■じぶんに必死なひと、何かに必死なひと
世の中には、じぶんに必死なひとと、
何かに必死なひとに分かれているように思う。
じぶんに必死なひとは、何をやってもじぶんがどう評価されるかとか、
じぶんがどうだったかという「じぶん軸」でものを考えたり取り組んだりしている。
何かに必死なひとは、じぶんがどうのという基準ではなく、
何かを成し遂げるためにその何かに夢中で取り組んでいる。
そして、その何かをやったじぶんについて言及されても、
ひょうひょうとしている。
こんな記事を読み、
確かにそのとおりだなーと思いました。
おまけ:半分の綿毛
必死になる、夢中になると言うこともなく還暦を迎えてしまった。
よーく見ると良く飛びそうになってますよね。
この綿毛は半分飛んで行って残りの半分でした。
風が吹いたら、全部飛んでいきそうで
そっと近寄って撮ってきました。
ブログではいろんなことを
きちんと考えている方の思いを
読ませていただきますがホントに感心しますね。
逆に言えば やりたいことができない、という不満を
いつもいつもいつも抱えている、ということ。
これってやっぱり「自分に必死」な人の仲間かなあ。。。
行動や意見が極、自己中心的なことなのかしらね。
自分のことしか考えてない物言いに出会うことあるでしょ?私、身近にあるのよ・・・今抱えてる問題の中で見えてきてるの。
そういうことかなと思ったんだけど。
だって、少しは自分が一番って所あるもの。
それを許さないという気持ちはないから、限度ってところでしょう?
わー分かんなくなってきた¥
ごめんね、言ってることまとまってる?