大学病院の日常診療を一般病院へ移管し、大学病院に大規模(少なくとも100床以上)で高水準なコロナ重症治療センターをすぐにでも作る、というのが私のこの逼迫した医療への解決策です。それができれば、中等症以下の病床も流れるように作られていきます。現在のシステムはその逆で、大学病院の日常診療を守り、一般病院に無理をさせ、その結果、小さな重症センターを方々で散発的に作る効率の悪さに加え、専門医が診療に活かされず、専門でない善意のスタッフたちの疲弊により支えられるシステムになっています。
こうした考察を、「日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から」に記載しました。
もしも、時間の許す方は、(5)重症ベッドを作れる巨大施設、(6)重症ベッド100床の箱、(8) 大学病院の実力、だけでも読んでいただけたら幸いです。私が夢物語を語っているつもりではないことを、ご理解いただけると信じています。
(下に(1)~(9)までのリンクも貼らせてもらいました。どうか、今の医療逼迫状況に疑問を感じる方は特に、ご一読いただけたら光栄です。)
なぜブログを書いているかというと、医療現場の中で主張しても、声が届かないからです。
私の最も率直な叫びは、(9)檄文、に書いたことですが、このことだけ叫んでも、理解してもらえません。ただ不満を言っているとだけしか捉えられません。何しろ、独立法人化した大学病院は、ただの売り上げ至上病院で、高邁な医療の意志を捨て去っているくせに、いざこのように世の中のために必要とされる時には、さも高邁な医療組織であり続けているかの如く二枚舌を使って逃げています。その醜い姿を文章であらわにさせたいと思っています。でも私の究極の目的は、それをあらわにして貶めることではなく、どんな形であれ、この逼迫した医療現場に出てきてもらうことです。そのために醜く今も逃げている現状をあらわにするのが、最も効果的かと考えたものです。自ら出てこないのなら、首根っこを引っ捕まえて引きずり出してきてでも、適切に実力を発揮してもらいたいと考えています。ディスるだけの目的ではありません。すでに大変な感染拡大が始まっています。時間もないです。
大学病院をコロナ診療に適切に機能させる以外に、今の逼迫した状態と、これからさらにひどくなるだろう状況から救う手段はありません。強く断言できます。
厚労省や、文科省(教育機関として大学病院は文科省管轄でもあります)は、大学病院を独立法人化したことはよいとしても、その後、中途半端に売り上げ至上主義にしたために、社会貢献を捨て去った病院となっていることに、気がつかないふりをしているとしか思えません。どのような病院を自分たちが作り上げてしまったか、目を見開いて見つめてもらいたいと思います。もはや有事に率先して手を上げる病院ではないことは、前回の第3波でもわかったはずです。
このコロナ禍にあって、医療の専門集団として、自ら手を上げて差し出す大学病院が一つもなかった(公表していないだけで、もしあったらごめんなさい。私の集中治療関係のお師匠さんのところは、密かにしっかりと戦っているようです。)こと。すでに社会的使命を果たす病院ではなくなっていること(第3波の東京でもそうでした)。待っていればいつか助けてくれる、というのは幻想であること。そうしたこれまでこのコロナ禍の中での、大学病院の実際のふるまいをしっかりと認識しましょう。手をあげないどころか、息を潜めてお呼びがかからないようにし、逃げた(逃げている)のです。
近畿がとても心配です。この変異株は一旦拡大を始めると、容易に収束しないことが想定されます。今でも医療崩壊なのに、まだこの先があるのです。
第3波の時の東京は、何とか収束を一旦むかえました。でも今回の大阪は違います。相手が変異株だからです。目を塞いでいたら知らないうちに誰かが解決してくれていた、なんてことは起こらないのです。外国から見たらふざけているような少ない重症ベッド数での対応は(今でもできてませんが)、もはや不可能です。
