復興カフェ スクラム

東日本大震災の復興支援サイト。

国際支援(参考情報)

2012-02-12 18:33:42 | 日記
ドイツ大使館(東京)
  Deutsche Botschaft Tokyo


東日本大震災:日本との連帯

 2011年3月11日に発生した東日本大震災発生を受け、ドイツ国内では日本を支援する動きが広がりました。ドイツ外務省と在日ドイツ連邦共和国大使館に対策チームが置かれ、さまざまな支援の申し出の調整にあたりました。

 ドイツの一般市民・市民団体、企業、自治体、連邦政府、各地の独日協会から、これまで6000万ユーロの支援が寄せられました。この資金は、日本赤十字社、各国際支援団体および日本の関連団体、自治体、日本の財団やNGOに送られました。

 日本に対するドイツの支援として、実施された寄付や資金援助には次のようなものがあります。

寄付・資金援助
金額 円換算※

連邦教育研究省
 500万ユーロ
 5億1900万円

個人による寄付(赤十字社等)

(2011年11月18日現在)
3200万ユーロ
33億2600万円

企業による寄付

(BASF、バイエル、BMW、ボッシュ、メルセデス・ベンツ、メルク、シーメンス、フォルクスワーゲングループなど)
1700万ユーロ
17億6600万円

メルセデス・ベンツ社による救援・復興活動用トラック、オフロード車計50台提供

同社による寄付200万ユーロ

 400万ユーロ
 4億1500万円

EU緊急支援

(計1000万ユーロのうちのドイツ負担分)

 200万ユーロ
 2億 700万円

合計
6000万ユーロ
62億3300万円


※1ユーロ=104円換算


 日本赤十字社に直接送られた寄付のほか、ドイツでは多数の支援活動(チャリティーコンサート、学校・スポーツ行事、募金活動等)が実施され、集められた資金で東北地方におけるプロジェクトの支援が行われています。

こうした活動やプロジェクトの一端を以下にご紹介します。

● 川内村コミュニティーセンター建設支援

 福島原発事故を受けて避難した川内村の人々が仮設住宅で暮らす郡山に可搬型コミュニティーセンターを建設。このコミュニティーセンターには、多目的ルーム、キッズルーム、図書室、健康相談室などが設けられる。川内村の人たちが帰村の際には、いったん解体された後、川内村に搬送して組み立てることが可能。
 【支援団体】 ドイツ赤十字社、日本赤十字社

● カーシェアリングプロジェクト「Docodemo Eco Car」

仮設住宅で暮らす被災者(福島県郡山市、宮城県南三陸町等)、仕事を失った漁業従事者の配偶者(宮城県牡鹿半島)、NGO団体(岩手県遠野市)が買物、通院、荷物運搬等のために無料で共同使用できるカーシェアリング用車両を20台以上提供。
 【支援団体】 独日協会、西濃シェンカー株式会社、シーメンス社、テュフズードジャパン社、ブリタジャパン、ハンブルク・アルスタータール地区ロータリークラブ等


● 児童養護施設「一関藤の園」再建支援(岩手県一関市)
 【支援団体】 マルタ騎士団修道会福祉支援会、カリタス会、ドイツ東洋文化研究協会(OAG)、ヴュルツブルク・シーボルト協会等


● 保育所、教室等用コンテナハウス300ユニット寄贈(宮城県東松島市)
 【支援団体】 ボッシュ・グループ


● サッカー・ブンデスリーガ優勝チーム ボルシア・ドルトムントと日本人選抜チームのチャリティー試合
 5月17日 デュイスブルク市
 【支援団体】 エボニック社


● 宮城県石巻市の児童・生徒・大学生、宮城県南三陸町の被災孤児、岩手県宮古市の漁業従事者に対する支援
 【支援団体】 ブラウンシュヴァイク・パイネ・ヴォルフスブルク独日協会


● 宮城県七ヶ浜町図書センター再建支援
 【支援団体】 ベルリン日独センター


● 姉妹提携関係にある岩手県に対する復興支援
 【支援団体】 ラインラント=プファルツ州市民有志


● 宮城県南三陸町に対する支援
 【支援団体】 ハノーバー独日協会


● 岩手県釜石市住民のための募金活動
 【支援団体】 カイザースラウテルン市、ドイツ語福音協会(東京・横浜)


