1984.8月頃
当初大場さんが施工していたが、
鉄建の加賀谷所長で有名なワンマン所長でお世話がタイヘンだった。
私は、結構気があっていたが、
当初島田の「大和屋旅館」で泊まっていたが、途中から現場宿舎に移動。
鴻池組の澤田さん . . . 本文を読む
1983(昭和58年).12月頃
たしか?知多火力か東邦ガスの現場だと思う。
その時に使っていた知多の金物屋にいた若者に偶然に再会した。
金物屋は、たしか?「永井金物店」
この現場に乗り込んで…最初に金物屋を探した。
車で一号線を東京方面を走ったが、見つからない。
そこで左折し山側のほうへどんどん行ってもなかなか見つからない。
山の中にどんどん入っていくので心細くなって引き返そうとした。
その時 . . . 本文を読む
1983年(昭和58年)9月28日 夕刻
田代と西海が天竜川支流の西川(さいかわ)に転落して流された。
(西川は、普段はおだやかな川である。)
当日は、非常なゲリラ豪雨だった。
作業を昼ごろ終わらせたが、田代と西海は現場が気になり近くの事務所から様子を見に行った。
丁度、川が凸の字に大きく曲がっているところから様子を見ていたところ地元の松下さんともう一人の方が近寄って来た。(この二方は、の人の . . . 本文を読む
1980.12月2日
前田建設の遠州の現場(浜松)を田代と施工中。
※実は、大内さんの現場(ソレタンシュ)の手直しで…
夕方だったか?
田代と前建の飯場で夕飯の食事中にテレビで知った。
びっくりした。
というのは、今まで大きな事件と言うと身近ではなく、遠い世界のことだと思っていたが、今回は自分の住んでいる権野付近であったこと
喫茶店の師崎や下之一色のタクシー会社。
犯人の木村修司が働いていた . . . 本文を読む
1979年8月頃~12月頃の約5ヶ月だったと思う。
施工は発進立坑から始め到達まで
当時の請負金で約2億ぐらい
私の年齢が29歳
かなりの責任というかプレッシャーを感じてた記憶がある。
協力会社は登陽建設と河津基礎(茂人等)と
最大の問題点は薬剤のブロー…
で登陽建設の世話役と夜ウェットスーツを着て
毎夜寒い中を川に入り足で蹴散らした。
なつかしい思い出である。
鉄K建設は、横山所長・杉山 . . . 本文を読む
1979(昭和54年).1月頃
正月明けに恵子と希美を連れて土肥の現場の書類提出をして2.3日ゆっくりして帰るつもりであったが
高野さんから下呂で打ち合わせに言ってほしいとのTELあり。
恵子には悪い気がしたが、急遽下呂へ…
元請は「新潟の加賀田組」
乗り込みの時に小林さんに「俺が中呂でやった時は、地山が硬くかなりの赤字をだしたので今回は頼む。」と言われたが
中硬岩で全く削孔できず出来高あ . . . 本文を読む
1978(昭和53年).9月頃
仕事は大きな岩塊(直径10mほどか?)が地震時に転落する危険性があるとのことで
足場を組みアンカーで留めるものだった。
土肥の鈴木組の仕事で社長と養子の息子さんがいた。
息子さんは、まだ結婚したばかりと思う。
今だに後悔するのは
この社長さんが金曜日の夕方だったか?
夕飯をご馳走(さざえとか?色々海産物があった。)してくれたが、
恵子が待っているのではやく帰り . . . 本文を読む