多様性 という言葉が近頃 ブームだ
代々木公園でのレインボーパレードに何年か前に参加したことがある。
わああお、すてき💛 公園の中にloveが溢れていた
そこには、Lgbtのカップルがいっぱいいて、愛し合うもののやさしさと喜びが公園を満たしていた
世の中ってめっちゃへん!と思うのである。
愛こそ、No1に大事なこと!という前提にたてば、誰が誰を愛したっていいじゃん!とわたしは思うけど、
どうして、ダメとかいう人がいるんだろ?そういう人って愛したことがない人なのかな?
さて、多様性。
レインボーの光の一筋一筋の色んな色の光が私たち一人ひとりだと仮定したならば、それを逆向きにプリズムの向こうがわに向かうと真っ白な光になるよね。
真っ白な光
真っ白な光をプリズムに通すとレインボー
これから、すごいことをさらああっと書いてしまおうと思う。
真っ白な光が、意識/心の奥に人間にはある。 純粋無垢だけ。すべてがあって、なにもない。
それを、神、真我と呼ぶのか名前はしらない。 ただの純粋無垢な穢れのまったくない愛/光がある。
それは、誰の中にも必ずある!
人間、そういうふうにできてる。ホントだよ。
それの光が、まっすぐに自分の手元に来て、感じられたら、あなたは聖人だ。
だけど、そうでないのが、凡人凡子の切ないところ。
でも、いいのよ。それで。
心とはプリズムなのだ。 心/思考としておく
真っ白な光がプリズム(心)を通過してくると、様々な色の光に分かれる。
これが、感情の喜怒哀楽。
わたしたちは長年、間違ったことを教えられてきたんだよ。
怒りはよくないから抑圧せよ、とかね。
泣いてばかりはみっともない、とかね。
ほんとうに健全な心、健全な愛を、自分の中で感じたかったら、このプリズムのモデルを思い出してほしい。
はたして、どの色は正しくて、どの色は間違っているなんて言えるだろうか。
どの色も、等分に、あなたの一部である。
自分は怒ってばかりだから、人間ができていない、よくない、なんて悲しいこと自分に言わなくてもいい。
怒りがつよいならば、それだけ、真っ白な光が外に出てこようとしているのだ。
プリズム/心を通過したとき、あなたは、それを「怒り」色で認識しただけだ。
レインボーカラーが全部、合わさったとき、真っ白な光になる。
感情は、きわめて大切な、神の国への乗り物なのだ。
だからといって、暴力的な形や、他人への嫌がらせという形で怒りを表現しなさいと言っているのではない。
ただ、自分はいま、怒っていると、ただ、その流れてくるエネルギーを、ただ、感じつくすだけでいいの。
そして、それができて、それでも苦しかったら、数日前の投稿「ゆるし」をやってみてほしい。
人生のだいご味は、色々な色を楽しみ、味わうことだと言えるかもしれない。
感情の色とりどりが、自分の中の多様性である。
怒っているわたし
悲しんでいるわたし
喜んでいるわたし
ぜんぶ、大好きなわたし、でいいじゃん!
じゃ、話尻切れトンボっぽいけど、もう書くの疲れちゃったから、またね。
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