戦国の石見−3(続き2)60.3.高橋興光の滅亡戦国時代における石見高橋氏の所領は、久光の時代に石見国邑智郡の阿須那・出羽、安芸国の北半分、山県郡の東部にまで及び、「三歳子牛の毛数
串戸2丁目の県道廿日市港線の側道脇に藤掛尾城跡碑が建立されていた。かつて標高38mの藤掛山には藤掛城跡(藤掛尾城跡)があったが都市計画道路と