パピとママ映画のblog

最新劇場公開映画の鑑賞のレビューを中心に、DVD、WOWOWの映画の感想などネタバレ有りで記録しています。

チャッピー ★★★★

2015年05月24日 | アクション映画ータ行
『第9地区』『エリジウム』の鬼才ニール・ブロムカンプが手掛けたSFアクション。人工知能を搭載したロボットのチャッピーが自身を誘拐したストリートギャングたちと奇妙な絆を育みながら、壮絶な戦いに巻き込まれていく。『第9地区』にも出演したシャールト・コプリー、『X-MEN』シリーズなどのヒュー・ジャックマン、『愛は霧のかなたに』などのシガーニー・ウィーヴァーなど、実力派や個性派が出演。純粋無垢(むく)なチャッピーの愛らしい姿やリアルな造形に加え、すさまじいアクションの数々も見もの。
<感想>今回の舞台は未来と呼ぶにはあまりに近い2016年のヨハネスブルク。本作も「第9地区」同様、ブロムカンプが育った環境や経験を生かした作品だからだろう、天才工学者が生み出した成長型AIを搭載した元ロボット警官、チャッピーと人間たちの絆をよりリアルな現実社会として描かれている。

間とロボットが疑似家族となるハート・ウォーミングな物語から、弾丸やミサイルが飛び交う豪快なアクションの連続へと一気に展開し、予想もしないラストへと傾れ込んでいきます。
非情に型破りなジャンル映画でありながら、信じられないくらい現実なのである。生みの親、ディオンが演じるデヴ・パテル。彼も、プロムカンプの現実社会とSF世界を一体化させるその手腕に唸らされる。
ロボット警官を生産する大企業が存在する近未来なのだが、同時にスラム地域の廃墟には、日本の漫画やアニメの感化を受けているらしいストーリート・ギャングの兄ちゃんたちが住んでいる。

まず、興味深いのは、人工知能を与えられることになるロボットのチャッピーが、いかにも旧式の機械人間のようにデザインされていることだ。このやぼったいロボットは、ディズニーの「ベイマックス」のような洗練された遊び友達の人工知能とは正反対に、シャール・コプリーが声を演じるヨハネスブルクなまりの英語で喋っている。巨大ロボットでチャッピーを押さえようとする、珍しく悪役のヒュー・ジャックマン扮する、ヴィンセント・ムーアが開発したムース。これは「ロボコップ」に対するオマージュとなっている気がしますね。

兵器企業テトラバール社のCEOシガニー・ウィーヴァー、ミシェルに学習機能の付いたAIの採用を却下されたディオンは、無断で廃棄寸前のロボット警官を持ち出すのだが、強盗団のニンジャという男にロボットごと拉致されてしまう。ディオンに扮しているのは「スラムドッグ$ミリオネア」(08)で一躍有名になったヨーランディ・ビッサーが演じている。
麻薬密売で稼いでいるストリート・ギャングのカップルの、ニンジャ&ヨーランディ。裏社会の大物に借金を作り、金策に奔走。現金輸送車を襲うために、ディオンからロボット警官を奪う。廃墟で彼らに脅されAIをインストールしたロボットを起動。チャッピーと命名されたのはいいが、赤子のように無垢で純真なロボットは見る物すべてに興味を抱く。そこで、TVアニメや音楽にのめり込むチャッピー。強盗団の仲間の女、ヨーランディは、そんなチャッピーに母性を強く刺激されてしまう。

最初は銃に対して怯えていたが、ニンジャはチャッピーに仕事を手伝わせるために、ギャングらしい振る舞いや、銃の撃ち方を教える。厳しい特訓により斜めに寝かせて撃つことを覚える。いけてるギャング同士の挨拶は、もちろんグー・タッチで。ところが、ニンジャはチャッピーを鍛えるために街中に置き去りにしてしまう。そこで、ロボット警官に恨みを持つ不良たちにボコボコにされ、片腕をもぎ取られてしまう。
それが、チャッピーはテトラバール社へ帰るどころか、強盗団のいる廃墟へと、帰る居場所は忘れていないのだ。自分のボディのバッテリー寿命が残り5日分しかないと知り、“創造主”であるディオンに反抗する。それに付け込んだニンジャは、「新しいボディを買うためには金が必要」とチャッピーを口説き、高級車の強奪をさせる。始めは、高級車をボコボコに壊してしまう。

しかし、ノリノリで高級車を盗んでいくチャッピーに、犯罪をするなとディオンには注意されるのだが、新しいボディが欲しくて現金輸送車を襲ってしまう。殺された人間は、チャッピーは別の場所へ行くことだと信じているようだ。それは天国のことか?
チャッピーが犯罪をしていることを知ったヴィンセントは、自ら開発した遠隔操作ロボット、“ムース“をチャッピー破壊のために出動させる。ミサイルなど協力な銃火器を装備した”ムース“に真っ向から立ち向かう。強盗団の母、ヨーランディがムースに襲われる、助けようとして自分が盾となり庇うのだ。そのヨーランディが撃たれて死に、悲しむチャッピー。
それに、強盗団のボスのアジトでは闘犬が行われていて、野良犬がたくさんいて、外で野垂れ死んでいた犬を可愛そうにと眺めるシーンには感心した。ロボットにも心が宿っているってこと。
そして、クライマックスのラストに感無量した。人間のエゴによってし烈な状況に翻弄されるチャッピー。その姿を追い続ける観客の心の中で、徐々に機械と人間とを分かつ境界が曖昧になっていく。チャッピーの頭脳の進化により、息絶える創造主のディオンの頭脳(意識)をロボット警官にインストールして、ディオンの復活と、母なるヨーランディもテトラバール社で、未来型ロボットに再生される。
知覚と意識がいかなるものにも宿るのだという考え方。特に未来に置いてはである。そして、今のような生物学的姿をした人間が、自分たちと異なる、知覚を持った存在に対してどう反応し、どう対処するのかというのにも興味がわきます。
最後には、何を持って人間となすのか、命となすのかという究極の問いにまで考えさせられる。まさか、こんなにも高尚で崇高な映画だとは思いもよらなかった。
2015年劇場鑑賞作品・・・104映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング