復興カフェ スクラム

東日本大震災の復興支援サイト。

石巻マルシェ

2012-02-11 17:01:11 | 日記
◆石巻復興プロジェクト ReIshinomaki
http://reishinomaki.net/?tw_p=twt

場所
東京都大田区山王3-1-6 旧鈴木はきもの屋(ウィロード山王商店街)
京浜東北線 「大森駅」西口より徒歩10分

開催日時
毎週土曜日開催
※2012年5月までの期間限定開催
※2011年12月31日はお休み予定

営業時間:10:00~18:00
石巻のつどい(情報交換会):19:00~21:00

どんなことをやっているの?
石巻マルシェには「希望の缶詰」「お味噌」「醤油」「石巻焼きそば」「仙台味噌ホルモン」など、石巻から直送されるたくさんの商品が集められ、東京における石巻への復興支援に関するヒト・モノ・カネ・情報が繋がる拠点になります。
1.ヒトとつながる・・・在京の石巻人、石巻の復興に関心がある方が触れ合う場(石巻のつどいの開催)
2.モノとつながる・・・都内で石巻の商品が買える場(物販+軽飲食)
3.カネでつながる・・・出資者として運営に参加できる場(1口オーナー制度)
4.情報でつながる・・・東京では手に入りにくい石巻の地元誌、フリーペーパー、動画などから情報が得れる場


◆石巻マルシェ  ウィロード山王商店街にオープン
  2011年 11月26日(土)に石巻マルシェが東京大田区大森駅近くにオープンしました。

石巻復興プロジェクトの8割のメンバーが仙台、東京を中心とした石巻市外で日頃は生活をしています。
被災地である石巻を故郷に持っていながら、日常生活において、被災地の生活の厳しさを実感する時間が、あまりにも短い毎日です。

震災の報道が減っていくことからも分かるように、被災地とは直接関係のない人達の関心はどんどん震災から離れていきます。これはどうしようもないことです。
ただ、その様子を知っていながら黙っていることは出来ません。自分たちが声をあげることを止めてしまっては、大勢の人の命を忘れてしまうことになりかねません。残された私たちは、街を元の状態に戻して、更に発展させていかなければなりません。
生まれ育った街が立ち直ろうと頑張っているとき
一緒に生活をしてきた、家族、親戚、友だちが大変なとき
私たちにはいったい何が出来るのだろう?
「後ろめたさ」や「罪滅ぼし」にも似た思いを抱きつつ、今この場、この立場、この状況でしか出来ない、それぞれの復興プロジェクトを実現させていこうと思います。
それぞれの復興プロジェクトは20年以上先まで考えなくてはなりません。
東京には支援の情報が集まります。今、私達が出来ることは、人と人のつがりを作ること、つげたら次は何かの形にして石巻に復興を送ることです。

震災関連ライブラリー(1)

2012-02-11 13:18:23 | 日記
①三陸海岸大津波
 (文春文庫) [文庫]
 吉村 昭


出版社/著者からの内容紹介
明治二十九年、昭和八年、昭和三十五年チリ地震。
人々に悲劇をもたらす大津波はどのようにやってくるのか。前兆、被害、救援の様子を体験者の貴重な証言をもとに再現した震撼の書。

内容(「BOOK」データベースより)
明治29年、昭和8年、そして昭和35年。青森・岩手・宮城の三県にわたる三陸沿岸は三たび大津波に襲われ、人々に悲劇をもたらした。大津波はどのようにやってきたか、生死を分けたのは何だったのか―前兆、被害、救援の様子を体験者の貴重な証言をもとに再現した震撼の著。



東日本大震災の教訓―津波から助かった人の話
  村井 俊治

 [古今書院、単行本] 1800円

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
 昭和14年9月19日生まれ。東京都出身。工学博士。現職、日本測量協会会長。昭和38年東京大学工学部土木工学科卒業。昭和46年東京大学生産技術研究所助教授。昭和58年東京大学生産技術研究所教授。平成12年、東京大学定年退職、東京大学名誉教授。1992年~1996年、国際写真測量・リモートセンシング学会(ISPRS)会長。1992~1995年および1997年~1999年、アジア工科大学(AIT)教授。1997年、タイ国白象褒章勲二等受章。1998年、スイス連邦工科大学(ETH)名誉博士。2006年、「人とわざわい~持続的幸福へのメッセージ」(SBB社発行)編集委員長。特許、「地震・火山噴火予知」(特許番号三七六三一三〇号、2006年、環境地質研究所と共願)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


