昨日は「ファスト教養」とそれが広がる背景について説明しつつ、自身は「ファスト教養」を受け入れるつもりはないこと、そもそも対置される「教養」自体があやふやなこと、よって「教養」を重要なもの...
「帰納と演繹」なんて言うと、いかにも日常から乖離した抽象的思考に思われるかもしれないが...