● 福島県飯舘村社会福祉関連施設への支援
 【支援団体】 シュレスヴィヒ=ホルシュタイン独日協会


● シュタイナー教育芸術友の会(カールスルーエ)による被災児童サポート活動
  4月28日-5月7日 宮城県仙台市周辺


● 宮城県農業高等学校に対する支援
 【支援団体】 ベルリン日独センター


● 宮城県名取市の小学校に対する支援
 【支援団体】 ユキコ・イノクチ=ヴィッペルト氏及びゴスラー市


● 福島日独協会による日独小中学生交流プロジェクト
 【支援団体】 ベルリン日独センター


● 東北大学および福島県のろう学校に対する支援
 【支援団体】 ドイツ語圏日本学術振興会研究者同窓会


● 福島労災病院(いわき市)に対する支援(ホスピタルベッド寄贈)
 【支援団体】 フェルカー・ジャパン社


● 大使館職員やドイツ在住市民によるボランティア活動参加(がれきの片付け等)

 ベルリンの団体Kizuna in Berlin e.V.による岩手県におけるボランティア活動(9月15日―30日)等


● 被災地慰問事業

 5月21日-28日
 アコーディオン奏者ヴォルフガング・ヘルツレ氏巡回コンサート
  場所: 避難所12か所(福島県郡山市、宮城県多賀城市、名取市、七ヶ浜町、東松島市、女川町、石巻市)

 【支援団体】 ドイツ大使館、シュティール社

 6月18日・19日
 元ドイツ代表ピエール・リトバルスキー氏(VfLヴォルフスブルク)による出張サッカー教室
  場所: 宮城県仙台市、気仙沼市
 【支援団体】 アディダスジャパン株式会社、株式会社リョーカジャパン

6月22日-27日
ライプツィヒ弦楽四重奏団巡回コンサート

場所: 福島県郡山市、岩手県大船渡市、一関市、宮城県仙台市、気仙沼市、東京都

【支援団体】 エアバス社

9月21日・22日
  女優寺島しのぶ氏とアコーディオン奏者ヴォルフガング・ヘルツレ氏による朗読と音楽演奏
  場所: 宮城県気仙沼市、岩手県一関市、大船渡市
 【支援団体】 ドイツ大使館

 ユニセフ大使であるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による日本の子供たちのためのチャリティーコンサート
  於: ドイツ及び宮城県仙台市

9月
 ケント・ナガノ指揮によるバイエルン国立管弦楽団のチャリティーコンサート
  於: 東京

11月
 ベルリン・ドイツ交響楽団によるチャリティーコンサート
  於: 宮城県名取市

  希望の響き-バイオリニスト アラベラ・シュタインバッヒャーの東北コンサートツアーが記録映像に
 音楽の力で被災地を支援。この信念の下、日本人の歌手を母に、ドイツ人のピアニストを父にもつ著名なバイオリニスト、アラベラ・シュタインバッヒャーの被災地でのコンサートツ アーが映像に記録されました。

ヴルフ大統領のいわき市訪問
 日本を公式訪問したヴルフ大統領は、福島県いわき市にある福島県楢葉町・広野町の仮設住宅を訪れ、避難生活を送る住民の方々から現状を伺いました。(2011年10月25日)

震災関連プレスリリース

ドイツの被災地支援状況(2011年11月現在) [pdf, 135,03k]
ライプツィヒ弦楽四重奏団 被災地巡回コンサート(2011年6月22日~27日) [pdf, 84,17k]
リトバルスキー氏による出張サッカー教室開催!(2011年6月18・19日) [pdf, 282,65k]
被災地慰問演奏会(2011年5月21日~28日) [pdf, 85,39k]
義援金・支援状況(2011年5月17日) [pdf, 143,91k]
ライプツィヒ弦楽四重奏団 被災地巡回コンサート

石巻ZENKAI商店街

2012-02-12 17:34:38 | 日記
◆ 石巻ZENKAI商店
 Revival Ishinomaki Project (RiP)
  http://zenkai-rip.blogspot.com/p/zenkai_302.html

  東日本大震災により被災し
  全壊地域となった石巻市街の
  商店主の有志がこれからの
  新たな石巻復興に向かって
 「全開で全快を目指す」ために立ち上げた
  復興プロジェクトです。



かめ七呉服店

泥のかき出し、瓦礫の撤去は終わったものの、細かいところはまだまだの状況です。
泥出し等の作業はボランティアの皆様に随分と助けていただき、感謝しております。
ゆかた等の販売から復興に向けて歩み始めています。
住所:〒986-0822 宮城県石巻市中央2丁目4-18
電話:0225-22-0506


京屋呉服店

現在地において大正4年より呉服・小物を中心に営業を行ってまいりました。
お客様の立場になり、良品を適正価格で、アフターフォローを大切にをモットーに頑張ってまいりました。
今回の東日本大震災により、1階店舗は2mの津波により水没し商品も失い、
新たな第一歩を踏み出すために
この全壊地区の仲間たちと共に力を合わせ早期の復興を目指します。
新たな出会いに感謝いたします。
住所:〒986-0822 宮城県石巻市中央2丁目7-10
電話:0225-22-0727


COFFEE SHOP ROOTS

地球にやさしいソーラーパネルを導入し
自然エネルギーでの再出発を目指し、
6月16日満月の夜、ラビラビのライガとともにopen。
美味しいコーヒーを飲みながら、地元の仲間とボランティアさんがコミュニケーションをとり輪が広がり
つながっていくミラクルスペースです。
住所:〒986-0822 宮城県石巻市中央2丁目9-24
電話:090-6684-2415


京呉服さかぶん

当店は呉服専門で小売業をしておりましたが、今回の東日本大震災で津波が2m以上押し寄せて、1階が水没してしまいました。
しかし、みんなの協力によって少しずつ仮営業を始めながら、毎日元気に過ごしています。
まだまだ店は全快ではないですが、自分自身は全快目指して頑張ります。
住所:〒986-0824 宮城県石巻市立町1丁目2-19
電話:0225-93-7633


お食事仕出し 「松竹」

北上川岸から100mあまりのところで江戸時代より旅館業を営んでおりました。
旅館業は平成22年2月に廃業してしまいましたが、震災直前から飲食業をメインに営業しております。
当店も津波の直撃を受け全壊いたしましたが、くじけることなくやれることからコツコツと復興に向けて精進していきたいと思っております。
石巻にいらした際にはぜひ遊びに来てください。
住所:〒986-0822 宮城県石巻市中央2丁目7-23
電話:0225-96-4896    URL:www.shouchiku.jp


料亭 とり文

今回の津波で当店の1階は3m程水没し、
3か月ほど休業しましたが、
ボランティアの皆様のお力添えもありまして、現在、10月中旬のオープンを目指し改修工事を進めております。
冠婚葬祭、商談、ご家族、ご友人などでのお食事をご準備して皆様をお迎え出来る日を楽しみにしております。

復興には時間が掛かりますが、少しずつ回復の兆しが見えます。
石巻にお越しの際はぜひご来店ください。
住所:〒986-0822 宮城県石巻市中央2丁目7-18
電話:0225-22-0521   URL:http://www.toribun.net


まるみ屋呉服屋

確かに周りの環境は日を追うごとに改善されています。
しかし、なかなか我々商店街の復興は為されておりません。
なんとか一日もはやく気持ちの部分から立ち直れるように"皆の力をひとつに"心を合わせて進んでいきたいと考えています。
「全開で全快を目指します!!」
住所:〒986-0822 宮城県石巻市中央2丁目1-14
電話:0225-22-1080


割烹 八幡屋

大正2年創業。鰻・日本料理のお店です。
創業100年を目の前にした被災直後は復興の日が考えられないような状態でした。
ボランティアの方をはじめ、たくさんのみなさんの御支援の中、7月より一部営業を再開しておりますが、
まだまだ全快には程遠く、お客様にもご不便をお掛けしている状況です。
本当の「全快」へ向け、「全開」で
頑張ってまいりたいと思います。宜しくお願い申し上げます。
住所:〒986-0822 宮城県石巻市中央2丁目8-23
電話:0225-22-0138   URL:http://ww51.et.tiki.ne.jp/~kiyo1004/


和牛乃亀山

当地域(中央地区・アイトピア商店街)で三代に渡り街の精肉店として地域の皆様に支えられ、
品質・安全・安心をモットーに食肉商品を販売しておりましたが、
今回の大震災で営業店舗施設がすべて壊滅し当分の間、営業が出来ない状況に陥りました。
このRiPの活動を通して、希望を新たに本業再開に向けて全員で邁進しております。
皆様の御支援・ご協力よろしくお願いいたします。
住所:〒986-0822 宮城県石巻市中央2丁目9-5
電話:0225-93-1616


