第3回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した深町秋生の小説「果てしなき渇き」を、『告白』などの中島哲也が実写化したサスペンスミステリー。謎の失踪(しっそう)を遂げた娘の行方を追う元刑事の父親が、いつしか思いも寄らなかった事態に引きずり込まれていく姿を活写する。名優・役所広司を筆頭に、『悪人』などの妻夫木聡、『ゆれる』などのオダギリジョーら、実力派が大挙して出演。中島監督ならではの鮮烈なタッチに加え、ヒロインに抜てきされた新人・小松菜奈の存在感にも注目。
<感想>原作は、言ってみれば韓国犯罪映画によくあるような、じめっとした陰惨な空気でした。映画の中での父親は、「元刑事のロクデナシ親父」藤島は、暴力でしか人と関われない人間であり、傍若無人で仕事にかまけ、たまに帰宅した時には、ひどく酔っぱらっていて、後で思えば震えがくるほど飛んでもないことを自覚なしでやってしまう。
原作では2つの時間軸(3年前/現在)のストーリーが同時並行で進み、複雑に絡み合う。あまりに緻密な構成に映像化不可能とされたが、監督はカットバック手法を駆使して、過去と現在が交差する小説の世界観を見事に再現していた。
物語は、妻の不倫に激怒して「事件(不倫相手の中年ハゲズラ男と車に乗っていた妻を、自分の車をぶつけて車から引きず出し、半身不随になるまで暴力を振るった)」を起こし、警察は退職。そんな彼のもとへ別居中の妻から「娘がいなくなった」と電話が入る。しかし、それを探す彼が遭遇することになるのは、美しい娘・加奈子の別の顔であった。
加奈子の部屋に残されたカバンには、覚醒剤と注射器が入っていた。中学までは優等生だった娘は、高校進学後に不良たちと接触するようになっていて、ドラッグの売買に手を染め売春行為までやっており、優等生だとばかり思って居た娘はカイブツだったという衝撃的な内容。娘の行方を調べ始めた藤島は、行く先々で警察や裏社会の圧力を感じることに。娘はどうやら単なる被害者ではないらしい。藤島は満身創痍状態で捜索を続ける。
次第に明らかになっていく加奈子の素顔。藤島はボロボロの身体に覚醒剤を打ちながら、不眠不休で娘の痕跡を追う。裏社会の雇ったヒットマンとの対決が迫る。白い麻のスーツが赤黒い血に染まり、ロン毛の髪の毛と髭は伸びほうだい。
キャッチコピーは、「愛する娘はバケモノでした。」藤島が娘を探して暴れ回る過程が、加奈子に憧れる少年、虐められていたところに奇妙に手を伸ばされたことによって、決定的に加奈子を慕うようになる同級生の少年(それによって彼は事件の渦中に巻き込まれていく)の体験と交錯する形で描かれていく。
しかし、この作品でバケモノなのは。藤島の娘加奈子ばかりではない。ロクデナシの元刑事、主人公の藤島も、何か知っているらしい加奈子の同級生の女二人(橋本愛と二階堂ふみ)も、藤島の元部下の刑事、妻夫木聡も、藤島に殺しを依頼するヤクザも、加奈子の担任の中谷美紀も、そして虐められっ子の少年も、パンフレットの言葉ではないが「どいつもこいつも狂いすぎ!」
屋上駐車場での刑事オダギリジョーとの戦いは、拳銃をバンバン撃つし、挙句に藤島にレイプされた妻までも殺してしまうし、車をぶつけオダギリジョーを跳ね飛ばす。それに後から来た妻夫木も跳ね飛ばす役所広司。結果、ラストにあの高校の担任の中谷美紀先生が出て来て、彼女の娘が加奈子の手で変態オヤジの餌食になったというわけ。藤島が問い詰めると、加奈子を殺して埋めたと白状する。ラストの雪で真白い大地を、中谷と娘の遺体を掘り起こすシーンで終わるのだが、果たして娘は殺されてそこに埋まっているのだろうか。
途中で、娘を探す父親が何度も殴られ蹴られ、気を失い目覚めたら普通は委縮すると思うのだけれど、娘を探し出し「ブッ殺す」という思いが藤島を駆り立てていくんですよ。どうやら、娘の加奈子は飛んでもないことをしでかしたというわけ。少年少女、幼い子供までもをラブホテルで、飲み物に薬を入れ飲ませて、金持ち中年変態オヤジたちに売春させ、その現場を写真で撮り、客たちに送りつけて脅し金を巻き上げる魂胆だったらしい。
