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今日は、高校時代の事を書きます。高校時代は、父の15万円の障害者年金と、母の水商売の売上げのおかげで、3年間通うことができました。高校の選択は、「女の子だから、進学しなくても、事務でいいんでしょう」と、母が思っていたようなので、商業高校にしました。当時は、COBOLという言語を使い、プログラミング授業もありました。教室に、ずらっと並べられたパソコンで、各自、商品単価と、個数を入力すると、計算するプログラムを作る授業がありました。プログラムを動かす命令文は、( )や、ドット記号など、たった1個が、足りなかったりするだけで、正常に動いてくれず、間違い探しの時間が、多くいりました。ずっと間違いを探せずにいると、視野が狭まっていき、しだいに頭の血管が、ぎゅーっという感覚になっていきました。もうこんな作業嫌だなあ、と内心思いましたが、周りは黙々と完成させて、成功していました。そして、自分もやっと、正常なものができた時は、うれしくて、早く印刷し、先生に提出しよう!と思いました。印刷機から、ザーっと大きい用紙が印字されて、出てきたときには、達成感がいっぱいでした。そして用紙は、初めから手で切れるように、穴あきの点線がついていたので、サランラップを切る感覚で、はしから勢いよく、ビリッと離す作業をしていました。すると、後ろから笑い声がしました。振り向くと、頭の良い同級生の友達でした。同級生は、「紙はこうして、爪で切れるよ。」と言い、用紙の真ん中部分に軽く爪をかけたとたん、見事に簡単に、切り離していました!どうしてもっと早く、その方法を、知らなかったのだろうと、あっけにとられて見ていました。
昔の言語も古くなり、新しいものがどんどん増えました。プログラミングは校正のようで、好きな人もいるわけであって。好きなことは人それぞれ違い、個性があっていいのだと思います。
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