「蒲鉾本舗高政」四代目、高橋正樹さん

2012-02-12 16:20:51 | 日記
◆ 津波で祖父を失いながらも、工場を再生、従業員を新規雇用
    ーー復興に挑む4代目のかまぼこ工場が女川町を救う

     岩瀬大輔が見た被災地の挑戦文:岩瀬 大輔(ライフネット生命副社長)
     「現代ビジネス」2012年01月12日(木)
       http://gendai.ismedia.jp/articles/print/31546

 連休を使って訪れた宮城県女川町にて、事業を通じて復興に取り組む一人の同世代の経営者にお会いしました。女川を代表する特産品、かまぼこを製造販売する創業75年の老舗「蒲鉾本舗高政」。四代目の高橋正樹さんは企画部長を務める1975年生まれの36歳です。

 女川町は約8割の地域が津波に流され、人口1万60人のうち900人強の方々が死亡ないし行方不明になるという、壊滅的な被害を負っています。高橋さん自身、自宅は2階まで浸水し、祖父で先代社長の政一さんを津波で失いました。


 写真撮影筆者 そんななか、同社は奇跡的にも被害を免れました。工場はいくらか損傷を受けたものの、海水は原料が貯蔵された倉庫の数メートル手前で止まり、予定されていた新工場の建設も着工開始が3月15日であったことから生産設備は無事だったそうです。

 震災からしばらくの間は町に物資が届かず、町民は食べるものすらない状況が続きます。しかし、震災前夜の3月10日、この日だけたまたま、高政の冷凍庫にはかまぼこが2万個、タンクには100トンの水が貯蔵されていたそうです。高橋さんたちはこれを皆に歩いて配って回ります。一人一日一個、袋入りの小さなかまぼこしか口にすることはできませんが、それでも人々は大いに救われました。

 しばらくすると物資が届くようになりますが、菓子パンのような甘いものしか届かなかったそうです。しかも、それを二人で一日あたり半分ずつして分け合う、という状況。

 「あったかくて、しょっぱいものが食いてぇ」

 日に日に、弱まっていくお年寄りの姿を見かねた高橋さんは製造機を応急処置で直し、中部電力から緊急電源車両を呼び寄せます。そして地震から9日後には、熱々のかまぼこ10万枚以上を町民に配り始めました。

 「温かいかまぼこを口にして、皆の顔に元気が戻りました。やっぱりかまぼこは、女川のソウルフードなんです」

 あの日から10ヵ月。町はいまだ復興からほど遠く、町内に約40軒あった水産加工場のほとんどが操業できないまま。高橋さんの会社は女川町で唯一、被災前同様の生産量を確保する食品工場として稼働しています。

 支援金や支援物資はずっと続くわけではない。企業が生き続け、雇用を生むことが将来の女川をつくる。そう信じる高橋さんは、仕事がなかった間も従業員を解雇することなく、ずっとお給料を払い続けました。それどころか、震災前に126名だった従業員を178名にまで増やし、2012年3月までにさらに新入社員を10人以上予定しているそうです。

写真撮影筆者「俺、経営者としては失格かも知れませんね。でも、人を1人雇えば、4人を食わせることができますから」

 取り組みは自社の事業運営だけではありません。旧工場を被災企業4社に貸し出し、女川町の産品を販売するサイトを立ち上げ、女川町への観光バスを誘致し、町内産食品の放射能検査をすべて無料で受け付けるなど、復興の先導役になっています。

「おやじには新工場のために借りた16億円は気にするな、俺が一生をかけてでも返すから。いまはすべてを女川町に還元しよう、そう話しています」

 温かい微笑みを見せる一人の同世代の経営者が、人生を懸けて町の復興に取り組んでいる姿に感動するとともに、企業が社会のために果たすべき役割について、深く考えさせられた出会いでした。

 最後に。同社が販売する高級かまぼこはお酒のつまみにぴったりだし、贈り物としても喜ばれること間違いありません。今年は例年よりかまぼこを少しだけ多く食べて、女川町の復興を支援してみませんか? 共感して下さった方は「女川町 高政」でネット検索をして、同社のホームページからかまぼこを取り寄せてみてください。あるいは、一人でも多くの方に高橋さんのことを知って頂けるよう、メディアなどでご紹介ください。

