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日本のいまを考える#62 高天原の民主主義にならう治政をめざそう



祝日は国旗を掲揚しましょう。


★精神学協会「日本のいまを考える」から転載

『精神学協会』
http://www.godbrain.com/gb/letter/



■日本のいまを考える#62

●高天原の民主主義にならう治政をめざそう


いまの日本における民主主義は、むしろ大衆迎合主義というべきものとなっていて、声の大きいうるさい人に従いがちで、厄介な人をなだめ、長いものには巻かれる傾向にあります。
感情的で支離滅裂な論理展開には、道理も引っ込むありさまです。

目的が合致すれば、当座、共同戦線を張るということで、今はマスメディアと野党連合が安倍政権を引きずりおろすための画策をしています。
「目的が合致すれば」主義主張さえ捨てる(当分の間)ということは、去年の衆議院議員選挙で希望の党に当時の民主党議員たちが全員一致で合流する、などの一連のことを見てもわかりますし、共産党が自ら招いた参考人の登板する委員会質疑を欠席するという事態を見ても感じます。

その目下の目的とは何かといえば、「憲法改正の阻止」。
日本が軍を持つということが、それほどまでに怖いのは一体どの国が背後にいて、一体なぜなのでしょう?
周辺諸国は、独立国の普通のあり方として軍を保持しているというのに、奇妙なことです。
日本という国の正しい歴史を知っていれば、怖がる必要などないはずです。
日本が正式な独立国として軍を持つことを、そこまで恐れるというのは、相当後ろ暗いことがあるか、よほどの企み、狙いがある、という以外には考えにくいことです。

憲法改正を阻止できるなら、モリカケ問題でも何でも歓迎し、与党であっても、懐柔できて憲法改正を思いとどまる政権に移行するなら、当面、持ち上げて後押しすることもやぶさかでないというはっきりした態度が見えています。
小池百合子都知事のときのように、気に入らなければ折を見て人気を落とすように動かせばいいということかと思います。
いまや野党では改憲阻止活動を引き延ばせないので、自民党を割りにかかっているようです。
国民は、このような流れには安易に乗らずに、しっかり学び、将来を見据えよく考えて行動することが求められます。

今秋に自民党は総裁選を行いますが、マスメディアが後押ししようとしていた石破茂氏は党内人気が不足していて、おそらく総裁選には出られません。
野田聖子さんも出馬は厳しそうですし、出馬できたとしても総裁の座は遠いでしょう。
今年はこれから夏の終わりまで、マスメディアは、もともと親和性のあるグローバリスト、小泉進次郎氏の応援に的を絞ることになると思います。

これまでどおり、移民も増やすほうに協力的な話題を提供していくと思われます。
介護に人材が足りないから、とか、家事を手伝う人が必要だ、農業を継ぐ人が不足している、などの理由です。
よく考えなければなりません。
 
本来ならば、だからこそ技術開発に投資をしなければいけないし、介護従事者のパワースーツやレジの無人化、運送の隊列走行、ロボットやドローンの活用など、移民受入れ以外の方法で解決していくべきところです。

  【Front Japan 桜】なぜ移民を入れてはいけないのか / 人手不足を解消するためには
  (38分40秒くらいから)
  / 佐川氏証人喚問で見えた緊縮財政の根源 / 種子法廃止による予算枯渇で
  https://www.youtube.com/watch?v=I6RIOyqdzjA&feature=youtu.be  

技術開発への投資や、基礎科学分野への予算確保、国防予算の確保、道路やインフラなど公共投資の財源確保の意味も含め、二十年以上にわたり景気を低迷させてきた政策は改めねばなりません。

二十年を超える時間をかけて国民を貧困化させてきたうえに消費税増税など狂気の沙汰ですし、緊縮財政を続けることでデフレスパイラルから抜け出せる機会を失い続けてきました。
プライマリーバランス黒字化目標を取り下げなければ、国民全体のさらなる貧困化は避けられませんし、日本国の二流国化あるいは米中の属国化を止めることもできなくなります。

