フォークダンスな暮らし

ポンタの愛する家族や仲間たちとフォークダンスを踊れる幸せ

タンポポパーティ2024 プログラム ほぼ決定!?

2024-02-28 18:14:37 | 日記
プログラムを一部追加して構成も変更しました。
午前中のプログラムは、比較的馴染みやすくなったと思います。

会場の平野区民センターの周辺が、様変わりしていました。
出戸駅前のイオンが閉店してました!!!(え〜!)って感じです。
平野区民センターの隣のパチンコ店が、ケーズデンキになっていました。
いや〜!びっくりしました。
下見、現場確認は疎かにしてはいけませんね。

プログラムのほぼ決定版を掲載します。


「カリノサ」のクミンタン

2024-02-08 19:35:49 | 日記
今回の全国講習会で発表されたダンスでフィリピンのカリノサについて質問がありました。
カリノサの中で表現されている「クミンタン」と言う動作についてです。
動作と動作をつなぐ重要な動作で、手首を回したり、腕を回したり、肘を動かしたりする動作です。

今回使われている「クミンタン」は、手首を内側から外側に回しながら行う動作でした。
質問では、以前O先生やフィリッピン人の先生(多分ガバオ氏)に習ったものは、今回とは逆に動作されていた。
と言う内容でした。
実は、私もO先生にも、ガバオ氏にもフィリピンダンスを受講しました。この質問者は、間違ったことは言っていません。
ただし、フィリッピンの「クミンタン」は、1つだけでなく数多く存在します。
手首を内側から外側に回しながら行う動作もあれば、その逆の動きもあります。

Youtubeで「カリノサ」を検索したらフィリピンのプロからアマチュア、年配者から子供まで老若男女が色々踊っている動画が見られます。
「クミンタン」の表現も多種多様です。

今回、「カリノサ」を全国に紹介するにあたり、自分が踊り続けていた踊りだけでなく、過去のテキストや文献を調べました。
アメリカ経由で伝搬されているので、アメリカではどう踊られているのか、アジアではどう踊られているのか等々。

「カリノサ」を広く世に知らしめたのはフィリピン舞踊研究の第一人者フランシスカ・レイエス・アキノ氏で、氏はフィリピンの民族と文化を
保存するためフィリピン各地を訪れ、フィリピン人特有の歌、遊び、踊りを研究収集し「フィリピン民族舞踊」を著した。氏はその功績により
1954年に共和国功労賞を受賞、1973年には国立ダンスアーティストの栄誉を受けた。

日本には、マイケル・ハーマン氏によってニューヨークのフィリピン人居留民から収集されたと言われる「カリノサ」がアメリカ国内や全世界
に広まり、1956年に来日された折に紹介されたようである。1962年の第5回全国フォークダンス 講習会で講習されたと記録されている。

今回、「カリノサ」を全国で紹介する機会を頂き、この素敵なダンスをたくさんの皆さんに楽しんで踊って頂けるように頑張ったつもりです。
至らない所があったのは否めません。
世界中、いや少なくても日本中どこに行っても同じダンスが踊れる幸せ。
少しでもお役に立てればとても嬉しいです。
ありがとうございました。




全国講習伝達講習会(大阪)

2024-02-04 17:38:24 | 日記
2月4日
今日は、全国講習会の伝達講習会(大阪支部)が難波の大阪府立体育会館(エディオンアリーナ)第2体育館で行われました。
参加者は100人を超え、昨年よりも盛況でした。

今回の種目で大変だったのは、6曲中3曲ですね。
カリノサ(フィリピン)手足を同時に動かしながら踊る事と、小道具の扇子とハンカチを使う事。
タンゴ・イン・トロント(ECD) 変形のリール動作が難しいのと、組みの位置が変わると動作が入れ替わってしまう事。
ダンス・フロン・ヴィクボランデット(スウェーデン)パートナーを中心にして隣の異性とターンしていく事と、ハンブシュカのターンがある事。

大変ではありましたが、大阪の皆さんは逞しい方々が多くて、皆さん全ての講習曲をクリアーしていました。
講習する側も、踊り合わせの時から更に頑張って指導方法の工夫を重ねていたようで、ほぼ予定通りに進行していました。
タンゴ・イン・トロント(ECD)は、少し時間オーバーしてましたが皆さん頑張っていましたね。
これから例会でも踊られていくんでしょうね。

講師やその他役員の皆さん、参加者の皆さん、お疲れ様でした。