宇宙が終わっても残っているもの

非二元性




アドヴァイタ
ノンデュアリティ
ワンネス

非二元性

自分と他との境界線が無くなりそうな感覚が時々おそってきます

自分 他の認識が薄れていき見ている私が主体なのか?見られているそれが主体なのか?

どっちがどっちかわからなくなります

それはなんでもキッチリ決めつけてしまわないといけない概念に縛られている私達にとっては少し不快で不安な

グレーゾーンに位置する認めるにはあまりにもあやふやな感覚の中に溶けていきます

実は何かを見ているだけでも意識は自分にはなく

私が見ている の 私は

ただの思い込みだとしたら?

私が見ている時の私の意識は本当に私ですか?

庭先の木を見ている時

見ている私の肉体は間違いなくありますが

見ている私の意識は木と区別はなくその意識は木と同化してます と言うより

もともと見る側 見られる側の区別をしているのも私の意識だったのかもしれない

静止 静寂 私達の言う 何も存在していないところ

そこに近づくほど両者の関係性はあやふやになります

そして そこにとどまることが出来たなら私 個として捉えていた概念としての私もなくなり分離もなくなり

非二元性

深い愛があるだけって

よく聞く言葉ですが そんなイキイキとした体験をしてみたいですね

単純に意識が遠のく

の理解はただの小さな枠の一つの理解でしかないのかもしれない

 









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