11月5~6日にかけて「落合のルーツの旅」に行って来ました。
8時半ごろに「近鉄桑名駅」に集合。
まず最初に、「落合の里」にある「伝八さん」のお墓をお参りしたいとのことで向う。
途中、健吾さんの家を見る。
「落合の里」の「成覚寺」に…
「成覚寺」です。
そして、落合家の「家紋」(丸に日の丸扇 五本骨)です。
「平維盛」のお墓です。
「伝八」さんのお墓のある所です。
でみせ橋付近です。
おの付近で「伝八」さんが大きな店をしていたそうです。
お墓のすぐ近くです。
「順行寺」です。
りっぱな菊花石が本堂の左右に鎮座していました。
「順行寺」に残っていた写真です。
親父です。
若かりし頃です。たぶん20歳頃か?
お婆さんと信男さんと和夫さんと文男さんの古い写真です。
お爺さんとお婆さんと義光叔父さんと親父ではないか?と思います。
お爺さんとお婆さんは、たぶん20代ではないか?
「順行寺」の大正時代の改築の写真です。
前の幼い子が「正彦」さんのお父さんの「正美」さんです。
その後ろがお父さんです。
河内のおばさん(落合きしさんの長姉です。)
ホテル「白雲荘」でリラックスです。
白山町の「七栗郵便局」です。
叔父さん曰くなにかの本に「平家のいわれのある土地」とのことで寄りました。
後日そのいわれを調べてみます。
「伊勢平氏の里」です。
たぶん来年の大河ドラマが「平清盛」ですので、ここも映ると思います。
善徳寺です。
ここが「落合九一郎」さんから輝夫さんまでの菩提寺です。
「栄町」の落合九一郎さんが住んでいたとおろです。(佐々木正彦さんに教えてもらいました。)
今は、郵便局になっています。
「栄町」から「橋亀」に向っての写真です。
すぐ近くです。
たぶん今は国道23号線で道路幅は広いですが、当時は狭く「伊勢電鉄」の向こうに「橋亀」が見えていたと思います。
全日本大学駅伝に遭遇しました。
「伊勢上野城」です。
「下新町」です。
叔父等の話では、写真の「蔵のある家」が、五味さんと言い昔(70年ほど前)医者をしていたそうです。
この家の前に住んでいたそうです。
この付近を歩いていたら「うすかわ饅頭」の店(創業140年とのこと)がまだ残っており
信男叔父さんが14・5歳の頃この饅頭が好きでよく買って叔父さん達に呉れたそうです。
当時の味を思いだすのにこの饅頭を買ってたべました。
少し小さめになったとのこと。
子供の頃だったのでこの饅頭が大きく思えたのか?
中部中学校です。
この正面左に家があったそうです。
車の右側付近に水路があり、こおから池の水を引いていたそうです。
その右側付近に「森川」さんの家があり、和夫叔父さんはそこの家の子と仲がよく遊んだそうです。
今は、別の人が住んでいました。
8時半ごろに「近鉄桑名駅」に集合。
まず最初に、「落合の里」にある「伝八さん」のお墓をお参りしたいとのことで向う。
途中、健吾さんの家を見る。
「落合の里」の「成覚寺」に…
「成覚寺」です。
そして、落合家の「家紋」(丸に日の丸扇 五本骨)です。
「平維盛」のお墓です。
「伝八」さんのお墓のある所です。
でみせ橋付近です。
おの付近で「伝八」さんが大きな店をしていたそうです。
お墓のすぐ近くです。
「順行寺」です。
りっぱな菊花石が本堂の左右に鎮座していました。
「順行寺」に残っていた写真です。
親父です。
若かりし頃です。たぶん20歳頃か?
お婆さんと信男さんと和夫さんと文男さんの古い写真です。
お爺さんとお婆さんと義光叔父さんと親父ではないか?と思います。
お爺さんとお婆さんは、たぶん20代ではないか?
「順行寺」の大正時代の改築の写真です。
前の幼い子が「正彦」さんのお父さんの「正美」さんです。
その後ろがお父さんです。
河内のおばさん(落合きしさんの長姉です。)
ホテル「白雲荘」でリラックスです。
白山町の「七栗郵便局」です。
叔父さん曰くなにかの本に「平家のいわれのある土地」とのことで寄りました。
後日そのいわれを調べてみます。
「伊勢平氏の里」です。
たぶん来年の大河ドラマが「平清盛」ですので、ここも映ると思います。
善徳寺です。
ここが「落合九一郎」さんから輝夫さんまでの菩提寺です。
「栄町」の落合九一郎さんが住んでいたとおろです。(佐々木正彦さんに教えてもらいました。)
今は、郵便局になっています。
「栄町」から「橋亀」に向っての写真です。
すぐ近くです。
たぶん今は国道23号線で道路幅は広いですが、当時は狭く「伊勢電鉄」の向こうに「橋亀」が見えていたと思います。
全日本大学駅伝に遭遇しました。
「伊勢上野城」です。
「下新町」です。
叔父等の話では、写真の「蔵のある家」が、五味さんと言い昔(70年ほど前)医者をしていたそうです。
この家の前に住んでいたそうです。
この付近を歩いていたら「うすかわ饅頭」の店(創業140年とのこと)がまだ残っており
信男叔父さんが14・5歳の頃この饅頭が好きでよく買って叔父さん達に呉れたそうです。
当時の味を思いだすのにこの饅頭を買ってたべました。
少し小さめになったとのこと。
子供の頃だったのでこの饅頭が大きく思えたのか?
中部中学校です。
この正面左に家があったそうです。
車の右側付近に水路があり、こおから池の水を引いていたそうです。
その右側付近に「森川」さんの家があり、和夫叔父さんはそこの家の子と仲がよく遊んだそうです。
今は、別の人が住んでいました。
書かれている一部内容に興味を持ち恥ずかしながらコメントさせて頂きます。
私は北海道に住んでおります。
北海道開拓時に三重県からの開拓団体の一員として入植した人物のひい曾孫に当たります。
私の家は丸に日の丸扇を家紋に持ちます
私の名前も落合です。
私のおじいちゃんから聞いた話ですが、うちのご先祖様は平家の武士で…
うちは門徒の高田派で開拓の時に一緒に連れてきた。
後は秘密主義なのか何も話してくれません。
ですので、町史の入植者名簿にも名前のみで出身地は記載されいません。
私もふらっと自分の旧姓家紋を検索していただけですので親戚に聞くにも今更的で聞けません。
同じ苗字で同じ家紋ルーツの三重県の方なんて何かつながりがあるのではと思いコメントさせていただきました。
いきなりで申し訳ありません。
このコメントを見ていただけましたらお返事いただきたいです。
よろしくおねがいします。
あれから調べて戸籍を辿りましたところ、『三重県伊勢国安濃郡河内村○番』○は伏せます。
と、出てきました。
先人は凄いと感動しました。山深い蝦夷地開拓のために三重県から遠渡遥々来たのですから。
もし、良ければ、ルーツについて教えていただきたいです。
連絡先等はメールの方がよろしいですか?
ブログへ頻繁に足を運びますので、お返事頂けると幸いです。
宜しくお願い致します。