これを救うには、大きな眠っている龍、大学病院を眠りから叩き起こす必要があります。何寝てんだよ、って引っ叩いてやらなければ起きません。
医療界の中から引っ叩いても、二枚舌や売り上げ主義やご都合主義の集団にやられて、全く効果がないのです。自浄作用というのが今やないのです。
もう、外から大学病院の横っ面を引っ叩いてもらうしかないです。そして、早く引っ叩いて欲しいのです。
行政や国家機関、総理大臣や厚生労働大臣、それこそ権力のあるところ、それから世論。大学病院を引っ叩いてくれませんか。誰かそうしたところと知り合いの人がいたら、言ってもらえませんか。このブログを紹介していただいても結構です。そして、大学病院を、そこの理事長たちを世間の表に引きずり出してくれませんか。何しろ変異株がもう爆発しているのです。時間がありません。このままでは、なすすべなく多くの人が悲劇にさらされてしまいます。
大学病院の診療を一般病院へ移管し、大学病院に大規模(少なくとも100床以上)で高水準なコロナ重症治療センターをすぐにでも作って欲しいです。そうでないと、この先の感染爆発から地域を救えません。断言できます。断言できるどころか、すでに「70歳以上には気管挿管処置(人工呼吸器で治療すること、いわゆる重症治療)はしない。」という医療崩壊が一般には知らされないまま施行されていて、すでに地域を救えていないではないですか。
大学病院に、コロナ重症治療センターを設置すること。それが夢物語でなく、現実として実現可能であり、最も合理的なことを、「日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から」に記載したつもりです。繰り返しで恐縮ですが、(5)重症ベッドを作れる巨大施設、(6)重症ベッド100床の箱、(8) 大学病院の実力、だけでも読んでいただけたら幸いです。
もう危機が始まっています。この危機に対応するには、大きな龍を起こさなければいけません。
そのために何をすればいいのか、わかりません(医療界で叫んでみても、声は闇に吸収されてしまうことは先に書いた通りです)。わからないから、せめてこのブログを書いています。書かないではおれない気持ちです。
どうなるかわかりません。わかりませんが、わかってもらえる人が少しでも増えたら、何かが変わるかもしれない。そう考えて書いています。書いていきます。
#「日本の医療崩壊の本質(1)〜(9)」
第3波の時(2021年2月)に記載した文章です。当時は、医療崩壊の原因として、民間病院が槍玉に上げられていました。民間病院を槍玉に上げるのは間違っていましたし、槍玉に上げたところで医療体制の歪みは何も変わらず、改善もされませんでした。当然です。大学病院が動かないかぎり、この重症ベッドの極端な不足から生まれる医療崩壊が解決することはないからです。大学病院がこのコロナ禍から逃げていることが、こんなにあっさりと医療崩壊をきたす本質であることをそこに記載しました。今もその医療体制と何も変わっていません。現在でも医療崩壊の本質は同じです。もしお時間がありましたら、下のリンクからでも、御目通りいただけたら光栄です。
#「本気度とカモフラージュと二枚舌(1)〜(3)」
「70歳以上は挿管処置はしない(重症治療はしない)」という、パンデミックのイタリアと同じ対応が、現在の日本でとられつつあることについて、大きな疑問を感じ記載した文章です。そうした対応がとられていることも世間に知らされていないのではないでしょうか?本気の対応を取らなければ、このままズルズルと悲劇ばかりが大きくなっていきます。今の日本のこの感染者数で、パンデミックのイタリアと同じ対応を取らなければいけないおかしさに早く気づいていただきたく記載しました。ご一読いただけたら光栄です。
#「対岸の火事(1)〜(2)」
近畿の有名大学の病院長が、わずかばかりの重症病床しか設けていないのに誇らしげにテレビ出演し、その上、さらにたった2床だけ上乗せに協力するというのを、さも恩着せがましく言っていることに強烈な違和感を感じ、記載した文章です。「日本の医療崩壊の本質」を読んでいただけたら、そのおかしさに気がついていただけると信じています。