わたしは娘が2人いるんですが、熱く語り合うことが多い親子です。笑
3人でだったり2人だったり、家の中だったり外だったり、朝だったりお昼だったり深夜だったり、電車の中だったり、同じ家に帰るのに出かけた帰りにわざわざカフェに寄ったり。
今思い出しても笑ってしまうのは、高校の廊下で三者面談の順番を待つあいだに白熱した会話をしてて、前の親子が教室から出てきたときにハッと我に返ったり。しかもそのときの話題はジャニーズJr.についてだった!笑
そう、内容はくだらないものが多いけど、深いものもたまにある。
ゆうべも、上の娘と話していて、どういう繋がりか忘れたけど、感受性が豊かなひとは必ずガラスのハートなのかっていう話題で白熱してました。
わたしは常々、「感受性を育てる」みたいな言葉に疑問を持っていて。
感受性はあればあるほど豊かな人生を送れるみたいに思われてるけど、わたしは感受性って持ってると結構辛いものだと思ってる。
たぶんわたしは、この年代の中では感受性が多いみたいな気がする。多い少ないって表現は間違ってるかもだけど、豊かか乏しいかって言いかたしたら、豊かがいいに決まってるみたいになるからね。あえて多い少ないにしてみる。
感受性が多いと、感動も多いと思うけど、悲しい苦しい痛い辛いさみしい切ないetc. そういうマイナスな感情も多い。多いだけじゃなく、ひとつひとつが大きくて深くて鋭くて重たい。
だけどそれを大抵の他人はわかってくれない。わかってほしくて話したりするけど、伝わらなくて孤独を感じて余計に苦しくなる。
そんな経験を重ねているうちに、誰にも話さなくなる。ひとりで抱え込む。苦しい。
そんな感じ!ほら、いいことないでしょ?笑
だからきっと、表現するんでしょうね。音楽にしたり絵にしたり文章にしたり映像にしたり。
それでアウトプットしないと苦しいんだろうね。
でも、表現者が全員そうじゃないから、そういうひとを見つけると仲間だなあって思ってしまう。それがたぶんわたしの「好き」の原点だと思ってる。
なんか話がそれてしまった。
娘と話してたのは、感受性が多いと傷つくことが多い。傷つきやすいガラスのハート。
でもね、娘が言ってたんです。
今までそのガラスのハートのせいですごく生きにくかった。人より辛いことが多かった。だけど、傷ついたらそっからだ!って。傷つくことで研ぎ澄まされる感性。だから傷つけてくれてむしろありがとうって思うって。感受性がなくなったら心がなくなるってことだから、そんなの死んだも同然だって。
誰が生んだんだ?この子。って思ってしまった。
すごい。かっこいい。強いじゃないかそんなの。むしろ最強だ!
わたしはこの多い感受性を持て余してて、楽になりたいがために、こんなのいらないなあって思ってた。綺麗な音楽聴いて、素敵な映画観て、いいねーいいねーって笑って生きれたらいいのになって思ってた。夜になってもなにも考えずにぐっすり寝て爽やかに起きて。
でも、それじゃ死んだも同然なんだ。
じゃあこのまま、痛いとか苦しいとか言いながら生きてくしかないな。
それで溢れるみたいに表現できたらいいな。
感受性が豊かなおばさんはちょっといやだから、このままガラスのハートを持つおばあちゃんを目指していくことにしよう!
ゆうべ聴いてたら眠れなくなった歌。きのこ帝国の夜鷹