今日は森田一義ことタモさんの誕生日
であり菅野美穂ちゃんも
そんでもって
うちのお父の誕生日でもある
昨年誕生日を迎えた翌日の8/23
ホスピスこと緩和ケアへ初受診
75歳と成り立てほやほや後期高齢者
その時
誕生日おめでとう🎉と
ドクターより花束💐頂き
はにかんでたお父
病院側が患者本人とその家族を
認知する意味で間違わない為の
写真撮影📸
に複雑な感情
これから死に向かうんよね
ビフォーアフターやないけど
今がビフォーアかぁ~
そんなことを思ってた
まだつかまり歩きで
頑張って自立歩行出来てた頃
183㎝と高身長だったお父
加齢と共に180㎝を切ったのもあり
こんまく感じられた
年寄りを嫌うお父
きんさん・ぎんさんが大嫌い
だからか
年寄り扱いされることを拒んだ
頑として車イスも杖も
使いたがらなかった
シャワーもひとりで行っていたし
そんなレベルだから
まだまだ自宅療養可能なはずなのに
肺がんが脳へ転移してて
認知的な症状もチラホラ
性格的にもいごっそう(頑固者)な
お父を理解出来ない
お母が限界となり病院に泣き付き
2回目の外来受診を待たずして
一旦一般病棟への入院が許された
コロナ下で面会もお母だけと制限され
複雑な心情しかない
入院の手続き以降は
電話での会話のみとなった
両親にテレビ電話のスキルがあれば...
こう言う時に困る
🐸“家と病院とどっちがいいでぇ?”
お父“どっちもどっちよ”
後日談お通夜の時にお父の飲み仲間が
若いナースにお風呂入れてもろうて
嬉しい言い寄ったでぇ〰️
それはそれで
自宅より入院生活が早まって
良かったのかもしれないと思えた
コミュニケーションの取れない
長年連れ添った妻より
最後は若いナースとわちゃわちゃしたいよね
造船業時代に船内で大きな事故があり
背中に大やけどをしたお父
あたしの離婚話を
お母抜きで話したくて
お父行き付けの飲み屋さんへ
背中のやけど以外は健康体やから
病院抜け出て
出勤前のおねぇちゃんのところで
遊んでた話を
カミングアウトされたな
何故かお父の人生にホッとして
酔っぱらいながら夜中の地元をお父と
何かを叫んだ記憶がうっすらとある
そんなお父の誕生日であり月命日
まだ遺骨の場すら定まってない実家
色んなコトを残したまま逝きやがって
けんどお父の意思は受け継いで
これからのコト楽しみながら抗うぞね
そんでは拝んで来ようかねぇ〰️