◆鬼の撹乱◆
元治2年1月
年の開けて間もない、とある一日の出来事。
「はぁ」
と大きなため息をつく。
昨日から、どうにも喉の調子が悪いと思っていたが、朝目覚めたら、重石を乗せられたかのように体がだるい。
どうやら、本格的に風邪をひいてしまったらしい。ここのところ、風邪をひくことはなかった為、油断していたのかもしれない。
『年明けから、ついてねぇ。』途方に暮れながら、天上を見上げた。
どうしたものか、起き上る気力はひとつもわかず、寝床に転がったまま、額を抑える。
じわりと、熱が、手の甲に伝わる。
そんな調子のまま数刻たった頃、朝げに、姿を現さない俺を案じて、斎藤が、部屋にやってきた。
「副長、朝げの用意ができているのですが」
相変わらず、礼儀を心得た控えめの声が、外から声をかけてくる。
部屋の前で、膝をつき、中をうかがう様子が、見てとれた。
「斎藤か?悪いんだが、今日は、先に食べてしまってくれねぇか」
障子の外に聞こえるように声をだすのもけだるい。
声もなんとはなしに、しゃがれている。
たいがいの事は何にでも気がつく男だが、こと、俺のことにかけては、それ以上に敏感な反応をみせるのが斎藤という人物で、
その声に、不審に思ったらしく、「失礼します」と丁寧に断りをいれてから、障子を静かに開けた。
そして、まだ床にふしたままの俺の姿を見るなり、あわてて、膝をついたまま歩み寄った。
「ふ、副長、どうされたのですか!!」
「はぁ、どうも、風邪をひいちまったらしくてなぁ」
つかみかからん、勢いで顔にでかでかと、『心配』という文字をかかげて近づく。
「行かなきゃならねぇ用事もあるしな、もう少ししたら起きるから・・・」
ぼんやりとした頭を、なんとか動かしてそう告げる。正月明けの挨拶周りやら何やら、やることは山積みなのだ。
「駄目です!!」
しかし、間髪いかず、斎藤が叫んだ。額に手のひらをあてて確かめる。
「駄目です、あぁ、熱もあるではないですか。今日は、一日休んでいただいて、今、山崎くんを呼んできますから」
「い、いやあのな・・・」
山崎は、監察型に身を置くが、鍼医師の息子で、多少なりとも医療に心得があり隊士たちが体調不良の時などは、決まって彼に頼むが通例となっていた。
斎藤は、問答無用とばかりに、立ち上がる。
いつも自分のペースを崩さず、ゆったりとした行動をする男だが、驚くほどの機敏な行動で、反論の間もあたえず部屋を後にした。
その後、山崎の後を追うように薬を持って戻ってきて、石田散役を飲まそうとするのを断るのに、相当苦労をようした。
どうにも斎藤は、この薬を何にでも効く万能薬だと信じてやまないらしいが、残念ながら、風邪を治すために作られたものではない。
袋に書いてある効能さえ、怪しいものだ。
実家で作ってる薬をどうこう言うのもどうかと思うが、信じているのは、斎藤ぐらいのものである。
若い時などは、全く効かないのを承知していながら、他流試合で怪我をさせた相手に、薬を売りつけたりもしたものだ。
わかっていながら行商で売り歩いていた俺に対し、総司などは、「土方さんのほらふき売り」と散々なものいいをしてくれたものである。
言うとおり、全く間違っていないため、反論もできやしないが。
そもそも、燗酒と一緒に飲まないと利かないという時点で、怪しい代物である。
やっとの思いで斎藤を追い返したというのに、今度は、さっそく聞きつけてきたらしい総司がひょっこりと顔をだした。
総司の顔をみた瞬間おもわず、眉間に皺をよせてしまう。
こういう時、一番こられると困るのが、総司なのだ。
うつるうつらないは、この際百歩ゆずってどうでもいいが、こいつに看病されでもしたら・・・考えるだけで恐ろしい。
まだ、芹沢さんがいたころ、芹沢さんに拾われて、居候していた、伊吹龍之介が風邪をひいた時の惨劇、あれは地獄絵図だった。