 政治や行政を非難するのではなく、一人一人が自分にできる小さなアクションを取ることで、この国は変わる。私はそう信じています。

 岩瀬大輔(いわせ・だいすけ)
 ライフネット生命保険株式会社代表取締役副社長 1976年埼玉県生まれ。東京大学法学部を卒業。ボストン・コンサルティング・グループ、リップル・ウッドなどを経て、2004年にハーバード・ビジネス・スクールへ留学。日本人としては4人目の「ベイカー・スカラー(上位5%の優等生)」を獲得し、ライフネット生命の創業に関わる。著書に『生命保険のからくり』(文春新書)など。

石巻マルシェ

2012-02-11 17:01:11 | 日記
◆石巻復興プロジェクト ReIshinomaki
http://reishinomaki.net/?tw_p=twt

場所
東京都大田区山王3-1-6 旧鈴木はきもの屋(ウィロード山王商店街)
京浜東北線 「大森駅」西口より徒歩10分

開催日時
毎週土曜日開催
※2012年5月までの期間限定開催
※2011年12月31日はお休み予定

営業時間:10:00~18:00
石巻のつどい(情報交換会):19:00~21:00

どんなことをやっているの?
石巻マルシェには「希望の缶詰」「お味噌」「醤油」「石巻焼きそば」「仙台味噌ホルモン」など、石巻から直送されるたくさんの商品が集められ、東京における石巻への復興支援に関するヒト・モノ・カネ・情報が繋がる拠点になります。
1.ヒトとつながる・・・在京の石巻人、石巻の復興に関心がある方が触れ合う場(石巻のつどいの開催)
2.モノとつながる・・・都内で石巻の商品が買える場(物販+軽飲食)
3.カネでつながる・・・出資者として運営に参加できる場(1口オーナー制度)
4.情報でつながる・・・東京では手に入りにくい石巻の地元誌、フリーペーパー、動画などから情報が得れる場


◆石巻マルシェ  ウィロード山王商店街にオープン
  2011年 11月26日(土)に石巻マルシェが東京大田区大森駅近くにオープンしました。

石巻復興プロジェクトの8割のメンバーが仙台、東京を中心とした石巻市外で日頃は生活をしています。
被災地である石巻を故郷に持っていながら、日常生活において、被災地の生活の厳しさを実感する時間が、あまりにも短い毎日です。

震災の報道が減っていくことからも分かるように、被災地とは直接関係のない人達の関心はどんどん震災から離れていきます。これはどうしようもないことです。
ただ、その様子を知っていながら黙っていることは出来ません。自分たちが声をあげることを止めてしまっては、大勢の人の命を忘れてしまうことになりかねません。残された私たちは、街を元の状態に戻して、更に発展させていかなければなりません。
生まれ育った街が立ち直ろうと頑張っているとき
一緒に生活をしてきた、家族、親戚、友だちが大変なとき
私たちにはいったい何が出来るのだろう?
「後ろめたさ」や「罪滅ぼし」にも似た思いを抱きつつ、今この場、この立場、この状況でしか出来ない、それぞれの復興プロジェクトを実現させていこうと思います。
それぞれの復興プロジェクトは20年以上先まで考えなくてはなりません。
東京には支援の情報が集まります。今、私達が出来ることは、人と人のつがりを作ること、つげたら次は何かの形にして石巻に復興を送ることです。

震災関連ライブラリー(1)

2012-02-11 13:18:23 | 日記
①三陸海岸大津波
 (文春文庫) [文庫]
 吉村 昭


出版社/著者からの内容紹介
明治二十九年、昭和八年、昭和三十五年チリ地震。
人々に悲劇をもたらす大津波はどのようにやってくるのか。前兆、被害、救援の様子を体験者の貴重な証言をもとに再現した震撼の書。

内容(「BOOK」データベースより)
明治29年、昭和8年、そして昭和35年。青森・岩手・宮城の三県にわたる三陸沿岸は三たび大津波に襲われ、人々に悲劇をもたらした。大津波はどのようにやってきたか、生死を分けたのは何だったのか―前兆、被害、救援の様子を体験者の貴重な証言をもとに再現した震撼の著。



東日本大震災の教訓―津波から助かった人の話
  村井 俊治

 [古今書院、単行本] 1800円

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
 昭和14年9月19日生まれ。東京都出身。工学博士。現職、日本測量協会会長。昭和38年東京大学工学部土木工学科卒業。昭和46年東京大学生産技術研究所助教授。昭和58年東京大学生産技術研究所教授。平成12年、東京大学定年退職、東京大学名誉教授。1992年~1996年、国際写真測量・リモートセンシング学会(ISPRS)会長。1992~1995年および1997年~1999年、アジア工科大学(AIT)教授。1997年、タイ国白象褒章勲二等受章。1998年、スイス連邦工科大学(ETH)名誉博士。2006年、「人とわざわい~持続的幸福へのメッセージ」(SBB社発行)編集委員長。特許、「地震・火山噴火予知」(特許番号三七六三一三〇号、2006年、環境地質研究所と共願)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


