アベノミクスで株が連日、上昇している。
景気は上向きというものの末端の労働者にはとどいていない。
エコノミストによるとその実感は2年先などという者もいる。
長引く不況の時期に百貨店も低迷期を向かえ、大手の百貨店は統合を図ってきた。
百貨店の低迷は、景気の低迷に加えてネット販売などの需要の拡大が追い討ちを掛けている。
ここにきて大阪周辺だけは賑わっている。
周辺百貨店の増改築、グランフロントのオープンである。
グランフロントのうたい文句は、梅田が変わる、ショッピングが変わる、あなたがかわる。
ニュースで知る限り、営業時間の拡充、個人の自由度を含んだ空間スペースの利用など確かにこれまでと違ったショッピングの形だといえる。
百貨店もそれに負けじと増築された百貨店では、共有スペースを設けた新たな形を模索している。
わたしは、なぜかそんな百貨店に否定的である。
百貨店でなくなりつつあるような気がして、寂しさを感じる。
わたしの幼いころは、百貨店に出かけるとなれば、家族みんながよそ行きの服に着替えたものだ。
そして、幼心に気持ちが高まり、眩しいばかりのお城に入っていくような気分であった。
そんな、敷居の高い場所であり、また屋上は遊園地の設備が備わり、わたしにとっては夢の1日であった。
当然、大人となり百貨店に対してその様な気持ちの高まりはない。
しかし、いまのこどもたちが、あのときのわたしの気持ちと同じように百貨店を感じているだろうか?
そうは思えない。
百貨店の敷居の高さは、一流のものを扱い、一流の信頼を売っていたからに他ならない。
いまや、一流のものを扱ってもいるが、売れ筋の(価格帯では安い、手ごろな)ブランドを参入させている。
そして、一流の信頼は、辛うじて残っているが、それは追求されたとき(トラブルのとき)に顔をだすだけで、普段から一流の信頼を感じる接客や店員の振る舞いはない。
一瞬、構造上の建築によって一流な空間を演出してはいるが、結局中身が伴っていない。
そして、親に連れられてきた子供たちは胸を躍らせているのだろうか?
一流のもてなしとは?
それもコンビニやセルフサービスの外食産業の拡大によって、薄れつつあるように感じる。
また、消費者ももてなしよりも価格の安さを求めている。
しかし、もてなしは年配の方たちにとっては、望むところではないだろうか?
そしてその孫たちが喜ぶ、胸躍らせる場所であれば、百貨店に勝期はある。
ターゲットを百貨店は間違っているのではないのか?
いまだからこそ年配とその孫をターゲットにするべきだ。
いたずらに営業時間を伸ばす必要もない。
10時から夕方5時まででいい。
金曜日だけ夜10時までにすればいい。
ただし、飲食店0時まで、食品売り場だけは夜8までにする。
外壁に備わったエレベータは最上階の飲食店(若い世代、カップルを対象とした)にだけ止まる。
1階と2階は子供と年配の方の売り場、休息スペース、待合スペース、育児スペースでいい。
3階、4階は中学生、高校生、大学生を対象としたもの。
5階、6階は社会人の男女を対象としたもの。
7階、8階は高級ブランド。
それより上は外食店でいい。地下1階にも家族を対象とした外食店を用意する。
年齢層に沿った雑貨なども各階に年代に応じて備える。
店員は各階の年齢層に沿った者とする。
1、2階は年配のシニア、60歳以上の店員、監視員
3、4階は高校卒業生の店員または大学生の研修員
5、6階は各店舗の店員
7、8階も同じく店舗の店員
家族で出かけ、百貨店に入り、まず子供たち、おじいちゃんおばあちゃんが抜け、息子娘たちが抜け、そして夫婦だけでショッピングを楽しみ、最後またみんなが1階のフロアで集まり、地下1階で食事、そして食品売り場で買い物をして家路。
こんな簡単なコンセプトでいいのではないのか?
核家族になり、家族が一緒に出かけることは少ないと思うが、
「家族がそろって行きたい百貨店」
こんな百貨店が20年も続けば、幼いころ3、4階どまりだった自分が7、8階に買い物できるようになったことに成長を感じ、幼かったころ家族と来た時の事を思い出すだろう。
必ず、1階のシニアの店員さんたちが一流のもてなし(日本のもてなし)を教えてくれるだろう。
そして、階を上がるごとにそのもてなしと一流の信頼を年齢共に実感するだろう。