先日書いて、間があいてしまった。
お母様を亡くした方から、応援も頂いた。
私は、母を亡くしてずいぶんになるが、やっと乗り越えているところです。
書きますと、書いたので続きの駄文を。
電話をした家族、夫と息子がタクシーでかけつけた。そして、すぐに警察がきた。
事件性があるか、ないかすぐにわかるんでしょうね。
殺人ではないと。
でも、聞かれました。
母との関係。見つけたいきさつ。
母の財布、貯金通帳を確認しました。
あるところを知っていて良かったです。
よく覚えてないのですが、夫が警察の人と対応してました。私はずっと泣いていました。
次に、医者が来ました。遺体検分。
母は、脳溢血だと判断されました。そして、診断書が出されました。
医者が、泣きはらした私にこういいました。
突然脳内出血があり、倒れたようです。額の窪みは倒れる時に角で打った為です。その時はもう、痛みは一瞬で苦しまないで、亡くなったと思いますよ。
と、言ってくれた。
そう言ってくれたから、私と同じように泣く妹と、何とか仕方なかった、苦しまないで亡くなったと
互いに言い聞かせた気がする。
医者の見立てでは、亡くなったのは二日前。いろんな状況から、午前中。
朝起きて、食事をして先に洗濯をして干す所だったらしい。
かごには、洗った洗濯ものがはいっていた。
新聞受けにたまった新聞とかから、その日の母の行動や時間の予測をした。
人の亡くなり方は様々だろうけど、81歳の母の死は孤独死。
私は孤独死させた娘。
左手が冷たいと言ってた頃医者に見せたら、どうだったか。
妹が、母が電話に出ないと言ってきたその日が命日だった。
せめて、その日に見つけていたらどうだったか。
亡くなっていた事に変わりはないだろうけど、自分が死んで二日間も放置されて淋しかったろう。
と、今も思う。
せめて、病院で亡くなるような死だったら、何日かでも看病できたらと、悔いが残る。
こうして書いているのは、懺悔の気持ち、誰かに話したい気持ちから。
そして、一人で暮らしてる老人は、母のような亡くなりかたをする人がいることを知ってもらいたいから。
大した用はないけれど、電話をして、毎日元気か確認して欲しいと思う。
その後は、葬儀やがきて母は、ちかくの葬儀場に運ばれた。
小さな団地は、親戚、知人がどんどん来てくださり人間だらけになりそうだった。
検見が終わった後、葬儀やが来る前に慌てて、タンスから寝間着をひっぱりだして着せた。
検見の時に亡くなった時の服は、ぬれていて着せられなかった。
どうして、寝間着を着せたのか、一番良い着物を着せれば良かったとか、そんな事まで悔やむ。
母よ、この能天気な娘を許してください。
本当にごめん。
涙って、こんなに出るっていうくらい、泣いたあの時。
今も、何につけても思うよ。
死の痛みは家族にだけやってきます。