加奈子のバックには、はやりハゲ親父が付いており、殺しの仕事は藤島の部下だった刑事オダギリジョーが、借金のために働いていたのだ。
たとえ犯罪を犯したとしても、そのいきさつや動機を鑑みれば少しでも同情できるような人間が、見事に、ただの一人も出てこない。いや、一人だけいるとすれば、決定的に加奈子の行方を知っている最後の一人だけかもしれない。
この映画を見て、つくづく過剰なレイプシーンや暴力や殺人が、本当に苦手になってしまった。もちろん、普段は猟奇殺人や、ホラーなどで血や暴力や殺人も見てはいるけれど、とんでもなく残酷な話に見えても、物語の底の方には、どこか理解できる部分というか、哀しみが隠されているような気がした。ですが、この作品の主人公藤島には、1ミリも共感できなかった。というか、それが監督の狙いなのだろうが。
主人公藤島の役所広司の演技は、もうベテランの域を超えておりハマリ役でした。それに娘の加奈子役には、オーディションで選ばれた小松菜奈の演技も良かった。二階堂ふみ、橋本愛と注目の若手女優がそろいぶみ。
前に観た「私の男」でもそうだったが、家族愛と性愛の区別がつかない父親と、愛情と憎しみとの区別がつかない男。どちらがましかと言えば、まだ「私の男」の方が、父と娘の血縁が大きな意味を持つ二つの作品に共通するモラルとは何か?・・・、あるとすれば、「娘との性交の代償は、殺人」
登場人物は、誰もが感情移入されることを拒むかのような歪んだキャラクターばかりだった。夢も希望もない現代社会で、生きることを余儀なくされた少女たちの怒りと絶望感に言葉を失ってしまう。
現実には見えないところにたくさんの暴力(ひったくりや、車の暴走事故、レイプ等)が隠れているのだろうし、私たちはそういう時代の中で生き延びなければならない。それにしても、人が簡単に死にすぎる。そんな中で生き延びることを描く作品にモラルはあるのか。
2014年劇場鑑賞作品・・・227 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
<感想>原作は、言ってみれば韓国犯罪映画によくあるような、じめっとした陰惨な空気でした。映画の中での父親は、「元刑事のロクデナシ親父」藤島は、暴力でしか人と関われない人間であり、傍若無人で仕事にかまけ、たまに帰宅した時には、ひどく酔っぱらっていて、後で思えば震えがくるほど飛んでもないことを自覚なしでやってしまう。
原作では2つの時間軸(3年前/現在)のストーリーが同時並行で進み、複雑に絡み合う。あまりに緻密な構成に映像化不可能とされたが、監督はカットバック手法を駆使して、過去と現在が交差する小説の世界観を見事に再現していた。
物語は、妻の不倫に激怒して「事件(不倫相手の中年ハゲズラ男と車に乗っていた妻を、自分の車をぶつけて車から引きず出し、半身不随になるまで暴力を振るった)」を起こし、警察は退職。そんな彼のもとへ別居中の妻から「娘がいなくなった」と電話が入る。しかし、それを探す彼が遭遇することになるのは、美しい娘・加奈子の別の顔であった。
加奈子の部屋に残されたカバンには、覚醒剤と注射器が入っていた。中学までは優等生だった娘は、高校進学後に不良たちと接触するようになっていて、ドラッグの売買に手を染め売春行為までやっており、優等生だとばかり思って居た娘はカイブツだったという衝撃的な内容。娘の行方を調べ始めた藤島は、行く先々で警察や裏社会の圧力を感じることに。娘はどうやら単なる被害者ではないらしい。藤島は満身創痍状態で捜索を続ける。
次第に明らかになっていく加奈子の素顔。藤島はボロボロの身体に覚醒剤を打ちながら、不眠不休で娘の痕跡を追う。裏社会の雇ったヒットマンとの対決が迫る。白い麻のスーツが赤黒い血に染まり、ロン毛の髪の毛と髭は伸びほうだい。