首にはへんな草をまきつけられてるし、怪しげな食い物は食べさせられてるし、あげくのはてに、布団に押しつぶされて白眼むいていやがった。
「ちょっと、土方さん、僕の顔をみるなり、そういう顔するって失礼じゃないですか?せっかく、心配して見舞いにきてあげたのに」
その表情を見逃さない総司が、さっそくっ文句をつけてくる。好いたやつに、看病されるのは、悪い訳じゃない。ただ、総司だけは困るのだ。これから何をやらかさえるのかと想うと、頭がよけいに痛くなる。
「うるせぇ、うつるから向こうへ行ってろ」
しゃがれた声で拒否をするも、威厳もひったくれもありゃぁしない。頭もふわふわして、どうにもならない。
どうしたら、追い払えるかと試案して、頭をかかえるが、その仕草を、総司は、頭痛かめまいでもしてるのかと勘違いする。実際、頭が痛いのは間違いではない。
「あぁほら、起き上ってるから駄目なんですよ。今日は、僕がつきっきりで、看病してあげますから、大丈夫ですよ。僕、今日は巡察当番じゃないし、近藤さんも、ぜひそうしてやれって言ってましたから」
もう、口をあけるしかない。近藤さんも余計なことを言ってくれる。何故、今日に限って当番じゃないのかとか、そういうタイミングに何故自分がめったにひかない風邪をひいてしまったのかとか。
考えるだけでクラクラしてくる。
「ほら、土方さん、ちゃんと寝て下さいよ」
ニコニコと能天気に笑いながら、いそいそと、俺の体を布団へと押し戻し布団をかける。
「何か欲しいものありますか?」
かいがいしく、世話をやこうとするのは、可愛い。可愛いが、、しかし。
『しいて言うなら、向こうにいって大人しくしていて欲しい』などとは口が裂けても言えない。
「えーっとなんでしたっけね、風邪にきくもの。ネギを首にまくんですよねぇ。勝手場にあったかなぁ」
俺をぎゅうぎゅうと布団に押し込めながら、うーんと首をかしげる。
「・・・い、いや、いいから」
総司にかかれば、きっと、ネギで首を締め上げられて、目を剥くはめになりそうな気がしてならない。
「それとも、あれか、たまご酒?あれ、結局作り方よくわからないんですよねぇ。」
「・・・だから、いいから」
とうの総司は、聞いちゃあいない。
「酒に卵おとせばいいのかな。うーん、僕飲んだことなんですけど、なんだか卵の白身が喉にひっかかりそうな飲み物ですよね。」
たまご酒、本当は、とかした卵に、酒を加えながら混ぜるのだが、おそらく、そこに砂糖をいれることも総司の想像の中にはないと思われる。
そもそも、昔、総司が風邪をひいた時、うちの姉貴が作って飲ましたことがあったが、どうも覚えていないらしい。
それはともかく、ただでさえ、俺が酒に弱いということは、もはや脳裏の片隅にも浮かばないらしい。
人の不幸を楽しむを絵に描いたような、まさにたちの悪いタイプだ。
「総司、いいから、寝かしてくれればそれでいい」
必死の声で制止する。
一瞬、総司が、えーっという不満の顔をしたが、すぐに、次のことを思いつく。
「そうですよ、土方さん。風邪の時は、汗をふいてから寝ないと駄目だって、近藤さんがいってました。」
ポンと手のひらをうつと、布団におしこんだばかりの俺をまた起こそうとする。
だから!!と思いつつも、もはや抵抗する力も残っていない。
大人しくふかせてやろうとあきらめたのが間違いだった。総司のとる行動に、叫び声をあげることになる。
服をぬがすまではかまわねぇが、何で拭くのかと思いきや、斎藤が用意して行った熱を冷ます為の、氷水に手ぬぐいをつっこもうとしたのだ。
「総司!!」
耳元で叫ばれた総司が驚いて、手ぬぐいを桶の中に落とすと、勢い良く水がはねる。それをのけようとしたが、うっかり桶はひっくりかえり、中に入った水や氷が散乱してしまったのだ。