小泉進次郎氏の父である小泉純一郎氏の政権下で入閣した竹中平蔵氏は、基礎的財政収支(PB)黒字化目標を導入した人物でもありますが、政商でもあります。ご自身の主導した労働規制改革で大きな利益を得た人材派遣業の経営者に就任したことで「露骨なレントシーキング(利権あさり)だ」と非難を浴びてきたことは当然の報いかと思いますが、韓国で李明博政権のアドバイザーに起用され、韓国の経済政策へのアドバイスを行っていたことを今回始めて知りました。

小渕政権から政権中枢に関わり、氏の敷いてきた規制改革路線は、格差社会を生んだグローバリストそのものの道です。
昨年も規制改革会議の民間議員として、農業分野で海外からの人材派遣受入れに関しての特区を使った規制緩和に活躍していました。

ちょうど一年前の今頃、農業分野では、自民党の農林部会のトップ小泉進次郎氏らが主要農作物種子法(国の基本的・基幹的作物である、稲・麦・大豆の優良な種子の生産・普及を国と都道府県に義務付ける法律)に関して、廃止の決定をしています。国民の主要農作物のタネを維持することを、日本政府が「放棄した」ということになります。
三橋貴明氏のいう「グローバリズムのトリニティ」、種子法廃止という「規制緩和」、根拠法を廃止することで予算措置を停止する「緊縮財政」、そして、将来的に日本のタネを外資系に委ねる「自由貿易」の実現に向かって段階を踏んでいるということでしょう。

小泉進次郎氏は、ジャパンハンドラーといわれる方々のお力添えにより、米戦略国際問題研究所(CSIS)という民間シンクタンクに二年間籍を置いていました。
総裁になった暁に、どういう路線を日本に敷くものか、は、大体推察ができます。

そうしたことを全部考慮に入れたうえで、国民の選択として想像しうる未来として望むのかどうか? ということが本来ならば問題となるところですが、世論を動かすのは自分たちの力だと信じているマスメディアは、「正義感あふれる若手実力派」だとか、「弁舌さわやかで歯切れがいい」、「清潔でかっこよく、好感の持てる人物」などのイメージで推してくるのだろうと思います。

「格差は大きいほうがいい」「社会において正社員は少ない方がいい」「種はモンサントから買おう」「中国の属国でもいいじゃないか」と思うなら、それは自由選択なのですが、そうしたことを考えずに雰囲気で流れるのはいただけません。
自民党の党員でないと投票できませんが、党員のみなさんにはよく考えて投票していただきたいものだと思います。

日本が歴史上で目標とし続けてきた民主主義は、一人ひとりの民が大切にされる世の中であるように、という形でのまさに「民主主義」でした。
古事記にみる高天原での様子も、みんなが一堂に会して、解決に向けて話し合って決めています。
誰か、一人の権力者がすべてを決めるなどということはありません。
アマテラスといえども、みんなの意見に耳を傾け、話し合って決めています。
知恵のあるものは知恵を出し、力のあるものは力を出し、芸能のできるものは芸能を披露して、互いにそれぞれの力を出し合って、協働で実践したのです。

違う意見が出ていいんです。ナショナリストもいて、グローバリストもいて、違う意見があっていいです。
移民賛成派がいて、反対派がいていいんです。
女性は結婚して家庭に入り、子供を生み育てることに専念するほうがいいという考え方の人がいていいし、どんな状況でも仕事はやめないほうがいいという女性がいてもいいです。
在日特権はなくそう、という意見があってもそれはヘイトではありません。
違う意見があるのは当たり前のこと。それを認めない社会は変です。
なぜそう思うのか、どうしたら折り合えるのか、どうすることが互いのメリットになるのか、問題を解決できるのかと、話し合うことが大事です。

