〜以下転載〜
近年、聖徳太子はいなかったという
説が出ていますが違うと思います。
聖徳太子とは本名でなく後の世の
人々による呼び名みたいなもので、
「徳の高い聖なる太子」というような
意味です。
様々な記録から幼名は厩戸皇子という記載は
ありますが、成人してからの本名による記載
はありません。
聖徳太子はいなかった、というのではなく
聖徳太子と後の世の人々から呼ばれた人物は
誰だったのか、という視野が適切でしょう。
現実に聖徳太子と後の世に呼ばれた人物は
奈良県明日香村の橘寺にて生まれています。
昨年、橘寺を訪ねて橘寺の方に確認したら、
それは間違いないと答えました。
また四天王寺を建立したのは、聖徳太子と後の世の
人々から呼ばれた人物であり、それは蘇我物部戦争
の最中に先陣を切って戦場に出陣していた若き日の
聖徳太子と後の世に呼ばれた人物が危うく戦死し
そうになり、とっさの判断で付近の木の穴に身を
隠し九死に一生を得たことから、その感謝の表れ
として四天王寺を建立したのですから、確かに
実在しています。
ちなみに聖徳太子と後の世の人々から呼ばれた人物
が九死に一生を得た木の穴は現在の大阪府八尾市に
ある勝軍寺の境内にあります。
この付近は古代では物部氏の本拠地でした。
聖徳太子と後の世に呼ばれた人物は毒殺された
のが史実です。
太子と呼ばれているように、有力な皇位継承候補者
だったのでしょう。
身内に毒を盛られて暗殺されました。
確か勝軍寺に血を吐いて倒れる聖徳太子と後の世
に呼ばれた人物の姿の絵があったような記憶が
あります。
では、聖徳太子と後の世に呼ばれた人物は誰だった
のでしょうか?
私はズバリ、蘇我氏一族の誰かだったとしか
考えられません。
聖徳太子と後の世に呼ばれた人物とは蘇我○○だった
可能性が極めて高いでしょう。
史実として聖徳太子は常に蘇我氏と行動を共に
していますから、一族だったと私は見ます。
聖徳太子は「和を以て尊しとなす」とか何人もの
話を同時に聞くことができたという逸話が伝わって
いますが、これは当時の日本の中心地の大和が
12支族や縄文人など、様々な言葉を話す民族が
存在していた事に基づくものでしょう。
12支族よ、和を以て結束せよということだと
私は見ています。
645年の乙巳の変に際して蘇我氏が滅亡させられ
た際に、それまで保管されていた日本の多くの
記録や文献が燃やされたために古事記、日本書紀
より遥か以前の記録はほとんど灰にされました。
聖徳太子の事が記録に出てこないのは、これによる
ものではないかと思われます。
敗れた側は記録から抹消される場合が多いです。
乙巳の変から大化の改新により権力を握った側
からすれば蘇我氏の痕跡は消し去りたいために
これにより聖徳太子と後の世に呼ばれた人物は
実名で記録には出てこないのだと言えます。
近年、日本を破壊しようという大きな力が作用
する中で「聖徳太子はいなかった」とするロジック
も出てきています。
日本の古代に多大な貢献をした人物を実在しなかった
かのように偽装する手法は政治的なものです。
聖徳太子と後の世に呼ばれた人物とは蘇我○○
であった。
その蘇我○○は皇位継承を巡る権力闘争の中で
側近に毒を盛られて毒殺された。
蘇我氏滅亡により、その存在は記録から抹消された。
その人物は隋の皇帝に陽出づる国としての国書
を小野妹子に持たせ、四天王寺を建立し、和を説き、
十七条憲法を発した。
極めて徳の高い人望のある人物だった。
それ故に後の世の人々は「聖徳太子」と呼ぶように
なった。
このような風景だと見ています。
蘇我氏を紐解く事が日本の古代を紐解くことにも
なるでしょう。
蘇我氏一族の末裔として琴線に触れる事です。
『明石家さんまの壮絶な生い立ち』
~生きてるだけで丸もうけの本当の意味~
◆実母はさんまが三歳のときに病死している。
◆(さんま兄が)小学校高学年の時に父が再婚、さんまには年の離れた弟(故人)ができた。
◆「中学生くらいの頃は娯楽といえぱ、三枝(文枝)のラジオ『ヤングタウン』でね。
二段ベッドでいつも二人で聞いてたんです。
新しい母には遠慮もしたし、やっぱり反発もあった。
