*写真はイオンで売っていたお菓子です。なんだか懐かしい✨
今日は祖母との思い出話を書きたいと思います。
祖母は83歳で亡くなりました。大正11年生まれで、もらわれっ子だったため、生まれた月日は不明です。病院で穏やかに過ごし、苦しまずに亡くなったので、医師から「僕も、河内さんのような亡くなり方をしたい。」と母は言われたようです。孫の私には、よく戦争のことや、桃割れの髪型をした若い女性の幽霊、風邪の神、悪魔が来た話、お見合い、国鉄で働いたおじいちゃんのこと、借金の苦労話、不仲の結婚生活のことなどたくさんの話をしてくれました。若い頃の体験が、祖母にとっては晩年まで忘れられない記憶だったためなのか、何度も同じことを聞いているうちに、今でもよく覚えています。
一番の思い出は、祖母と一緒に電車に乗って、デパートによく連れて行ってもらったことです。祖母は、きものより洋服が好きでした。当時人気の高かったリカちゃん人形コーナーに行くと、「値段を気にせず、好きな洋服買いなさい。」と言いました。リカちゃん人形や、着る洋服は、どんどん進化していき、彼氏のケンも登場しました。リカちゃん人形が着るウエディングドレスが当時の価格で3000円、人が着るより高い洋服まで棚に並ぶようになりました。私は、欲しいものを欲しいと言えない性格でしたので、そのことを祖母はわかっていたようです。帰りには、屋上に集まるハトを見て、7階の喫茶店では、ピザとコーラを注文し食事しました。1人分のコーラを注文すると、5人分もあるような大きなジョッキで出てくるユニークな喫茶店でした。
一つだけ、祖母に謝りたかったと後悔していることがあります。当時2歳でしたが、夜になると、母がどこかへ、真っ赤な口紅をつけて出かけていく姿を見るたびに、号泣していました。そんなとき、祖母は見かねて、私のことを抱っこひもで背負い、近くの商店街を散歩するのですが、商店の人たちに、「あらまあ!どうしちゃった?」と、泣いている顔を見られるのが恥ずかしくて、おとなしくなりました。祖母は「よしよし、今帰ってくるからね!」と私のお尻を軽くたたいてあやすのですが、母がいない寂しさは消えず、祖母に背負われながら、今度は背中を蹴ったり、たたいたりして困らせました。祖母は、私が大暴れしても、最後にたどり着く場所は自動販売機でした。自動販売機には、ミルクセーキとクリームソーダが光ってまぶしく見えました。祖母は決まってその二つの飲み物を買って帰り、半分に分けて飲ませてくれたのを覚えています。
祖母の月命日には、生前好きだった和菓子を仏壇に供えています。函館の実家は、もうなくなってしまったのですが、祖母はあじさいの花、マリーゴールド、オンコが大好きで、玄関前に植えて花を育てるのが趣味でした。亡くなった人は、死後どこに行ってしまうのかな?と不思議です。生きている人が、忘れていなければ夢の中に現れてくれるのかもしれないですね✨
sakurakoさんも おばあちゃんのことが大好きだったんですね!
大きなぬいぐるみのプレゼント貰えるなんて おばあちゃんナイスですね(^▽^)/
サイズは sakurakoさんよりも大きかったのでしょうか?
私も超スーパーウルトラ ジャンボサイズのぬいぐるみがほしかったです😊
そして枕にして一緒に寝たかったです✨
sakurakoさん🌸コメントありがとうございます✨
おばあちゃんとの素敵な思い出話しをありがとうございます🙇
私も大好きだった祖母を思い出しました
祖母との思い出は沢山ありますが
印象深い話しは小学生の頃
大きなぬいぐるみを買ってもらったことです🎵
sakurako