失礼な態度や発言、不倫騒動は、バレればみっともないだけで、フォローが適切でなければみんなから相手にされなくなるだけです。
ちょっとしたことで「謝れ!」「謝罪が足りない!」「釈明せよ!」と大騒ぎするやり方は民主的とはいえません。
そればかりか、なんの解決の足しにもなりません。
「なぜ、そのようなことがおきたのか」、「繰り返さないために何をどうするべきなのか」を考えて実行すればいいだけです。

神話の時代から、そうした天の民主的合議制のあり方を想定し、地においても実践目標としてきました。
神の政(まつりごと)としての民主主義です。

一人ひとりの民は、それぞれが神の代理「おおみこころ」としての天皇陛下の「おおみたから」であるから、権力を持つ者が自由に支配するなどのことは公に認められないものです。
人と同時に、土地も「お借りする」「お預かりする」ことはあっても、神(公)のものであって永久に誰か個人の所有になることなどない、ということです。

しらす国として圧倒的な天皇の権威を、いかに強大であろうと、うつろう権力の上に頂くことで、「お天道様が見ている」世界を体現し、子供から老人まで、みんな「お天道様に恥じない生き方」を目指してきました。

人間だから失敗したり、間違えたりもしますけど、誰かがフォローして、誰かと助け合って、足りないところを補い合うことでカバーしてきたのです。
パートで働くよりも、生活保護のほうが楽でいいとか、そういう意識は「みっともないこと」として、憚られました。
どうにもならないときにだけ、人様のお世話になるという認識を皆が共有していたので、どうにもならない人に対しても温かい社会でした。

政治でも経済でも、世界に羽ばたいて権力を持つ者がいてもいいけれど、それはウシハク立場であるから、あくまでも権威に従う者としての存在ということです。

私は皇室が大好きなうえ、人間の弱さを十分認識していますので、皇室制度は続いてほしいですが、国民に、まつりごとの権威を権力とは別に自制できるだけの精神性があるならば、皇室制度でなくてもよいのかもしれません。むしろ、本来は人の精神性が向上して、自ずから律することができるべきところなのだろうと思います。

『古事記』には出てきませんが、五大神勅(ごだいしんちょく)というもの、聞いたことがありますか?
『日本書紀』に出てくるお話で、天孫降臨のおり、天照大御神が、孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上に降臨するに際して詔(の)らされたとされる次の五つの御神勅です。三つ目までを「三大神勅」とすることもあります。

  一 天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅
  二 宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅
  三 斎庭(ゆにわ)稲穂の神勅
  四 神籬磐境(ひもろぎいわさか)の神勅
  五 侍殿防護(じでんぼうご)の神勅

まとめるにあたり、いくつかのHPを検索参照しました。
 (参照HP)Wikipedia ほか
  https://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/folder/1500283.html?m=lc&p=1 より一部引用

一 天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅

  葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。
  爾皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治らせ。行矣(さきくませ)。
  宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、
  当(まさ)に天壌(あめつき)と窮(きはま)り無けむ。

  【口語訳】

  葦の原の広がる豊かな瑞穂の国は、これ我が皇孫が代々治めるべき地である。
  我が子よ、行って治(しら)しめなさい。さあ、お行きなさい。
  宝のように幸いを得て隆(さか)えることまさに天地と共に永遠となりましょう。
 
  「しらす」「しろしめす」は「領く(うしはく)」領有、私有と違って、
  人の天分を発揮せしめ、個性を明らかにし、人をしてその所を得せしめることである。
  宇宙万物を生成化育する精神をもって治めよ、という意味。
  
二 宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅

  吾が児(みこ)、此の宝鏡(かがみ)を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。
  与(とも)に床を同くし殿を共にして、斎鏡(いはひのかがみ)をすべし。

  【口語訳】
  我が子よ、この鏡(「八咫鏡(やたのかがみ)」をさす)をご覧になる事は、
  私(天照大御神)を見るのと同じであると考えよ。
  この鏡をお前の住む宮殿内に安置し、祭祀をなすときの神鏡にしなさい。

