japan.linux.comに
バージョン番号の衰亡という記事が出ていた。
かいつまんで言えば、Linuxの奇数バージョンと偶数バージョンのように、昔はバージョン管理がしっかりしていた筈のものが、最近ではブランチが多すぎたり、メジャーバージョンアップがアテにならなかったりしてシンプルじゃなくなった、という話。
実は昔からx.0.0のようなバージョンは信用されていなかった。
1.0は、確かに特別なバージョンで、バグ取り終了・一旦開発休止の場合によく使われるのだが、1.x.xから大幅な変更を加えたときには2.0.0になるのであって、1.9.99999とかにはしない。つまり、x.0.0というバージョン番号で、x≠1の場合には、利用者は人柱精神で利用するものだった。
だから、その点ではこの記事に首肯することは躊躇われる。
ここで提案されているWillisのバージョン番号の原則にも一理ある。
第一原則:番号付け方式を決めたら絶対に変更しない。
第二原則:数学をもてあそばない。
第三原則:大きな番号を恐れない。
しかし、結局、ユーザはメジャーバージョンでそのバージョンのポリシーを知り、マイナーバージョン・サブマイナーバージョンの数字を見て新しさを確認するものだから、番号体系さえ変えなければいいのかも知れない。
そして、Willis氏が言うような、
第二に、Linux信奉者が恐怖に怯えるようになった。その恐怖とは、いつか(もしかしたら今日にも)知り合いの非Linuxプログラマに街角でばったり会って、その人に「Linuxの次の新しいバージョンはどうなるのかな」と聞かれやしないだろうか、というものである。
という懸念に対しても、日本では古来こういう回答が許されているので、実は大した問題ではないのかもしれない。
「ググれ」と。