よそみち自転車操業~よそみちさいくるらいふ~

人生も自転車をこぐように、
ひとこぎひとこぎ…
あせらず、あわてず、
ゆる~く、少しずつ進んでいこう…

あれから10日が経ちました

2011年03月20日 | 大震災

2011年3月11日午後3時46分・・・まさに地獄を見た気がします。

 

今日で10日が経ち、身の回りのライフラインも少しずつ復旧の兆しが見え始め、

被災地の友人・知人の安否も確認でき、一安心しました。

 

自分の周りの被害状況を報告しておきましょう。

 

当日の自宅の自室

・・・ん?ただ汚いだけ?

ではありません。机や家具が壁から10センチほど動いています。

自慢のB社のスピーカーは高い棚から落下していました。

でも、寝ている時だったら確実に頭に落ちていたわけで・・・ゾッとします。

 

地震直後に帰省していたマイサンから『無事メール』が来ていたので、

マイサンは大丈夫と思っていましたが、

夜になっても帰宅しない。

「まさか・・・途中で事故にでも?」と思いながら、

電気・水道の止まった自宅で、おYOMEと待っていました。

結局、その晩は連絡が来ないまま一夜を明かしましたが、

早朝におYOMEの実家から電話で

「街なかの小学校に非難している」と一報が入り、迎えに行ってきました。

 

いきさつは、

~駅ビルにいて地震に遭い、そのまま避難所へ誘導されて

メールを送った直後に携帯の電源は切れ、

公衆電話で自宅に電話をしたものの

我が家の電話は某通信会社の回線のために繋がらず、

祖父母の家に電話を掛けていたが、

そちらは停電でガレージのシャッターが開かず、

車も出せないので、連絡ができなかった~

ということでした。

ボクなら歩いても帰ってくるけど、

マイサンとしては「歩くのは危険」と判断して非難したのでしょう。

 

 

そして翌日の職場。

悲惨・・・まさに地獄絵図です。

この2メートル手前にいました。

これが落ちたときは「死ぬ!」と思いました。

でも、従業員(当日2名)、来店客全員が無事でした。

奇跡だったかも・・・

当日よりも損壊は進んでいました。

夜中の余震によるものでしょう。

奇跡的に助かっていたA社ロードバイク

ほとんどはこんな感じです。

天井の残った部分でも・・・

振り返ると本当に恐ろしかったです。

かき集めた自転車たち

 

翌週の火曜日は仕事も臨時休業。

近くの小学校へ給水を受けに行きました。

どんな時でも子供たちの明るさには救われますね。

給水車がやってくると思わず拍手!

ひとり10ℓですが、本当に助かります。

一旦帰宅して、2回目の受給を受けました。

その時の足がコレです。

 

今回ほど、電気・水道・ガス(我が家はガスは引いてませんが)という

ライフラインが完備されていることの有難みを感じたことはなかったですね。

 

今後の我が家の災害対策として、

「水の備蓄」「カセットコンロの準備」「キャンプ用携帯ガスの備蓄」を誓いました。

 

昨日、最後まで連絡が取れなかった大船渡の知人とも

電話で話せたので、すべての知り合いの安否が確認できました。

家を津波で流されたというのが3人、

親との連絡が付かないというのが2人いますが、

とりあえず直接の知人(連絡先を知る)の無事が確認できたので、

悲惨な災害の記憶が薄れないうちに・・・と痛む心でアップしました。

 

今回の震災で、毎年クロカンレースで訪れていた南三陸町や

いつも自転車で走っていた仙南・相馬地区のルートのほとんどが

大変な被害を受け、まともに走ることのできない状況になっています。

ニュースや新聞でその映像を見るたびに、胸が張り裂ける思いでいっぱいになりますが、

自分として何ができるのかを、しっかりと考えて、

復興に尽力し、また、自転車で楽しく走れる環境を築き上げていきたいと思います。

なんて言ったって『自転車は最強の乗り物』ですから!!

 

 

※一部内容を修正しました(3/24)。

 

 

 



最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ボケちん)
2011-03-20 18:18:27
酷いですね。
これで誰も怪我がなかったのは奇跡です。
これから復興作業が大変ですね。

仙台在住の私の息子も一行メールはあるけど
どんな状況なんだか…(汗
○○隊なので今のところは会話もできないです。

テレビで見ると本当に心が痛くなりますね。
被災地の仮設住宅工事にうちの従業員も半数行くので、
仕事の都合がつけば バンダナさんも長期出張になるかも。
力を合わせて頑張らないとですね。
仙台のみなさんも大変だけど頑張ってください。
返信する
ご無事でなにより (ちゃりけん)
2011-03-22 12:59:54
地震の被害すごかったんですね。うちも二階はぐちゃぐちゃになってしまいましたが家族はみな無事です。
最後の乗り物であるはずの自転車が、福島では使えなくなってる地域があります。放射線のせいです。
浜の方々を思うと心配でたまりません。
一秒でも速い原子炉の収束を願うばかりです。
宮城のサイクリングターミナルはどうなってしまったんだろう・・。
返信する
安心しました (づめっち)
2011-03-23 22:21:32
本当に震災の被害は…言葉もありません。
ただただ無事だったことを喜ばせてもらっています。

一応私の実家がある茨城も被災地に入っているのですが(北茨城から鹿島の海岸線ですね)
実家は県西地区ということで
道路が少し隆起した、とか橋の根元が少しひびが入った、とかで
家の方とかはほぼ問題ない状態でした。

私にできることは何かないかな~と思い、
自治体に布団を寄付してきましたが、
直接そちらに何か送るのはまだまだ先になりそうです。

ただ少しずつ復興の足跡は付け始めているんだろうな~と、文の合間から伝わってきます!!
お体に気をつけてください!
返信する
ありがとうございます (PaNTaH-2)
2011-03-24 12:18:10
ボケちんさんも、息子さん心配でしょうが、多分必死にがんばっておられると思いますよ。

ちゃりけんさん、ご心配いただきありがとうございます。
家も家族にも被害は及びませんでしたが、職場で悲惨な状況に遭遇するとは夢にも思いませんでした。
ほんとに無事だったことが信じられません。
名取CSCは噂によると、壊滅状態らしいです。
まともに津波を喰らったでしょうからね。
今年の宮城BRMは現在のところ、すべて中止の予定です。
一日も早い復旧を願いたいですね。
放射能汚染は、騒ぎすぎだと思います。
基準値が低すぎる設定ですよ。
そうは言っても、浪江の先輩は福島に避難したそうですが…

づめっちさん、何度もメールをいただき感謝しています。
だいぶこちらも復旧の目途が立ち始め、ガソリンもかなり潤沢になりつつあり、ガスも近々復旧するらしいです。
これも一重に、周囲の皆様のご支援の賜物と日々感じております。


みなさま、どうもありがとうございます
返信する
お店はあれから… (まめ)
2011-04-25 16:26:45
元気ですか?
もう1ヶ月以上経ちますが、店舗の復旧はどうなりましたか?

まだ余震も続きそうだし、体に気をつけてね。
こちらの桜はが降って、もう散ってきました。
返信する

コメントを投稿