インドに一人の水汲みの男がいました。
男は毎日、川へ行き
竿の両側に吊るした水瓶に水を入れて ご主人の家まで運びます。
遠い道のりを一生懸命に水をはこぶのですが、二つの水瓶のうちの一つに、ひび割れができていることに気づきます。
懸命に運ぶのですが、家に着く頃には水は半分に減ってしまいました。
水瓶は男に漏らします。
「あなたが苦労して水を運んでいくのに
私の脇腹にひびが入っているために水が半分になってしまいます。
自分なんて役に立たない、壊れて砕けてしまったほうがいいのに」
それでもずっと前に水を汲んでは家に届けつづけました。
男は、ある日 水瓶にいいました。
「見てごらん、私たちがいつも通る道のどちらに花が咲いているだろう」
そこには、ひび割れの水瓶が通った側にだけ、美しい花が一本の道のように咲いていました。 ひび割れがあったおかげで花が咲いていたのです。
こんな話を聞いたことがあり、感動したのを覚えています。
検索してみたら、結構ヒットしたので有名ない話なのかな。
自分では不完全、欠陥だと思っても、実は違うってことあるものだ。
なかなか自分目線では発見しにくいけれど。
何をもって「完璧・完全」というのか
言ってみれば、その欠陥さえも完璧な要素かもしれないのだから.....。