山に登るようになって、いろんな花の名前を教えていただいた。
今まで興味がなかったが、それなりに興味も湧いてきた。
先日の明神平で、福寿草の話になった。
我が家の庭先にも咲いているなぁ ってその時はぼんやりと頭の片隅で考えていた。
翌日、庭先の福寿草を探してみると、暖かい太陽の光を浴びて黄色い花びらを大きく広げている。
この福寿草は、死んだ父親が大事に育てていた盆栽に植えられていたものだった。
松竹梅をあしらった縁起物の鉢に添えられて咲いていたのを思い出す。
父親は、私が20歳の時に他界してしまった。
当時の私に、盆栽を育てる興味もなく、また技量もなかった。
逆に、死んだ父親を思い出させるものとして、見向きもしなかったと思う。
何年かして、枝が伸び放題になった盆栽を母親は不憫に思ったのだろう。
大きく自由に育ちなさいと、庭先に植え替えていた。
時は過ぎ、今では幾つもの綺麗な花を咲かせてくれるようになった。
春を迎えるこの季節に、私は父親の面影を思い出す。
今まで興味がなかったが、それなりに興味も湧いてきた。
先日の明神平で、福寿草の話になった。
我が家の庭先にも咲いているなぁ ってその時はぼんやりと頭の片隅で考えていた。
翌日、庭先の福寿草を探してみると、暖かい太陽の光を浴びて黄色い花びらを大きく広げている。
この福寿草は、死んだ父親が大事に育てていた盆栽に植えられていたものだった。
松竹梅をあしらった縁起物の鉢に添えられて咲いていたのを思い出す。
父親は、私が20歳の時に他界してしまった。
当時の私に、盆栽を育てる興味もなく、また技量もなかった。
逆に、死んだ父親を思い出させるものとして、見向きもしなかったと思う。
何年かして、枝が伸び放題になった盆栽を母親は不憫に思ったのだろう。
大きく自由に育ちなさいと、庭先に植え替えていた。
時は過ぎ、今では幾つもの綺麗な花を咲かせてくれるようになった。
春を迎えるこの季節に、私は父親の面影を思い出す。
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