冥土院日本(MADE IN NIPPON)

日本のいまを考える #6 「左巻き螺旋の渦巻くこの地で」



★精神学協会「日本のいまを考える」から転載

『精神学協会』
http://www.godbrain.com/gb/letter/



■日本のいまを考える #6 「左巻き螺旋の渦巻くこの地で」


日本のニュース報道を眺めていると、何か意図的なものを感じるこのごろです。
年々ひどくなっているような印象もあります。

いまの日本。
世の中ほとんど全体が「左」、これは、戦後教育のなした結果です。
日本人が本来もっている大和魂というものは、もはや風前の灯です。

この先、ばらばらなこの国を、どのように古事記の指し示す「シラスクニ」に立て直すのでしょうか。

いま、持ちきりの話題は「森友学園の土地払下げ問題」と「塚本幼稚園の教育」。
そして、いつものことですが、全部が一緒くたになっています。
たとえば、教育内容のことと、土地払下げのことは本来別の話なのですが、一緒にバッシングすること。

「坊主にくけりゃ袈裟まで憎し」という、そのままを実行しているようにも見えます。
この報道の陰に、何か隠したい事件でもあるのだろうかと疑ってしまうほどの、偏向報道になっています。

塚本幼稚園の、視察団のお客様を迎えての朝礼動画を拝見すると、確かにやりすぎと私は感じました。

私が子供なら、登園拒否になってしまうかもしれません。
私立なので、ある程度の校風の自由は特色としてよいと思います。
私は国歌も国旗も大好きですし、教育勅語も大好きですが、塚本幼稚園の場合は、あきらかに子供たちの意思とは関係ないものを刷り込んでいると感じました。
それを「よし」とする教育方針なのだと思います。

その一方で、実際に私自身が受けてきた教育をいま振り返ると、意図的に隠されてきた地政学的な解説や、ゆがめられた近現代史、自虐史観に基づく歴史教育など、「歴史や地政学が学びたくなくなるほどに」刷り込まれた感じはあります。

多少なりとも「教育」というものは、思想と直結せざるを得ないところでもあるのでしょう。
これらが、どっちもどっちといえるのかどうかは、わかりませんが、何らかの「意図的な刷り込み」は、右翼左翼どちらも歓迎しません。

私のように十分すぎるほど大人になってから、ようやく事実を探し回るのではなく、若い時期に正しい事実をできるだけ公正に、和の心、やまと心とともに伝えてもらいたいと願います。

近年、ごく普通のことが、なんでも「右翼だ!」といえば済むかのような風潮もあります。
勉強会のはじめに国旗に礼をしたり、国歌斉唱したりすると、それだけで「右翼団体」といわれます。

何かとても不思議な気がいたします。
きわめて短絡的な批判の声は、常に大きなわめき声。
対抗する声はいかにも日本的なささやきか、つぶやき……。

俗に世に言う「おとなしい日本人」の多くは、常に我慢を選び続け、縄文人の「和を尊ぶ」という姿勢をただただ貫いて短い生涯を終えてしまうのです。
自分さえ我慢すれば、というのは、無責任な「我よし」の行動に繋がるときがあります。

只野真葛さんが言うように、「人よかれ、我もよかれ」でなければいけません。
バランス感覚が大事です。

従順に相手の意見や感情に従うことで、一時的対立は避けられるとしても、後から来るものへの「責任」が限りなく薄くなります。

在日韓国朝鮮人の方々や、中国籍の方々の言動を真っ向指摘し批判すると「ヘイトスピーチ」であると大声で叫ばれることとなり、他方で米軍基地の前で集団化して大声で「帰れ!」「死ね!」「出て行け!」と怒鳴る活動家たち(日本国籍でない方々も多数含まれ、横断幕にもハングルがたくさん書かれています)は「ヘイトスピーチ」と糾弾されないまま、放置されている現実があります。

「ヘイトだ」と取り締まるなら、なぜどちらに対しても公平にジャッジできないのでしょうか?

米軍は国同士の友好関係から同盟として駐留しはたらいているのですから、勝手に居座っているわけではありません。

協力関係なら、まずは「ねぎらう」ことが先に来るのが筋ですし、抗議するなら手順を踏んできちんとすべきです。

ここは民主主義法治国家であるはずの、現代日本です。

国旗も国歌も、どこの国でも普通に生活の中にあります。

公立機関、学校や公教育の現場で、全員で国歌を歌おうとすると「右翼!」めいて見られ、
「押し付けはいけない!」
という指摘が飛ぶ昨今。行政側も腰が引けた状態を続けている様子。

ここはいったい、どこですか?

足元から、しっかり生きていたいと思います。
「君が代」、「日の丸」を大切にしましょう。

ここは日本です!
クニを思うときの参考書をひとつ。
  
『ぼくらの祖国』 (扶桑社新書)
  青山繁晴著  扶桑社  七百六十円+税

ぼくらの祖国 (扶桑社新書)
クリエーター情報なし
扶桑社


硫黄島の戦士にも、そのほかの戦地で、日本で、亡くなられた戦没者たちにも、祈りをささげたいと思います。

平成二十九年三月十日
柴田サチ子
協力 ツチダクミコ

最近の「日本の今を考える」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
2021年
人気記事