今は14時帰ることはしていないと思いたいですが、コロナ対応は今でも同じような調子です。そうした病院では、実際にコロナ対応を任されているスタッフへの協力も推して知るべしです。おそらく、院内の協力が得られない中、ごく一部の心ある医師やスタッフが、青色吐息で対応していることと思います。そして、その人たちの苦しい思いや、現実に即した声は、ごろつき上層部に手柄だけ持っていかれて、声は消されます。

 実際は、こんな市民病院は少ないと思います。すごく苦労している市民病院が多いと思います。このことで私が言いたいことは、そんな中でも、下衆な上層部が生まれてしまうと、こんな病院が成り立ってしまう、ということです。その一例です。そして、その極まったところが今の大学病院だと思うのです。

 続けたいと思っています。

 

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本気度とカモフラージュと二枚舌 3   ーーー新型コロナウイルスについてーーー

2021-04-28 23:46:31 | 日記

 「70歳以上には気管挿管処置(人工呼吸器で治療すること、いわゆる重症治療)はしない。」ということを、県の方針として、いともあっさりとひそかに決めていること。そして、おそらく現在の逼迫地域やまん延地域では、そうした方針で進めてしまおうとしているだろうこと。コロナ病床を増やす努力をあっさりと諦めていること。このことに、私は驚いていますし、信じられない気持ちでいます。ところが、どうやら私が驚いているほどにはあまり実はそんなに重大なことと思っていないのではないか、と最近思うようになってきました。

 

 今年初めの、いわゆる第3波で、特に首都圏を中心として、治療すら受けられずに亡くなる人が出る中で、黙っていることができなくなって書いたのが、このブログの始まりのテーマ「日本の医療崩壊の本質」でした。

(最下段にリンクを張りました。もしお時間のある方はご一読いただけたら光栄です。)

 そこに、なぜコロナ診療用のベッド数が増えないか、どうしたらコロナ診療用のベッド数を増やすことができるか、を記載したつもりです。現状の散漫な医療機関への要請対応では、すでに限界が見えていて、本当にベッドを確保するのならば、本当に仕事をするべき医療機関(大学病院以外にないと私は考えています)に仕事をさせるべきであることを書きました(大学病院にはもっと大切な仕事が、、、というのも建前に過ぎないことを記載したつもりです)。

 そして、重症ベッドを増やすことをしない限りは、民間病院の受け入れを進めても、本質的にコロナ患者を救うことにはつながらず、医療としては「ただ入院させるだけ」になることや、「重症者を助けることには全く寄与しない」ことを記載したつもりです。

 実際その通りになっており、重症ベッドが増えない結果、現在は70歳というところに理由もなく治療区分を作り、その人たちの重症治療をしないことで、69歳以下の重症者を救うという決定をしたわけです。それはイタリアの医療崩壊の時と同じ手段であり、すでに医療崩壊を計画的に(笑?笑いごとじゃないですが)受け入れているのです(これが笑わずにおれるでしょうか)。

  

 日本の呼吸器内科医や、集中治療医や、救急医が集中している病院がどこかを考えれば、コロナ診療の拠点を置くべき病院がどこか、自ずと答えが出る(出ている)はずです。

 呼吸器内科、集中治療、救急、、、どれも医局(医師の集まりで、会社みたいなもの)集団で存在しているのが大学病院です。専門医の集団です。

 そこにコロナ診療の拠点を置いていないこと、それが日本のコロナ診療体制を脆弱にしている諸悪の根源だと私は考えています。

 そして、独立法人化してからの大学病院は、冗談抜きで、売り上げ追求病院になっています。売り上げの最も良い科の部長が院長になり、さらに売り上げ追求を推し進めています。医療の役割だとか、使命だとか、完全に忘れ去られ、とにかく笑っちゃうほど売り上げです。このコロナ禍の中で、コロナ医療に病院を差し出さず、一般病院でもできる白内障や骨折などの手術をせっせとやっているのが今の大学病院です。先の「日本の医療崩壊の本質」にも記載しましたが、ロボット手術だって、今や大学病院でなく、周辺の関連病院でできるのです。

 売り上げを追求しているくせに、いかにも日常診療を守っているというような顔をしているのが今の大学病院です。売り上げを追求しているくせに、一般病院でできる医療を、さも自分のところでしかできない医療のようにやっているのが、今の大学病院です。

