前回の続きです。
「明日は我が身」
というのは、自分の信条にもなっています。
いま目のまえで横たわっている人は、明日の自分や自分の大切な人かもしれない。
それはどんな些細なことでも、いずれ自分が自分ひとりで処理しきれない事態に遭遇した時に、たとえ通りすがりでも手助けが得られるように。
今、目の前の人を助けたいと思っています。
(そういう意味で、私の行為は全て「偽善」と言えるかもしれません。
何をしようが、すべて「自分のため」なのですから。)
傲慢かもしれませんが、昨日手を差し伸べられなかったのは、未来の自分や自分の子供だったのです。
昨晩みた夢も、やはりそういう夢でした。
これは、過去に何が出来たか出来なかったかという問題ではなく。
自分の心の”構え”みたいなものなのでしょう。
昨日の心が”無防備”だったことに気が付いたことが、たぶんショックなのです。
なんだか自分で見ても、練れていない文章ですね。
もう少し落ち着いたら、、、
「明日は我が身」
というのは、自分の信条にもなっています。
いま目のまえで横たわっている人は、明日の自分や自分の大切な人かもしれない。
それはどんな些細なことでも、いずれ自分が自分ひとりで処理しきれない事態に遭遇した時に、たとえ通りすがりでも手助けが得られるように。
今、目の前の人を助けたいと思っています。
(そういう意味で、私の行為は全て「偽善」と言えるかもしれません。
何をしようが、すべて「自分のため」なのですから。)
傲慢かもしれませんが、昨日手を差し伸べられなかったのは、未来の自分や自分の子供だったのです。
昨晩みた夢も、やはりそういう夢でした。
これは、過去に何が出来たか出来なかったかという問題ではなく。
自分の心の”構え”みたいなものなのでしょう。
昨日の心が”無防備”だったことに気が付いたことが、たぶんショックなのです。
なんだか自分で見ても、練れていない文章ですね。
もう少し落ち着いたら、、、