③ 大震災のなかで 私たちは何をすべきか
  内橋 克人 (編集)
  (岩波新書) [新書}


内容紹介
 この大震災は、何を問いかけているのか。大きな悲しみや苦しみ、喪失感のなかで新しい歩みを始めてゆかねばならない被災者・被災地に、私たちはどう向き合い、これからどんな支援をしていったらよいのだろうか。現地で活動を続ける医師やボランティアをはじめ、作家や学者ら33名がそれぞれの思いと考えをつづる。
内容(「BOOK」データベースより)
二〇一一年三月一一日、東日本を襲った大震災は、何を問いかけているのか。大きな悲しみや喪失感のなかで新しい歩みを始めてゆかねばならない被災者・被災地に、私たちはどう向き合い、どんな支援をしていったらよいのだろうか。現地で活動を続けた医師やボランティアをはじめ、作家や学者ら三三名が震災の意味、復興の形をつづる。



④奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」
 中原一歩 (著) (朝日新書) [新書]  


内容紹介
 震災後、延べ10万人というボランティア受け入れを可能にした石巻。力を結集し、いち早く復旧作業にあたるには、従来の常識を覆し、行政と民間団体が連携して「熱意を形にする」仕組みをつくることが必要だった。それを可能にした熱き人間ドラマを描く。

内容(「BOOK」データベースより)
 災害ボランティア活動は、きれい事だけでは済まない。自治体にとって、ときには志願者が負担になることもある。そんな現実のなかで奇跡的な成功例と評された地域―。それが宮城県・石巻市だ。「石巻モデル」を支えた人たちの「決断」と「行動」を明らかにする!行政、NGO、NPO関係者必読の書。



⑤ 6枚の壁新聞 石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録
  石巻日日新聞社 (編集) 
  角川SSC新書 (角川SSC新書 130) [新書]
 

内容紹介
 2011年3月11日、東日本大震災が起こり、東北地方を大津波
が襲った。宮城県の地域紙・石巻日日新聞社では、輪転機が一部水没。
創刊99年の新聞発行が危機に立たされる中、「電気がなくても、紙とペンはある」と手書きの壁新聞を決意する。
家族・親族の安否もわからない中、記者たちは最前線で取材を繰り広げた。
避難所などに貼り出された壁新聞は、被災者の貴重な情報源となり、人々を励まし続けた。
「伝える使命」とは何か。震災後7日間の記者の姿を追った。



⑥ 前へ!―東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録
  麻生 幾 (著)
  新潮社(単行本)
 1500円

出版社/著者からの内容紹介
「本日午後10時20分、2号機メルトダウンの予想!」
「全部隊、第一原発から100キロ以上退避準備!」
 悪夢へのカウントダウンを止めるべく、彼らは立ち上がった----。
高レベルの放射線が降り注ぐ中、暑さで曇ったゴーグルとマスクを投げ捨て、原発への放水を成し遂げた自衛隊員がいた。
 ある隊員は「死ぬなら自分のような独身者が」と原発行きを志願した----。
国交省・東北地方整備局率いる決死部隊は、被災地を目指す救助隊の先陣を切り、瓦礫と遺体で埋まる基幹道路と格闘し続けた。
 警視庁機動隊、東京消防庁ハイパーレスキュー隊、災害派遣医療チーム、福島県警察本部......
失態を繰り返す官邸、東電をよそに、命を賭けて黙々と未曾有の危機に対峙した、名もなき戦士たちの壮絶なる記録!

内容(「BOOK」データベースより)
 放射線が降り注ぐ中、暑さで曇ったゴーグルとマスクを投げ捨て、原発への放水を成し遂げた自衛隊員がいた。ある隊員は「死ぬなら自分のような独身者が」と原発行きを志願した―。国交省・東北地方整備局の決死部隊は、被災地を目指す救助隊のため、ガレキと遺体で埋まる基幹道路と格闘し続けた。警視庁機動隊、ハイパーレスキュー隊、災害派遣医療チーム(DMAT)…未曾有の危機に命をかけて対峙した、名もなき戦士たちの知られざる記録。