『殯(もがり)の森』などの河瀬直美が樹木希林を主演に迎え、元ハンセン病患者の老女が尊厳を失わず生きようとする姿を丁寧に紡ぐ人間ドラマ。樹木が演じるおいしい粒あんを作る謎多き女性と、どら焼き店の店主や店を訪れる女子中学生の人間模様が描かれる。原作は、詩人や作家、ミュージシャンとして活動するドリアン助川。映像作品で常に観客を魅了する樹木の円熟した演技に期待が高まる。
<感想>ハンディがありながらも、どら焼き屋で“あん”を作ることに生きがいを感じる老女と、そこで暮らす人々の日常を描いているのだが、河瀬直美監督にとっては初めての原作のある作品なのだ。
河瀬監督の映画の象徴とも言うべき映像美の中に、ごく普通の日常生活にある“生と死”というテーマを、これまでの作品よりもストレートに台詞や会話で言葉にして伝えていると思います。
中でも徳江を演じた72歳の樹木希林さんの存在感が際立っていて、彼女が演じてなかったらきっと私は観に行かなかったかもしれない。それほどに、樹木希林さんの生き方や感情、つまりその人そのものに成りきっての演技が上手いのには感心して、自らも全身癌と闘っているベテランの女優さんであります。
それを優しく包み込むように映し出す河瀬直美監督の演出が、深い感動を生みだしているのだと思われます。桜は死をイメージする花だと語る河瀬監督は、冒頭で桜が大好きな徳江が、満開の桜の木に話かける姿がとても印象的に映っており、私には河瀬監督と違って、桜の花は、寒い冬の東北では春の訪れを知らせ、北国の人たちに暖かい気持ちにさせる季節の花だと思っています。
人それぞれの捉え方があるように、桜の花にも哀しい思い出がある人がいるのかもしれません。この映画は、どら焼き屋の主人の千太郎の生き方も描いている。飲み屋で人を殺めて刑務所に入り、その後出所して知人の紹介でどら焼きやを営業することになる。だからなのか、本人は甘党ではなく酒好きな男で、売り物のどら焼きには愛着はない。
そうなると、客もこない寂びれた店ということに。売り物のどら焼きも心を込めて作っているわけではなく、中身のあんは他で作った缶の中に入ったもの。表の皮の生地は自分で作って焼いているも、失敗したものは、近所の女子中学生がその「できそこないの皮」を、食事代わりに貰っていくのだ。その女子中学生が、樹木希林の孫娘である内田伽羅が演じている。
そして、店を貸している大家には浅田美代子が扮して、あんを作る徳江を雇ったことに文句を言う。つまりあの人は“ライ病”ではないかと。手指が腫れあがり、そこから膿が出て臭いし、鼻が取れてしまう人もいるし、伝染するかもしれない。だから、そういう人を見せに雇っては、衛生上良くないというのだ。客に知れ渡ったら、店じまいということにもなるからと。徳江を辞めさせて、自分の甥っ子が無職なので、この店で、お好み焼きを隣で売るようにしたいと。私利私欲の強いおばさんの考え方に、観ていて腹が立ったが、確かに店側としたら“らい患者”を働かせているのはまずいのだろう。
店をクビになった徳江を探して、 “ハンセン病患者”だけ住んでいる住宅へと行く千太郎と女子中学生。風邪をひいているらしく、顔色も悪いし、挙句に肺炎になり亡くなってしまう。徳江の運命とともに、移り変わる四季折々の風景や木々たちは美しいのだが、それが時には残酷に映し出されて見えるのだ。
ハンセン病患者が強いられた人生に、ハンディを受け入れ、希望を失わずに懸命に生きる老女の徳江の姿は、「誰にでも生きる意味がある」というこの映画のメッセージが込められている感じがしました。主演の樹木希林さんも、きっと病と闘いながらも、こうして映画に出演していることに拍手を送りたい。
これまでにも器用ではない人間や、厳しい現実に対峙する“生きづらい”役柄を数多く演じてきたほか、本人も大きな病を抱える樹木希林さんの姿と重なり、徳江の想いや生き方にドキュメンタリーのようなリアリティーを感じずにはいられませんでした。