キャッチコピーは、「愛する娘はバケモノでした。」藤島が娘を探して暴れ回る過程が、加奈子に憧れる少年、虐められていたところに奇妙に手を伸ばされたことによって、決定的に加奈子を慕うようになる同級生の少年(それによって彼は事件の渦中に巻き込まれていく)の体験と交錯する形で描かれていく。
しかし、この作品でバケモノなのは。藤島の娘加奈子ばかりではない。ロクデナシの元刑事、主人公の藤島も、何か知っているらしい加奈子の同級生の女二人(橋本愛と二階堂ふみ)も、藤島の元部下の刑事、妻夫木聡も、藤島に殺しを依頼するヤクザも、加奈子の担任の中谷美紀も、そして虐められっ子の少年も、パンフレットの言葉ではないが「どいつもこいつも狂いすぎ!」
屋上駐車場での刑事オダギリジョーとの戦いは、拳銃をバンバン撃つし、挙句に藤島にレイプされた妻までも殺してしまうし、車をぶつけオダギリジョーを跳ね飛ばす。それに後から来た妻夫木も跳ね飛ばす役所広司。結果、ラストにあの高校の担任の中谷美紀先生が出て来て、彼女の娘が加奈子の手で変態オヤジの餌食になったというわけ。藤島が問い詰めると、加奈子を殺して埋めたと白状する。ラストの雪で真白い大地を、中谷と娘の遺体を掘り起こすシーンで終わるのだが、果たして娘は殺されてそこに埋まっているのだろうか。
途中で、娘を探す父親が何度も殴られ蹴られ、気を失い目覚めたら普通は委縮すると思うのだけれど、娘を探し出し「ブッ殺す」という思いが藤島を駆り立てていくんですよ。どうやら、娘の加奈子は飛んでもないことをしでかしたというわけ。少年少女、幼い子供までもをラブホテルで、飲み物に薬を入れ飲ませて、金持ち中年変態オヤジたちに売春させ、その現場を写真で撮り、客たちに送りつけて脅し金を巻き上げる魂胆だったらしい。
加奈子のバックには、はやりハゲ親父が付いており、殺しの仕事は藤島の部下だった刑事オダギリジョーが、借金のために働いていたのだ。
たとえ犯罪を犯したとしても、そのいきさつや動機を鑑みれば少しでも同情できるような人間が、見事に、ただの一人も出てこない。いや、一人だけいるとすれば、決定的に加奈子の行方を知っている最後の一人だけかもしれない。
この映画を見て、つくづく過剰なレイプシーンや暴力や殺人が、本当に苦手になってしまった。もちろん、普段は猟奇殺人や、ホラーなどで血や暴力や殺人も見てはいるけれど、とんでもなく残酷な話に見えても、物語の底の方には、どこか理解できる部分というか、哀しみが隠されているような気がした。ですが、この作品の主人公藤島には、1ミリも共感できなかった。というか、それが監督の狙いなのだろうが。
主人公藤島の役所広司の演技は、もうベテランの域を超えておりハマリ役でした。それに娘の加奈子役には、オーディションで選ばれた小松菜奈の演技も良かった。二階堂ふみ、橋本愛と注目の若手女優がそろいぶみ。
前に観た「私の男」でもそうだったが、家族愛と性愛の区別がつかない父親と、愛情と憎しみとの区別がつかない男。どちらがましかと言えば、まだ「私の男」の方が、父と娘の血縁が大きな意味を持つ二つの作品に共通するモラルとは何か?・・・、あるとすれば、「娘との性交の代償は、殺人」
登場人物は、誰もが感情移入されることを拒むかのような歪んだキャラクターばかりだった。夢も希望もない現代社会で、生きることを余儀なくされた少女たちの怒りと絶望感に言葉を失ってしまう。
現実には見えないところにたくさんの暴力(ひったくりや、車の暴走事故、レイプ等)が隠れているのだろうし、私たちはそういう時代の中で生き延びなければならない。それにしても、人が簡単に死にすぎる。そんな中で生き延びることを描く作品にモラルはあるのか。
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