「高砂(たかさご)」と聞いて出てくるのは、兵庫県民のため、播磨地域人のためなんと言っても「高砂市」です。姫路市の隣に位置します。
1月30日(日)
高砂市にある「高砂神社」の「相生の松」を見に行ってきました。
高砂神社は縁結びと夫婦和合で知られています。『高砂』を色々勉強したので紹介したいと思います

参加者:私と夫、長男の3人
高砂市は昭和63年に「ブライダル都市宣言」をし、市内には「ブライダル都市高砂」と歩道橋に掲げてあったり、そこらかしこにブライダルの表示があります。
結婚式で新郎新婦が座る一段上がった席を「高砂」。その由来は「高砂」という能の曲で室町時代に世阿弥が作ったと言われ、昔は披露宴の定番曲として謡われていた曲です。
(うわぁ、観阿弥&世阿弥って歴史で習った🤩室町時代から今に伝わるってスゴイ
)


↑「高砂神社」は能楽「高砂」の舞台の一つと考えられています。
能楽「高砂」のあらすじはこうです。
阿蘇の神官らが都へ上る途中、高砂の浦で主人公の老夫婦と出会い、二人は仲むつまじく高砂の松の木陰を掃き清めています。老夫婦は実は高砂の松と、住吉(大阪)にある住の江の松の化身。遠く離れていても互いに心は通じ合っている「相生の松」とされます。

↑これはその老夫婦、おじいさん(尉)👴とおばあさん(姥)👵の高砂人形。共に白髪まで…と結納の品に入っています。
「お前百まで(掃くまで)わしゃ九十九まで(熊手)、共に白髪の生えるまで」
このフレーズもどこかで聞き覚えが…
これもこの「高砂」からの言葉のようで、それも道具の配置も表してると…
(おばあさんが箒、おじいさんが熊手を持っています)

熊手は「福をかき集める(財運)」箒は「邪気を払う(魔除け)」の意味があるそうです。
「夫婦ともに助け合い、夫が福(財)を集め、妻が家庭を守り整える」の意味につながるそう。

高砂神社の中にこの老夫婦の「尉姥神社」もありました。イザナギとイザナミの2神が祀られているそうです。

↑高砂神社にある5代目の「相生の松」。
「相(あい)ともに生まれ、生きて老いるまで(相老いの松)」という夫婦の理想を体現した姿とのことです。

「相生の松」とは、根が一つで雌雄の幹が左右に分かれた松のこと。ほんとに2つに分かれています
(接ぎ木
ちゃうか…)



↑相生古霊松舎
この中にすごい大木の松の木が入ってました

3代目の松だそう。

木の枠の間から覗くとまさに「霊松」という感じで枯死した松が…ちょっと怖さを覚えました
この中にすごい大木の松の木が入ってました


3代目の松だそう。

木の枠の間から覗くとまさに「霊松」という感じで枯死した松が…ちょっと怖さを覚えました


最後に夫婦円満を祈願して退散。
このあと、能楽に出てくる、阿蘇の神官が立ち寄った「高砂の浦」へ。
ジョギング散策の時に利用する駐車場のその先に「高砂の浦」と思われる、県立高砂海浜公園があります。

今は播磨臨海工業地帯の中にあり、埋立地ばかりの中に、人工の砂浜があります。「白砂青松100選」の中にも入っているそうですが、天然じゃないところが…。

人工島があり、「愛のモニュメント」なるものもあります。小さい鳴らせる鐘もついてました。結構な響きで…

もう一つ、加古川🌁を渡って、加古川市に入り、山陽電車の「尾上の松駅」があります。

「尾上の松」も謡曲「高砂」に出てきます。駅名に「尾上の松」なんて
いにしえを感じるでしょ


↑その近くに尾上神社があります。

ここにもございます見事な枝っぷりの相生の松。高砂神社には霊松のおどろおどろしい松が建屋の中に大切に保管されてたけど、ここにはそういったものはなし…。

8代目、9代目が玉垣の中で育てられてました。
そういやぁ、今、ドはまりしている「ミステリと言う勿れ」に出てる歌舞伎俳優の「尾上松也」さんも「尾上の松」です

もうドンピシャ過ぎて感動です

❛尾上の松❜とはこの地域の松ということでしょうか🤔
「尾上の松」の名が登場する九州地唄三絃古曲(作者不詳)となるものに謡曲「高砂」から歌詞の最初が取られており…
【歌詞】
やらやら、めでたやめでたやと、うたひうちつれ尉(じよう)と姥(うば)、 その名も今に高砂の、
尾上の松も年ふりて、 老(おい)の波もよりくるや、この下かげの落葉かくなるまで、 いのちながらへて、
「尾上」の由来もこの加古川市の尾上町からの発祥で平安時代に記録のある地名だそう

高砂の地域は尾上町を含む一帯やったんでしょうか…
それから、上方唄「松尽くし」という
日本各地の各所旧跡の松などを詠み込み、おめでたい数え唄に仕立てた唄。
この中にも6番目の松として
「高砂の尾上の松、曽根の松」
が登場します。
んっ
曽根の松


また調べたくなることが登場

「曽根の松」は、高砂市にある曽根天満宮の松のことだそう。
菅原道真が九州に流されるときに、伊保港に立ち寄り、この曽根天満宮に松を植えたというエピソードがあるようです。
(また出てきたよ、私も知ってる有名人
)

こんな身近に学問の神様、菅原道真が祀られていたとは

(太宰府天満宮まで行かんでも近くにあるやん
中学の修学旅行で必ず行くのに…)

で、色々考えると…
高砂神社は「高砂」と名前はついてるものの、加古川を挟んだ対岸には尾上神社があり、その名も「尾上の松」とうたに登場してくる🤔
謡曲「高砂」の舞台は尾上町のような気がしてきました。今も能の舞台があるのは高砂神社ですが…。
まだまだ調べが足りないので、色々検索します

(ウィキペディアより)
「高砂泊」は現在の高砂町にあたる地域とは異なり、加古川をはさんだ対岸の、現在の加古川市尾上町にあった。
(尾上神社由緒より)
播磨風土記にも「高砂」という地名は昔此の辺一帯の総称で「高砂の尾上云々」とうたわれた名所とのこと。
じゃあ、この辺り一帯の浜辺が「高砂の浦」で、松林の素晴らしい風景が広がってたんやろなぁ…
それが今はもう、埋め立てられて工業地帯になり、昔を偲べるのは先の高砂海浜公園の砂浜しかなくなってしまった…
それも人工だし…偲べないか…

風光明媚な歴史ある風景が消えてしもとるいうことかぁ…

と、何も知らなかったけれど、すごく残念な気持ちになりました。
仕方がないか…
発展とともに時代も変わって、加古川を利用した水運の生活から、線路が轢かれ列車に変わり、今は車の時代で…
人の流れもそれに付いて行くので、町が取り残されて…

高砂神社の近くには今も昔も変わらぬ町並みを復活させ、賑わいを取り戻そうと頑張っておられるところがあります。

そのまた近くは、大きなスーパーが閉鎖し、人の流れが変わって活気がなくなっている地区もあります。
私のいる姫路の町でも同じことが言えます。姫路城だけに頼らない、その周辺の町並みも込みで、よそから観光に来ていただけるよう願います。

それで大好きな姫路城に同じように感動してもらえたらとても嬉しいです。
昔々に思いを馳せながら、この度はたくさん勉強して地域を知ることができました

スイマセン、自己満足ですが…

長々、最後までお読みいただきありがとうございます
