スタート直後から予定通りのペースに乗り、25キロ地点では2位集団に2分余りの大差をつけた。しかし徐々に歩幅が小さくなり、30キロを過ぎて「急に目や足に違和感を覚えた」という。
最後の1キロは涙を流し、よろけながら歩を進めた。「頭の中が真っ白になり、全く記憶がなかった」。走りながら真横で見守る永山忠幸監督(48)の声や、沿道の大声援に応える余裕はなかった。残り約500メートルで崩れるように転倒した。長居陸上競技場に入っても3度転ぶ。転倒するたびスタンドから悲鳴のようなどよめきが起きる。ひざに血をにじませながらゴール。その瞬間、スタンドは大歓声と拍手に包まれた。
本格的なマラソン練習は、昨年12月半ばの出場決断から約1カ月間。通例の3カ月よりも短く、40キロ走を行わず約32キロが最長という独自の方法をとった。これまで培った走力とスピードを信じた挑戦だったが、失敗に終わった。永山監督は「マラソンはもっと綿密な計画が必要」と反省した。
福士選手は疲れが癒えた後、「初マラソンは楽しかったかなあ……」と笑った。そして「結果を受け止めて、次の目標に向かって頑張りたい」。春からはトラック種目で改めて五輪に挑む。
最後の1キロは涙を流し、よろけながら歩を進めた。「頭の中が真っ白になり、全く記憶がなかった」。走りながら真横で見守る永山忠幸監督(48)の声や、沿道の大声援に応える余裕はなかった。残り約500メートルで崩れるように転倒した。長居陸上競技場に入っても3度転ぶ。転倒するたびスタンドから悲鳴のようなどよめきが起きる。ひざに血をにじませながらゴール。その瞬間、スタンドは大歓声と拍手に包まれた。
本格的なマラソン練習は、昨年12月半ばの出場決断から約1カ月間。通例の3カ月よりも短く、40キロ走を行わず約32キロが最長という独自の方法をとった。これまで培った走力とスピードを信じた挑戦だったが、失敗に終わった。永山監督は「マラソンはもっと綿密な計画が必要」と反省した。
福士選手は疲れが癒えた後、「初マラソンは楽しかったかなあ……」と笑った。そして「結果を受け止めて、次の目標に向かって頑張りたい」。春からはトラック種目で改めて五輪に挑む。