 一般病院は、売り上げがなければ本当につぶれてしまいますが、いくら独立法人とはいえ、大学病院は売り上げがなくてもつぶれません。ただ、院長が変わるだけです。つまりは売り上げ競争でしていることは、病院を守ることでもなんでもなく、自分たちの権力争いだけです。コロナ禍の中に病院を差し出すような勇断は、医療の本質を理解し、高邁な意志を持ち続けた医療者でないとできません。そんな人は、おおよそその権力闘争の中で真っ先に排除されています。だから、この逼迫状況に手を挙げないではいれないような善意の人はおらず、一般病院が苦しんでいるのをニヤニヤとして見ているような、下衆な魂が上層部で群れをつくっています。私から見れば、医師免許を持っているだけのごろつきです。大学病院内では、病院をあげて取り組まず、救急科や集中治療医のみに押し付けて、押し付けた自分の政治力に満足し、スズメの涙のようなベッドだけ提供して、まるで自分が貢献してるが如く偉そうにしている、、、この下衆なごろつきがのさばる状況を変えなければ、日本に重症ベッドは増えないのです。しかし、彼らの二枚舌は優秀で、ここまで社会を騙しおおせています。そしてなんととうとう、「70歳以上には気管挿管処置(人工呼吸器で治療すること、いわゆる重症治療)はしない。」という医療崩壊まで受け入れさせるような社会にしてしまっています。

 

 早く、この二枚舌の催眠術からみんながさめてくれないか、そんな思いで書いてます。

 

 続けたいと思っています。

 
#「日本の医療崩壊の本質(1)〜(9)」
 第3波の時(2021年2月)に記載した文章です。当時は、医療崩壊の原因として、民間病院が槍玉に上げられていました。民間病院を槍玉に上げるのは間違っていましたし、槍玉に上げたところで医療体制の歪みは何も変わらず、改善もされませんでした。当然です。大学病院が動かないかぎり、この重症ベッドの極端な不足から生まれる医療崩壊が解決することはないからです。大学病院がこのコロナ禍から逃げていることが、こんなにあっさりと医療崩壊をきたす本質であることをそこに記載しました。今もその医療体制と何も変わっていません。現在でも医療崩壊の本質は同じです。もしお時間がありましたら、下のリンクからでも、少しでも御目通りいただけたら光栄です。
 リンク:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9) )

 

 

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本気度とカモフラージュと二枚舌 2   ーーー新型コロナウイルスについてーーー

2021-04-26 00:29:43 | 日記

 「70歳以上には気管挿管処置(人工呼吸器で治療すること、いわゆる重症治療)はしない。」ということを、いともあっさりとひそかに決めて、県の方針として重症患者の転院を断る理由にもしている、という衝撃(ひょっとして、そう感じるのは私だけ?違うと信じたいですが、、、)の事実。

 それは、とにもかくにも重症ベッドが少ないからに他なりません。

 
(そのことについて、第3波の時(2021年2月)に記載した文章が、「日本の医療崩壊の本質(1)〜(9)」でした。当時は、医療崩壊の原因として、民間病院が槍玉に上げられていました。民間病院を槍玉に上げるのは間違っていましたし、槍玉に上げたところで医療体制の歪みは何も変わらず、改善もされませんでした。当然です。大学病院が動かないかぎり、この重症ベッドの極端な不足から生まれる医療崩壊が解決することはないからです。大学病院がこのコロナ禍から逃げていることが、こんなにあっさりと医療崩壊をきたす本質であることをそこに記載しました。今もその医療体制と何も変わっていません。現在でも医療崩壊の本質は同じです。もしお時間がありましたら、下のリンクからでも、少しでも御目通りいただけたら光栄です。
 リンク:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9) )

 

 だからと言って、断った医師や病院を責めるのは酷です。今、コロナ医療に従事している彼らは、誰も本気で統制をとろうとしないこの散漫な医療体制の中で、まさに身を挺して診療に従事している立派な医療者です。本来仕事をすべき医療機関があぐらをかいて動かない中、見かねて一生懸命コロナ診療に従事している心ある医療スタッフです。本当のするべき仕事をしていない人は別のところにいます。

 

 いずれにしろ、県は、少ない重症ベッド数でやりくりするために、重症ベッドを増やす手段を追求するのではなく、患者の選別(70歳以上には重症治療を施さない)という手段を選択したことになります。

    

 つまり、少なくとも私のいる県では、現在の新規感染者にとっては、かつてのイタリアと同じ状況になっているわけです。今、感染してしまうと、70歳以上であれば、人工呼吸器は使用してもらえないわけですから。

 人工呼吸器を装着したり、集中治療室に入ったりしなければ、重症者にカウントもされません。仮にお亡くなりになった場合、重症者数をスキップして死者数にカウントされることになります。発表される重症者数の裏に、隠れた重症者がいるわけでもあります。

 

 これは私の県だけのことでしょうか?日本のごく一部の特殊な地域のことなのでしょうか?

