おじさん60のぶらぶら歩き ーファイダーから見た世界ー

名所旧跡や自然の移り変わり等,見たまま感じたままに写真で表現します。

「みはら歴史館」を訪ねて

2018-05-27 11:18:39 | 日記

 5月中旬,JR三原駅前(徒歩3分)の「みはら歴史館」に入ってみました。この歴史館は,昨年三原城築城(毛利元就の三男 小早川隆景の居城)450年の記念事業として開館されたそうです。まず,ロビーに行くと,

    

が目に入ります。

 本ブログ掲載の三原城は,永禄10年(1567年)戦国武将 毛利元就の三男 小早川隆景によって築かれました。

 当時,湧原川や沼田川の河口にあった大島・小島をつなぎ埋め立てた所に建てられ,東西約900m 南北700mもの長さを誇る規模だったと説明書きがありました。城中には,本丸・二の丸・三の丸 そして32の櫓と14の城門がある大きな城で,日本でも珍しい海の中にある城(海城,浮城)として有名でした。 (画像は,本丸の鯱(亙)や明治初期の様子,城郭の模型,絵地図等です。)

     

    

 明治の世になり,鉄道建設のために城の重要施設を壊しレールの敷設をしました。現在は,石垣の一部が残されるのみとなっています。

 館内には,当時の甲冑や城下・城中の絵地図や模型,そして,毛利元就自筆の「三つ矢の訓(おしえ)」が展示されています。

   (「三つ矢の訓」の自筆書状は撮影禁止)

 「三つ矢の教え・・・・ 元就が3人の息子に結束の大切さを諭したおしえで,一致協力して毛利家を守るように訴えている」

 <3人の息子とは>

  ・長男は,毛利隆元で郡山城主 (1523~1563年)その子毛利輝元は広島城築城

  ・次男は,吉川元春で,吉川家の養子となり北広島町に住む (1530~1586年)

  ・三男は,小早川隆景で,小早川家の養子となり竹原にすんだ後,高山城・新高山城・三原城築城(1533~1597年)

  


 

 三原城と新高山城が,「続日本の名城100選」に撰ばれ5月上旬からスタンプを押してもらえるようになりました。

 三原城のスタンプはみはら歴史館」の受付で,新高山城のスタンプは本郷生涯学習センター(本郷駅から徒歩7分)で押してもらえます。

 小生は,書籍付録のスタンプ帳がなく残念ながら・・・・・・です。


 

 <マンホールカード> を戴きました。

 築城450年記念事業のロゴマークが下水道のマンホール蓋に使用されています。三原市では,二種類のカラーデザインがあり,その内一種類がここにあり頂戴することができました。

 

 後の一種は,道の駅「神明の里」で戴けるとのことでした。小生は,道の駅まで行けずそれは手にすることができませんでした。

 残念・・・・!

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

                                       

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