宇宙が終わっても残っているもの

「動」から「静」 再




目をつむり今にじっととどまる

瞑想の技術と同じ感覚


自分とはただの記憶で本当は一瞬一瞬生きてるエネルギー体かもしれない

瞼の裏に現れる光が多くの意味を持ってくる

瞑想の中で自分が無くなるまでの技術を身につけると

解放の先 扉は突然現れる

静寂の中にとどまる

私達は普段の生活の中でとどまる術は持っていない

とどまる領域は概念にない

「動」だけの世界から一歩足をのばして「静」の世界をのぞいて見よう

何が広がるのか?


「動」の裏側 「静」

社会的には意味を持たない「静」

全てを支え続けて全ての源かもしれない





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