2015年劇場鑑賞作品・・・113映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
<感想>ハンディがありながらも、どら焼き屋で“あん”を作ることに生きがいを感じる老女と、そこで暮らす人々の日常を描いているのだが、河瀬直美監督にとっては初めての原作のある作品なのだ。
河瀬監督の映画の象徴とも言うべき映像美の中に、ごく普通の日常生活にある“生と死”というテーマを、これまでの作品よりもストレートに台詞や会話で言葉にして伝えていると思います。
中でも徳江を演じた72歳の樹木希林さんの存在感が際立っていて、彼女が演じてなかったらきっと私は観に行かなかったかもしれない。それほどに、樹木希林さんの生き方や感情、つまりその人そのものに成りきっての演技が上手いのには感心して、自らも全身癌と闘っているベテランの女優さんであります。
それを優しく包み込むように映し出す河瀬直美監督の演出が、深い感動を生みだしているのだと思われます。桜は死をイメージする花だと語る河瀬監督は、冒頭で桜が大好きな徳江が、満開の桜の木に話かける姿がとても印象的に映っており、私には河瀬監督と違って、桜の花は、寒い冬の東北では春の訪れを知らせ、北国の人たちに暖かい気持ちにさせる季節の花だと思っています。
人それぞれの捉え方があるように、桜の花にも哀しい思い出がある人がいるのかもしれません。この映画は、どら焼き屋の主人の千太郎の生き方も描いている。飲み屋で人を殺めて刑務所に入り、その後出所して知人の紹介でどら焼きやを営業することになる。だからなのか、本人は甘党ではなく酒好きな男で、売り物のどら焼きには愛着はない。
そうなると、客もこない寂びれた店ということに。売り物のどら焼きも心を込めて作っているわけではなく、中身のあんは他で作った缶の中に入ったもの。表の皮の生地は自分で作って焼いているも、失敗したものは、近所の女子中学生がその「できそこないの皮」を、食事代わりに貰っていくのだ。その女子中学生が、樹木希林の孫娘である内田伽羅が演じている。
そして、店を貸している大家には浅田美代子が扮して、あんを作る徳江を雇ったことに文句を言う。つまりあの人は“ライ病”ではないかと。手指が腫れあがり、そこから膿が出て臭いし、鼻が取れてしまう人もいるし、伝染するかもしれない。だから、そういう人を見せに雇っては、衛生上良くないというのだ。客に知れ渡ったら、店じまいということにもなるからと。徳江を辞めさせて、自分の甥っ子が無職なので、この店で、お好み焼きを隣で売るようにしたいと。私利私欲の強いおばさんの考え方に、観ていて腹が立ったが、確かに店側としたら“らい患者”を働かせているのはまずいのだろう。
店をクビになった徳江を探して、 “ハンセン病患者”だけ住んでいる住宅へと行く千太郎と女子中学生。風邪をひいているらしく、顔色も悪いし、挙句に肺炎になり亡くなってしまう。徳江の運命とともに、移り変わる四季折々の風景や木々たちは美しいのだが、それが時には残酷に映し出されて見えるのだ。
ハンセン病患者が強いられた人生に、ハンディを受け入れ、希望を失わずに懸命に生きる老女の徳江の姿は、「誰にでも生きる意味がある」というこの映画のメッセージが込められている感じがしました。主演の樹木希林さんも、きっと病と闘いながらも、こうして映画に出演していることに拍手を送りたい。
これまでにも器用ではない人間や、厳しい現実に対峙する“生きづらい”役柄を数多く演じてきたほか、本人も大きな病を抱える樹木希林さんの姿と重なり、徳江の想いや生き方にドキュメンタリーのようなリアリティーを感じずにはいられませんでした。
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