勢いよくひっくりかえした水の大半は、俺にめがけて振ってくる、総司も俺よりはましだったが、同じく水びたし状態だ。
みるみるうちに、布団や服にしみを作った。
「わっ、ちょっと、土方さん。いきなり耳元で叫ばないで下さいよ。こぼれちゃったじゃないですか!」
「ちょっとじゃねぇ、お前、病人の体を氷水で拭くやつがあるか!!」
他に言うことがあるだろうと想うのが、とうの総司は悪気は全くないゆえに、結局届きはしないのだ。
「えー、だって、熱がでてるんだったら、冷たいもので拭くほうが冷ませて良いじゃないですか」
もう!っと唇をとがらせて、濡れた自分の服をパタパタする。服にしみた水が、俺の方まで飛んでくる。
「そういう問題じゃねぇんだよ。頭は冷やすものだが、体まで冷やしてどうするんだ。よけにひどくなるだろうが。とにかく、さっさと服を着替えてきやがれ」
こんなことで総司にまで、風邪を引かれては、シャレにならない。
「はーい」
大人しく、部屋を出ていく総司を見送りながら、水浸しになった床をふく。
なぜ、病人であるはずの俺が、こんな事をしているのか。・・・駄目だ、本当に、総司に殺される・・・。
大人しく寝るどころか、用事がどんどん増えていく。
熱もあがっているらしい、濡れた服から伝わる冷たさに、身を震わせてため息を吐いた。
片づけ終わり、のろのろと、着替えの着物を探していると、着替えを終えた総司が帰ってきた。
障子を行儀悪く足であけ、よいしょと、荷物をおろすと、
「駄目ですよ土方さん、病人なんだからおとなしくしていてくれないと」
と抗議の声をあげるのだが、動かさせてるのはどっちなのだろうか?
総司が帰ってくるまで、濡れたままで待っていろというのか?
それでもどうやら、濡れた布団の代わりに、自分の部屋の布団を持ってきたらしい。
たまには、気のきいたこともする。
が、布団を置いて帰ってくれるはずはない。
濡れた布団をぐいぐいと、端におしやり、自分の布団をひく。それをしり目に、せっかく、腕を通したところだったのに、いきなり着物の襟首を力一杯ひっぱられた。
「駄目ですよ。まだ拭いてないんですから」
おかげでどうにも、熱がまわり、足元がさだかでない体は総司にひっぱられるがまま、後ろへドッと倒れてしまった。
まさか倒れてくるとは思っていない総司も一緒になってひっくり返るのだが、下敷きになったのは、俺の方だった。
こんな時まで、とっさに、総司のことをかばってる自分に、もう苦笑するやら、あきれるやら、このまま、壊れたみたいに笑ってしまいたくなる。
「あー、びっくりするなぁもう。大丈夫ですか、土方さん?」
上半身をおこし馬乗りになったまま、下にいる俺に聞いてくる。
そういう気づかいは、上から体をのけてから言って欲しい。
「あぁ」
床につっぷしたまま、手の甲を額に押しつけ、地鳴りのような声でいう。先ほどよりも、声がでにくくなってきた。
着替える前にちゃんと拭いたと、説得し、なんとか、着物に袖をとおし、総司が、それを整えていると、今度は近藤さんが部屋へ来た。
「おぉ、総司。やっとるなぁ」
と、障子をあけて顔をだした近藤さんが、うんうんと首をたてにふりながら、ニコニコとした笑みを総司にむける。
人が苦しい思いをしている時ほど嬉しそうによってくるという点では、この人も負けてはいない。
似た者同士、実は親子か兄弟なんじゃないのか?と疑いたくなる時がたまにある。悪い人ではないのだが、いかんせん、好奇心が高すぎるのが難だ。
総司よりは常識をもっているのだけが救いである。
「どうだ、歳」
優しい声で俺を気遣う。
どうだと、言われても、さっきから、いらぬことばかりに振り回されて、さっぱり休めやしないうえに、散々な目にあっているともこの状況ではどうにも言えない。