③ 大震災のなかで 私たちは何をすべきか
  内橋 克人 (編集)
  (岩波新書) [新書}


内容紹介
 この大震災は、何を問いかけているのか。大きな悲しみや苦しみ、喪失感のなかで新しい歩みを始めてゆかねばならない被災者・被災地に、私たちはどう向き合い、これからどんな支援をしていったらよいのだろうか。現地で活動を続ける医師やボランティアをはじめ、作家や学者ら33名がそれぞれの思いと考えをつづる。
内容(「BOOK」データベースより)
二〇一一年三月一一日、東日本を襲った大震災は、何を問いかけているのか。大きな悲しみや喪失感のなかで新しい歩みを始めてゆかねばならない被災者・被災地に、私たちはどう向き合い、どんな支援をしていったらよいのだろうか。現地で活動を続けた医師やボランティアをはじめ、作家や学者ら三三名が震災の意味、復興の形をつづる。



④奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」
 中原一歩 (著) (朝日新書) [新書]  


内容紹介
 震災後、延べ10万人というボランティア受け入れを可能にした石巻。力を結集し、いち早く復旧作業にあたるには、従来の常識を覆し、行政と民間団体が連携して「熱意を形にする」仕組みをつくることが必要だった。それを可能にした熱き人間ドラマを描く。

内容(「BOOK」データベースより)
 災害ボランティア活動は、きれい事だけでは済まない。自治体にとって、ときには志願者が負担になることもある。そんな現実のなかで奇跡的な成功例と評された地域―。それが宮城県・石巻市だ。「石巻モデル」を支えた人たちの「決断」と「行動」を明らかにする!行政、NGO、NPO関係者必読の書。



⑤ 6枚の壁新聞 石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録
  石巻日日新聞社 (編集) 
  角川SSC新書 (角川SSC新書 130) [新書]
 

内容紹介
 2011年3月11日、東日本大震災が起こり、東北地方を大津波
が襲った。宮城県の地域紙・石巻日日新聞社では、輪転機が一部水没。
創刊99年の新聞発行が危機に立たされる中、「電気がなくても、紙とペンはある」と手書きの壁新聞を決意する。
家族・親族の安否もわからない中、記者たちは最前線で取材を繰り広げた。
避難所などに貼り出された壁新聞は、被災者の貴重な情報源となり、人々を励まし続けた。
「伝える使命」とは何か。震災後7日間の記者の姿を追った。



⑥ 前へ!―東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録
  麻生 幾 (著)
  新潮社(単行本)
 1500円

出版社/著者からの内容紹介
「本日午後10時20分、2号機メルトダウンの予想!」
「全部隊、第一原発から100キロ以上退避準備!」
 悪夢へのカウントダウンを止めるべく、彼らは立ち上がった----。
高レベルの放射線が降り注ぐ中、暑さで曇ったゴーグルとマスクを投げ捨て、原発への放水を成し遂げた自衛隊員がいた。
 ある隊員は「死ぬなら自分のような独身者が」と原発行きを志願した----。
国交省・東北地方整備局率いる決死部隊は、被災地を目指す救助隊の先陣を切り、瓦礫と遺体で埋まる基幹道路と格闘し続けた。
 警視庁機動隊、東京消防庁ハイパーレスキュー隊、災害派遣医療チーム、福島県警察本部......
失態を繰り返す官邸、東電をよそに、命を賭けて黙々と未曾有の危機に対峙した、名もなき戦士たちの壮絶なる記録!

内容(「BOOK」データベースより)
 放射線が降り注ぐ中、暑さで曇ったゴーグルとマスクを投げ捨て、原発への放水を成し遂げた自衛隊員がいた。ある隊員は「死ぬなら自分のような独身者が」と原発行きを志願した―。国交省・東北地方整備局の決死部隊は、被災地を目指す救助隊のため、ガレキと遺体で埋まる基幹道路と格闘し続けた。警視庁機動隊、ハイパーレスキュー隊、災害派遣医療チーム(DMAT)…未曾有の危機に命をかけて対峙した、名もなき戦士たちの知られざる記録。