その母が昔、隣の部屋で酒を飲みながら『うちの子はこの子(弟)だけや……』って言うのが壁伝いに聞こえてきたんですよ。
二人でよう二段ベッドで泣きましたわ。
せやから高文は酒飲む女の人が苦手なんです。
芸能界行くまではほとんど飲まなかったし、今も本質的に酒は好きじゃないと思います」
◆元妻 大竹しのぶの連れ子に気を使うさんま
◆継母の件があったから、さんまは元妻大竹しのぶの連れ子ニチカをすごく可愛がっている。
◆子供らに自分のことをボスと呼ばせてるのもニチカに対する気遣いらしい。
◆家に帰ってくるとイマルより先にニチカに触っていた。
◆成長したニチカは慶應に進学。学生時代の友人と起業。
◆継母はずっとさんまを完全無視してて、まるでさんまがそこにいないかのように弟にばかり話しかける。
さんまはそれでも継母と仲良くしてもらおう、反応してもらおうと毎日毎日必死で面白いことを考える。
そのウチ学校でもそのノリで暮らすようになって一躍人気者、お笑いの道へ。
◆さんまの弟(当時19歳)は火事が原因で亡くなっている
◆弟は実家の火災で亡くなった。
当時弟は高校生。さんまは冠番組を持つほど人気があった。
◆「ぼくのことを、昔から、すごく尊敬してくれるやつでね。
ぼくがいうことは、すべて正しいと思っていたみたいですよ。
自分にも、それから他人にも、素直に自分をさらけだせるやつでしたね。
ぼくもサッカーやったけど、チビのほうがすごいんですよ。
サッカー部のキャプテンで、インターハイにも出たし、国体選手にも選ばれたしねえ……。
去年の10月、大阪のぼくのマンションに遊びにきたとき、今度のワールド・カップをふたりで一緒に見に行こう。
キップはぼくが買っとくからって、約束しとったのに……。まだ納得できません、あのチビが死んだなんて……」
◆大竹しのぶの話をよくするのは生立ちの話をしないためのバリアみたいなもの。
プライベート話をしてるようでしていないと付き合いの長い浅田美代子が発言していた。
◆日本航空123便墜落事故でさんまは死んでいた?!
日本航空JAL123便墜落事故とは、
1985年8月12日に起きた単独機としては世界最悪の犠牲者数を出した航空機墜落事故である。
その数は520名に及ぶ。
さんまは当日、東京のフジテレビで「オレたちひょうきん族」の収録後、当便で大阪へ移動し、毎日放送「ヤングタウン」に出演予定であった。
だがたまたま「ひょうきん」の収録が予定よりも早く終わったために、123便をキャンセルし、ひとつ前のANA35便と推測される便で大阪に向かい難を逃れた。
さんまは事故当日の生放送のラジオレギュラー番組では言葉を失うほどのショックを受け、番組をこの事故の報道特番に切り替えた。
さんまはこの事故をきっかけに、新幹線で行ける範疇の場所(東京~大阪の往復など)へは飛行機ではなく新幹線を利用するようになる。
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笑顔の裏には、いろいろな想いが隠されていたのですね.
『生きてるだけで丸もうけ』
の言葉の意味の深さを知りました。
やっぱりよく笑う人ほど悲しみを抱えてるんですね
さんまさんの唯一の結婚相手が、大竹しのぶさんっていうのがまた良いですよね。
そんな大竹しのぶさんは、さんまさんとのことでよくいじられて大変じゃないかな?と感じてましたが、こういうさんまさんが本当に触れられたくない話しのあえてガードになってるんだと、よりステキな方だなあと思いましたし、結婚関係なしのお二人の絆にグッときました☺️
「現在、電子レンジは何ら規制されることなく野放しに使用されている。この責任の一端は我々科学者にある。
○電磁波も気をつけよう❗️
あと、気をつけないといけないのは、電子レンジを使う時に発生する強力な電磁波で、使用中は壁一枚は隔てて、必ず離れるようにしています♪
↑電子レンジ使用中は、この壁を隔てて、写真でいう左側に必ず避難しています❗️
↑ちなみに、こちらがうちの電子レンジですが、アメリカのは大体この1200ワットで、日本で言えば家庭用5〜600ワットの2倍でコンビニなどの業務用の強さワット数💦
電磁波も2倍の強さとわたしは警戒しています😓