最近とみに少なくなったのが喫茶店です。スターバックススやドトールのような喫茶店は増えていますが、普通の喫茶店が本当に少なくなりました。そして壊滅状態ともいえるのが「ジャズ喫茶」です。私達世代には少々寂しい気もします。
純粋のジャズ喫茶ではないのですが、店内にレコードジャケットをディスプレイし、40~60年代の曲を流していたお店が銀座の1丁目にあったのですが、久しぶりに行ってみたら、そのお店もなくなっていました。ジャズはもう死んだのか?
今夜はジャズについて少し書いてみたいと思います。
■ジャズの行方
ジャズは時代と共に常に変化してきました。
ジャズの演奏スタイルの変遷を見てみると
1890年代 ラグタイム
1900年代 ニューオリンズ
1910年代 ディキシーランド
1920年代 シカゴ
1930年代 スイング
1940年代 ビ・バップ
1950年代 ハードバップ、クール
1960年代 フリージャズ/モードジャズ
1970年代 クロスオーバー(フュージョン)
1980年代 ヒップホップ・ジャズ
1990年代 フューチャー・ジャズ
と、時代と共にそのスタイルを変えてきています。私が学生時代にジャズ喫茶で良く聴いたのはハードバップかクール、フリージャズでした。
私がアメリカで暮らした70年代後半頃は、アメリカでもジャズはすっかり下火で、コンサートやライブハウスに行っても目立つのは白人のおじさんおばさんばかり、とにかくファンの年齢層が高齢化していました。
またレコード屋でもジャズコーナーは片隅に追いやられていました。また若い世代でジャズが好きだというと変人扱いされかねないような雰囲気もありました。フリースタイルは難解でしたから、音楽ファンがジャズ離れを起こしていったのでしょう。
ジャズが凋落しはじめた時期、アメリカのジャズミュージシャンは国内でよい仕事が少なく、日本やヨーロッパに海外ツアーという名目の出稼ぎに励んでいました。アメリカ国内では若手ジャズミュージシャンは、より人気があるフュージョンに走り、かつての大物ミュージシャンは海外で稼ぐという構図が生まれました。
しかしそのおかげで、アメリカ以外の国々のジャズミュージシャンが本場アメリカで活躍する機会も生まれ、各国から世界的なジャズミュージシャンが育っていったという嬉しい副産物もありました。
1970年代の中半、ハービーハンコック、チックコリア、キースジャレットといったマイルスデービスの門下生達が台頭してきた時代に、ジャズのスタイルは大きく変化しました。いや、過去のJAZZという範疇にははまりきれない音楽に変化したのかもしれません。
師匠のマイルス自身すら、アルバム「イン ア サイレントウェイ」「ビッチェーズ・ブリュー」では電子楽器やロック、はたまたアフリカの複合リズムを取り入れ、大きく方向を変えたのです。この頃、マイルスのライブを聴くチャンスがあったのですが、とにかくその変わりようにぶっ飛んでしまった覚えがあります。
単なる回顧趣味だけで言うのではなく、やはりジャズ本来の完成されたスタイルはハードバップからクールあたりまでではないでしょうか。デジタル時代の現代だからこそアコースティックなサウンドが、耳にも心にも心地よい気がします。
またかなりオールディズですが、落ち込んだときにスイング時代の「ビッグバンド」の演奏を聴くと本当に元気が出てきます。アメリカが本当に若々しくて、希望と夢にあふれていた良き時代の元気が、伝わって来るような気がします。
ジャズが黒人や貧しい階層の音楽といわれた時代。
やがてダンス音楽として白人社会に受け入れられた時代。
そして押しも押されもせぬアメリカを代表する音楽となった時代。
それはアメリカが世界のリーダーとして、富と力を世界に誇示した時代でもありました。
やがてベトナム戦争によって受けたアメリカの深い心の傷、様々な問題を抱えて、苦悩の時代へと変化していくアメリカの姿に、その時代のジャズスタイルは奇妙にシンクロしています。
その辺りを比較しながら当時の名盤を聞くのも一興かもしれません。80年代は日本のジャズミュージシャンやジャズシンガーがコマーシャリズムに乗った時代でもありましたが、その頃を境に私はしばらくジャズとご無沙汰してしまいました。
ジャズを聴き過ぎて少しばかり飽きていたのかもしれません。いや、その頃からアメリカという国が好きではなくなってきたからかもしれません。
ジャズファンとしてはJAZZがマイナーな民族音楽になることだけは避けて欲しいと祈るばかりです。
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