
先日、帰宅したさい玄関で母親と鉢合わせになってビックリした、一般的には極普通の事だけどウチでは特別な出来事でした。
と言うのも数年前、脳梗塞の後遺症で右手足が動かない半身麻痺が残って以来、お風呂や移動の際には付き添いが必要な状態なんです。
いつだったか母親が僕に泣きながら「自分で冷蔵庫から食べ物出して自分で食べたい」って言った事がありました。
自分の手で包丁持って、自分の手で切って、自分の手で料理して、自分で食べたいって。
家は昔の日本家屋で、段差が多くトイレは外にあるし、台所へも段差があって靴を履い歩くようになってて、
何をするにしても人の手を借りなければいけないのが歯痒かったんだと思います。
それから時間を見ては二人で外に出て歩く練習をしました。
しばらく経ったある日、家の前の急な坂を下り終えた時、母親が小さな声で一言「ここまでこれた・・・」って言った。
それに対して僕は何も言えなかったけど、その時の気持ちが全て詰まった一言だと心に響きました。
ま、そんなこんながビックリに繋がった訳ですな。
今でも段差ではふらつく事が多いので、一人で玄関まで出てきた時には、ホントにビックリしました。
今でもリハビリ続けて少しずつ良くなってるんだけど、最初は「歩くことは無理」って自分で諦めた状態でした。
でも本人のやる気次第で、一歩ずつでも良い方向へ向かって行けるって事を僕に教えてくれたんだと思ってます。
と言うのも数年前、脳梗塞の後遺症で右手足が動かない半身麻痺が残って以来、お風呂や移動の際には付き添いが必要な状態なんです。
いつだったか母親が僕に泣きながら「自分で冷蔵庫から食べ物出して自分で食べたい」って言った事がありました。
自分の手で包丁持って、自分の手で切って、自分の手で料理して、自分で食べたいって。
家は昔の日本家屋で、段差が多くトイレは外にあるし、台所へも段差があって靴を履い歩くようになってて、
何をするにしても人の手を借りなければいけないのが歯痒かったんだと思います。
それから時間を見ては二人で外に出て歩く練習をしました。
しばらく経ったある日、家の前の急な坂を下り終えた時、母親が小さな声で一言「ここまでこれた・・・」って言った。
それに対して僕は何も言えなかったけど、その時の気持ちが全て詰まった一言だと心に響きました。
ま、そんなこんながビックリに繋がった訳ですな。
今でも段差ではふらつく事が多いので、一人で玄関まで出てきた時には、ホントにビックリしました。
今でもリハビリ続けて少しずつ良くなってるんだけど、最初は「歩くことは無理」って自分で諦めた状態でした。
でも本人のやる気次第で、一歩ずつでも良い方向へ向かって行けるって事を僕に教えてくれたんだと思ってます。
もどかしい思いは、それだけ頑張っておられた証ですね。
これから寒くなるから、お体も辛い事が、増すすやもしれませんが、また、思いがけないビックリにでくわすことができるといいですね。
祖母、父親、母親の闘病生活の数年間だったんですけど
元気な姿を見れることが幸せな事だって実感してます。
母親自身、まさか杖が必要な身体になるとは思ってなかったでしょうから
投げやりになってた部分もあって、リハビリにも消極的だったんですよ。
でも、本心を打ち明けてくれて、してもらう一方なのが悔しかっのかなって思いました。
うちの母の晩年を思い出しました。
白血病だった母も家にいた最後の時はほとんど自分では動けなくなってしまっていました。
良かったですね。本当に・・・
師匠にはもう言う事ないと思いますが、今を大切にしてあげてください。精一杯お母様を大切にしてあげてください。
泣いちゃいそうですYO!!
父親は末期癌で亡くなったんですが、
入院を拒んでまで母親に付き添ってました。
なので父親が1番喜んでるんじゃないですかね。
ありがとうございます。
父親の分まで大切にしようと思います。