  この鏡(八咫鏡)をご覧になることは、天照大御神に面会するのと同じと心得て、
  大御神と床を一つにし、宮殿を一つにして、大御神の大御心を体現しなさい。

  寝ても起きても天照大御神と一緒に生活し、自我を空しくして、
  神の境地そのものにならなければならぬということ。

三 斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅

  吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭の穂を以て、
  亦(また)吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし

  【口語訳】 私が高天原に作る神聖な田の稲穂を、また、我が子に授ける事としよう。

  天皇は皇祖から賜ったものまでも自己の所有とせずに、国民に分け与えられます。
  斎庭の斎という字は、清浄という意味でもあります。
  生きる権利は誰もみな平等ですから、大御神のみこころ、清浄な精神をもって
  分け合わなければなりません。

四 神籬磐境(ひもろぎいわさか)の神勅

  吾は即ち天津神籬(あまつひもろぎ)及(また)
  天津磐境(あまついわさか)を起樹(たて)て
  当(まさ)に皇孫(すめみま)の為に斎(いわ)い奉(まつ)らむ

  汝(いまし)天児屋根命(あめのこやねのみこと【忌部氏氏神】)、
  布刀玉命(ふとたまのみこと【中臣氏氏神】)
  宜しく天津神籬をもちて葦原中国(あしはらのなかつくに)に降(くだ)りて
  亦(また)吾孫(あれみま)の為に斎い奉れ。

  【意味】 
  神籠(ひもろぎ)とは霊の籠る木という意味であり、生命力の盛んな木、
  磐境(いわさか)とは「神籠のある場所」、「清浄無垢な立場」を示します。

  神籠(ひもろぎ)を立てなければ磐境(いわさか)にならないし、
  磐境(いわさか)の場所でなければ神籠(ひもろぎ)が立たないのす。
  ヒモロギとイワサカ、この二つが一体になって初めて各々の本分が成り立ちます。
  「天皇と国民の関係」のようです。

  国民はイワサカとなってヒモロギを守り、
  天皇はヒモロギとなってイワサカに処を得せしめる・・・
  国民からの尊崇と、天皇からの大御心。
  不二一体が、日本のありかたであるようにという意味かと思われます。

五 侍殿防護(じでんぼうご)の神勅

  惟(ねが)はくは爾二神(いましふたはしらのかみ)
  亦(また)同じく殿(みあらか)の内に侍(さもら)ひて
  善く防(ほせ)ぎ護ることを為(な)せ

  国家の平和と国民の安全が危機に陥るような事があったら、
  それぞれの立場で覚悟を決めて力を尽くすようにという意味かと思います。
  国難に遭遇した際には、祖国を守る必要があることを示されています。

こういった方向性で考えると、お金を稼ぐことを主目的とする移民がむやみに増えるのは目的に適わない方向になります。
移民を受け入れるとしたら、日本語はもちろん、神話や日本の歴史をきちんと学び、シラスクニのありかたを体現できるような感性の持ち主に限るのが妥当でしょう。

そんな話をしていたら、先日、知人から
  「しかし、日本の歴史を正しく教えられる人がどれだけいるのか?この国に・・・」
と指摘を受けました。
たしかにそうだなぁ、と今も続く私自身の再教育を振り返ってもそう思います。
正しく学ぶこと、おおむね正しく書かれていると感じ取れる本を探すだけでも、どれだけ大変なのかを実感しているので、その言葉の重みを十分に感じました。
よい本に学ぶとともに、自虐史観によらない識者の講演も勉強になります。
歴史でいうと、宮脇淳子先生なども動画で語られています。

移民希望の方々とともに、私たち日本人も再教育されねばならない状況だと思います。
地道に学ぶ継続的な努力が必要です。


平成三十年四月六日
阿部 幸子
協力 ツチダクミコ

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