 確信を持って違うと言えます。

 患者を選別しなければならない原因が、重症ベッドが少ないことだからです。

 重症ベッドに余裕がある地域は、感染者数が少ない地域だけでしょう。ほとんどの地域で余裕などかりそめもないはずです。少なくとも、現在感染者数が激増している地域は、現在のこの散漫な医療システムでは、患者の選別をすることでしかベッド数の不足を解決できないはずです。

 そして、もっと言うなら、そもそも、私の県が独自でこのような重い決断をひそかにできるとは考えられません。どこかの大きな都なり府なり県なりで病床逼迫時に行われた(もしくは行われている)情報をもとに、むしろ後追いで決めているはずです。病床逼迫地域での、現在の日本の対応方法となっている可能性が高いと思う理由です。

 

 ですから、今、この現在に、流行地域でコロナに罹患するということがどういうことか、まずはしっかり知っていただきたいと思います。

 70歳以上の方は、十分な医療が尽くされない可能性があります。少なくとも私の地域ではそうなってしまっています。それが今の医療の現状だと、重く受け止めていただきたいと思います。そして、若い方でも、もしもご高齢の人に感染させてしまった場合はどうなるか、重く受け止めていただきたいと思うものです。

 高齢の方は、ワクチンがもうすぐです。本当にもうすぐそこです。それまでは、少なくとも緩めずに、むやみに出歩かず、会う人も限定して、とにかく今、感染しないように心がけてください。そう強く強く祈っています。

 あえてもっと強い言葉で言います。

 今、高齢者の方に感染予防を強くお願いするのは、「感染すると病床が逼迫するから」という理由ではもはやないのです。重症治療がされない以上、本当に大切な重症病床が、高齢者の感染で逼迫させられることはもうないからです。すなわち、例えば私の県の事実を冷たく言うならば、高齢者の方は、今のこの変異株による脅威的な感染者の増大の中、重症治療から静かにひそかに外されているのです。その事実を、せめてこの文章を読んだ方だけでも知ってください。私の県では、高齢者が重症になった場合、医療はそれを救いません。確実に助かる方法は、もはや感染しないことだけに本当に限定されているのです。

 感染すると病床が逼迫するから、ということなら、感染しても治療は受けれそうに思いませんか?その甘いカモフラージュに惑わされることなく、どうか事実を知っていただきたいです。どうか、せめてワクチン接種が終了するまで、高齢者の方々は感染対策を十二分に行ってください。強く強く祈念しています。

 

 まだ続けたいと思っています。

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本気度とカモフラージュと二枚舌   ーーー新型コロナウイルスについてーーー

2021-04-25 14:48:29 | 日記

 4都府県に緊急事態宣言が出されました。大阪の入院待機患者数をテレビで見て驚きました。さらに入院せずに亡くなった人も少なくありませんでした。入院する病院が見つからずに救急車内で夜を越した患者さんもいるそうです。

  

 先日、重症化が進むコロナ患者を高次病院に転院要請した先生から聞いた話です。80代の患者さんでしたが、転院を断れられました。そのお断りの理由として、「70歳以上は気管挿管処置(人工呼吸管理、すなわち重症治療)はしません。ですから、転院してもらっても、貴院以上の治療はしないので、転院してもらう理由がありません。」と言われたそうでした。

 年齢で断られたのでした。そして、70歳以上には挿管処置をしない、と方針が決まっていると。

 ちなみに、大阪府での話ではありません。緊急事態宣言もまん延防止措置もされていない県での話です。70歳以上は挿管処置をしない、ということがひそかに県の方針として決まっているとのことでした。 

 70歳以上は気管挿管処置をしない。人工呼吸器をつけない。そして年齢の若い人に人工呼吸器を譲る。

 これは、昨年パンデミックのイタリアであった話で、そのことはテレビ等でも大きく報じられていたので、憶えている人も多いのではないでしょうか。

 私は、イタリアのこの報道は忘れられません。年齢で治療を区切らないといけなくなるかも、ということがとても恐怖でした。その病気が日本で広がらないでくれ、と医療者として強く願った、最も大きな理由でした。

 

 ところが、ひそかにすでに自分の周りにその世界がやってきていたとは、、、その話を聞いて、愕然としました。

 イタリアのことはあんなに大きく報じていたマスメディアも、イタリアの時のように報じているでしょうか?本来なら、自分の国のことですから、さらに大きく報じていても不思議がないと思うのですが、そんな差し迫ったニュースに触れた記憶は私にはありません。

 きっと、イタリアの時のように差し迫って報じられない理由は、死者数がイタリアに比べて少ないからでしょう。あれほどの感染者や死者数になってはおらず、すぐ身近に悲劇の人が普通にいて悲しんでいる、という状況ではないからだと思います。コロナ患者はまだまだ一部で、運が悪かった感染者の話、という報道スタンスや政治スタンスなのでは、と思います。

 

 だからこそ、深く考えてみてもらいたいと思います。

 日本は今、感染者数が欧米に比べてはるかに少ないのに、この感染者数ですでに、「70歳以上は気管挿管処置(人工呼吸管理、すなわち重症治療)はしません。」という方針がまかり通っているのです。その方針で亡くなっていく人がすでにいるのです。

 こんなことなら、医療機関が力を尽くして戦った上で、力尽きて、涙を流しながら「70歳以上は気管挿管処置(人工呼吸管理、すなわち重症治療)はしません。」と言ったイタリアの医療機関の方が、医療機関としては筋が通っているように思えてしまいます。日本の医療機関は、誰を助けて、誰の役に立ちたいと思っていて、どこへ向かおうとしているのでしょうか。

 続けるつもりです。

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