言えばいったで、総司と同じく、またいろいろとへんな気をまわしてくれる予感がある。総司の顔もたたないだろうし・・・。
「いや。。。。」
「近藤さん、聞いて下さいよ。土方さんたら、ちっとも寝てくれないんですよ」
かばってやろうと想ったそばから、それを遮って総司が口をはさむ。
誰のせいで・・・と思わず拳をにぎるが、言い返す力はもはやない。
「それはいかんなぁ、歳、風邪のときは、暖かくして、よく眠らんとなぁ。」
総司の言葉を正面から受け取って、さぁさぁと近藤さんが、横に座り、布団をかけてくれた。
総司にたいする甘さは筋金入りだ。総司が何かしたとしても、いい方にいい方にと解釈する。俺も人のことはいえねぇが。
「薬は飲んだのか?」
「いや、まだ」
されるがまま布団に体をうずめて答える。
「そうか、薬をのむ前に、何か腹にいれたほうがいいのだが・・・」
きょろきょろと周りを見渡す。それを見た総司がまかせて下さいと手をあげる。
「あ、近藤さん、じゃぁ僕、お粥作ってきますよ。」
「おぉ、そうか、そうしてくれるか、総司」
「はい」
近藤さんの喜ぶ顔に、総司の顔もぱっと輝く。
もう、どうでもいい、数分でも、数秒でも解放されるならそででいい。
それからどれくらいの時間がかかったのだろう。
いつの間にか、俺は眠ってしまっていたらしい。
外は、日が暮れはじめ、夕焼けがほんのりと紅色の光を部屋へと運んでくる。
残った近藤さんと、途中まで話をしていた記憶があるのだが、どのあたりで意識がとんだのだろうか。
体を起こしてみると、先ほどよりも、体が軽くなっている。少し熱もひいたのかもしれない。
そしてふと、横を見ると、近藤さんと、総司がいた。
その二人をみやって、ほくそ笑む。
ずっとそばにいてくれたのだろう。二人して、壁にもたれ、寝息をたてているのだ。
近藤さんは、胡坐をかいて、腕をかかえ、首を垂れて船をこぎ、総司は、その肩にもたれかかり、首を横に傾けた状態で無防備に手を放り出して、二人なかよく、寝息をたてる。
目を手前にもどすと、床の横には、総司が作ってきたのだろう、おかゆの鍋が置いてあった。
ふれると、すっかり冷めてしまっていた。
音を鳴らして二人を起こしてしまわないように、気をつけながら鍋を手元に近づけて蓋を開ける。
おかゆのはずなのに、なぜか、ごはんは、ほんのり茶色かった。
覚めてはいるが、ほのかに残る香ばしい香りが、鼻を刺激する。どうやら、この色と、香りは、醤油をいれたものらしい。
「総司、おかゆに、しょうゆはいれねぇよ」
この、ちょっとはずれた、素直にものを作らないところが、総司らしくて笑える。息吹に食わせた、洗濯のりのおかゆよりはましである。
卵を落としてあるのも気が利いている。
少々ひねくれてはいるが、一生懸命作ってくれたのだろうことを想うと、嬉しいと想う。
いろいろ、やらかされはしたが、心配されるのは、やっぱり悪くネェな。
ひとりごちながら、鍋を膝の上にのせると、一緒に置かれていたレンゲで粥らしきをすくいあげ、一口口へいれた。
「///!!辛っ!」
一口いれて、想像とは違う、塩辛さに思わずむせた。
「総司・・・!」
醤油だけならまだしも・・。
愛しい小悪魔の手塩にかけた愛情は、やはり甘くはないらしい。
一口運ぶほどに、塩辛い。
恨めしげに、幸せそうな顔をして眠る総司を見るが、あまりに、らしすぎて、笑いがこみ上げながら、それでも全部たいらげた。
『ったく、おちおち、風邪もひいてられねぇな』
最期にレンゲに残ったご飯粒をなめ取りながら、二人を見つめて、小さなため息をついた。
この後、近藤さんと総司がきっちりそろって、風邪をひき、俺が看病をするはめになることは、まだ知るよしも無かった。
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