草津温泉「温泉観光士」協会 ブログ

草津温泉「温泉観光士」協会からの活動報告や、温泉レポートです。

自分の家のルーツを考える。

2012-06-21 21:54:18 | 温泉文化
平成24年6月21日、親せきの葬儀がありました。この親せきはお互いの祖父が兄弟。
今回の葬儀や先の祖父の50回忌をしたりで仏壇の古い位牌を本日良く見てみましたところ、貞享五辰(1688年)、元禄四未(1691年)など幾つかの物がありました。
324年ほど前に亡くなった先祖の位牌ですから、此の頃よりは前にはすでに草津村にいたようです。
此のころは禅宗の戒名のようです。

桐屋(高原家)の先祖か、中澤家の先祖なのかは今後調べないとわかりません。
六合村の荷つけ場の墓地にでも墓石があるのかもしれませんが、昔は固い墓石を使用していませんから、あっても字は判読できないでしょうね。

高原は信州から来た武芸者とも聞きましたし、曾祖父が六合村からきてから中澤になっておりますが、まあ土着の山猿ということははっきり言えるでしょう。
曾祖父の戒名は「清樹院桐屋良翁居士」、曾祖母は「清光院桐屋妙照大姉」となっておりますので、このころまでは桐屋に引っかかっているようです。
この時代から「桐しまや」とか「桐島屋」としたようです。
草津の歴史を各家のルーツから探るのも面白いと思います。

今のような観光一辺倒の時代はほんの数十年の事ですから、昔の貧乏な山の中の湯治場を忘れない事は必要でしょうね。
温泉旅館だけを見ましても日本中の宿が近年の観光ブームの後遺症に苦しんでいますが、これは昔を忘れて世の中のうわべを走ってしまった結末です。
明治になって旅館王と言われた山本館の山本氏が没落し、変わって台頭してきた草津の新興勢力と言われた、一井、大阪屋(長養館)、望雲、大東館の4代勢力でしたが、今また勢力の代替わりの時代になりました。

観光士協会会長、桐島屋旅館社長 中澤



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